冊子『蒼蒼』について     電子礫・蒼蒼
第1号 2004.5.15   
中村 公省
蒼蒼社社主
 
 本誌の第1号を発行したのは、中国沿海14都市が開放された1984年のことであった(8月15日付)。8インチフロッピー、緑色画面のワープロでキーコキーコ印刷し、B5判4ページ仕立ての紙つぶてとした。
 処女掲載論考・矢吹晋《「文史哲」帝国主義万歳》はこう切り出されている。
 「私は中年のさえない語学教師、近年とみに愚痴が多くなってきた。小言幸兵衛、今日は中国辞書に八つ当たりだ。」
 第2号は「武漢事件特ダネ記事不始末」で新聞記者に毒づき、第3、4号ではまだ大学院生だった村田忠禧が「小田実『毛沢東』は、まちがいだらけの駄本です」を放った。続く第10号までの筆者は、加々美光行、安藤正士、スチュアート・シュラム、竹内実、稲垣清の諸先生である。その間に刊行した『毛沢東集第2版』・『毛沢東集補巻』(全20巻)の完結記念シンポジウム(86年3月23日開催)の記録が第9号に掲載されている。

 なんと意気軒昂であったことか!
 なんと天真爛漫であったことか!

 2004年2月、蒼蒼社の倉庫の撤収に伴い蒼蒼社の主は『毛沢東集補巻』の火葬を予定している。ン百セットを市の焼却場の炉中に放りこむ覚悟を胸に秘めている。司馬遼太郎の『峠』に主人公・河合継之助が己を葬る焚火の焔を見つめ述懐する場面があったが、自らの分身の葬儀は粛然と敢行しよう。
 しかし、誤解しないでいただきたい。蒼蒼社の経営は折からの中国ビジネスブームで順風万帆である。また蒼蒼社社主の頭髪は消滅したが、雀百まで踊り忘れずである。
 『蒼蒼』第1号から第115号まで一貫して筆を執られた矢吹さんはいま、21世紀中国及び日本の課題を研究するためのバーチャル・センターとして「21世紀中国総研」を提唱され、『蒼蒼』の創刊時執筆者をはじめ多数の中国研究者の賛同を得ている。矢吹さんは所長としてウェブサイトのコーディネーター役を務め、その事務局はとりあえず蒼蒼社内に置き、蒼蒼社社主が事務局長を兼任する。21世紀中国総研は『中国情報ハンドブック』『中国進出企業一覧』『中国情報源』『中国進出企業地図―日本企業業種別篇』』『中国進出企業地図―グローバル企業篇』『中国情報用語事典』『中国最高指導者WHOS WHO』などの書籍を編集・執筆する一方でバーチャル・センター「21世紀中国総研」のウェブサイトを建設し、研究活動を行い、そのコンテンツの充実を図る。その発足は2004年5月15日。待ったなしである。
 「21世紀中国総研」のホームページの一角には矢吹晋「逆耳順耳」や福本勝清「中国的なるものを考える」のコラムが移転するであろう。『蒼蒼』の名前は消えるかもしれないが、『蒼蒼』の精神は貫かれ、『蒼蒼』に数倍する質量の定期刊行物の出現をお約束する。紙つぶては電子つぶてとなって、「馬鹿の壁」に向かって炸裂するであろう。
 『蒼蒼』読者の皆さん、執筆者の皆さん。今一度の創刊に挑むために、20年の営みを閉じる私のわがままをお許し願いたい。

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