中国的なるものを考える(電子版第1回・通算第44回)[注]

福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第1号 2004.5.15   
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>


 
雲南の雲南らしさについて


 昆明に来て早くも一年がたった。広州を経て昆明に入ったのは、昨年四月九日、香港、広東を中心にサーズが猛威をふるっているさなかのことであった。日本への帰国は、来春なので、まだ十分に時間を残しているわけだが、それでも、中国西南及び雲南に隣接する東 南アジア諸国を旅するという計画は、まだ半分も達成していない。
 ほぼ一年、昆明で暮らしてみて、当り前のことだが、ここが紛れもない中国であることを思い知されると同時に、中国の他の地域とは異なった雲南らしさをも体験することになった。ここで暮らす日本人は、この雲南らしさをとても気に入っている。或いは、この雲南らしさ に強く引かれている。それについては、我々日本人だけではなく、欧米人もほぼ同じ印象を持っているらしい。昨年秋、文化巷の餃子屋で知り合ったアフリカ系アメリカ人もまた、筆者と同じような感想を述べていて、お互いすっかり意気投合してしまった。
 筆者たちが引かれている、雲南の雲南らしさを説明しようとすれば、そう簡単ではないのだが、やはり「人の当たりの柔らかさ」を真っ先にあげなければならない。中国の北方、もしくは沿海地域で暮らしたことのある人なら、雲南に来てまず、人の当たり方が、ほかと全く 違う、当たりがとても柔らかいと感じるだろう。来た当初は、例えば大学などのへ手続、ビザ変更や更新、検疫、居留証の所得などで役所もしくはそれに類する機関と関りを持たざるをえないが、そこではやはり中国の役所を経験することになる。だが、それらが終れば、普通の雲南人との付合いが始まる。一月もしない間に、昆明或いは雲南の居心地のよさを感じるようになるだろう。
 我々が雲南人といった場合、雲南漢族のことを指す場合もあれば、雲南漢族と少数民族(ヒルトライブ)の両方を含めて言っている時もある。雲南漢族と雲南の少数民族の間に、メンタリティーにおいて、大きな違いがあるとは思っていない。特に、雲南漢族と漢化した彝族 はとても似ているという印象を受けている。

 最近、昨年の秋から冬にかけて、雲南民族大学で中国を学んで日本に帰った青年が、また昆明に舞い戻ってきた。彼はもともとバックパッカーで、昆湖飯店(昆明におけるバックパッカーの常宿)に泊まっていた時、雲南民族大学ではいつでも留学生を受けいれているという ことを聞いて、友人と一緒に留学生になり、二ヵ月ほど学んだ後、さらに留学資金を稼ぐために日本に戻っていたのである。ところが、どういうわけか、良いバイトがなかったのか、途中で使ってしまったのか、彼いわく、お金がないので、昆明で働かなければならないという。昆明で仕事を探すのは難しいので、日本に戻るか、或いは上海や深圳 といった稼げる場所で働いたらと友人たちに言われても、どうしても昆明にいたいから、昆明で仕事を見つけるという。ずっと昆明にいたいという彼の気持は、友人たちにも十分にわかるのだが、でも昆明は、現在のところ、外国人にとっては、お金を使う場所ではあっても、お金を稼ぐ場所ではない。よほどの好運に恵まれるようなことがなければ、彼はいずれ昆明を去らなければならないことになるだろう。
 昆明に舞い戻ってくるというのは、何も日本人ばかりではない。最近、時々顔を見せる小李(Xiao Li)もまた舞い戻ってきた一人である。湖南衡陽出身の彼は、雲南民族大学でタイ語を学んだ後、深圳公司で働いていた。その頃、日本語も覚えたらしい。だが、数年たって、嫌になったらしく、会社を辞め、故郷の衡陽にではなく、昆明に戻ってきた。昆明は住むには良い場所だという。彼の日本語はそれほど上手には聞こえないが、それでも話していてこちらの意図がわからないなどということはない。日本人相手にガイドでもやればといっても、それも気が進まないらしい。いずれは、雲南に居住する日本人も増えるだろうし、タイとの交流も増えるだろうから、その時になればタイ語も日本語もできる彼に活躍のチャンスは十分にあるけれど、それまで漫然と待ってはいられないだろう。今の蓄えがつきればいずれは働かざるをえなくなる。
 先ほどの日本の青年も、小李も、そして筆者も雲南迷(ファン)なのだ。みな雲南の居心地のよさを気に入っており、また雲南人に強く引かれている。我々の周りは雲南迷ばかりである。民族大学の同学、小明(Xiao Ming、日本人)もその一人である。早大商学部卒業だが、本当は文学をやりたかったという彼は、今も旅に出る時は必ずギターを持って出かける、三十歳代前半の--遅れてきた--フォーク青年である。
 四月十三日から十六日まで、筆者は彼とビルマ国境の町、瑞麗(徳宏自治州)に水掛け祭を見に行った。姐勒仏塔やタイ族の村を訪ねて、思いきり水を掛けられたり、首から何かアイデンティティ・カードのようなものをぶらさげたビルマからの観光客が意外に多いことに驚いたり、姐告や町で、土地の人が、籬(まがき)や小川で仕切られた国境線をいとも簡単に往き来する光景をみたり、面白いことにたくさん出会った。瑞麗での三日間、彼とはいろいろな話をしたわけだが、強く印象に残ったことが幾つかある。
 留学生は大体が適齢期の青年たちなので、同じ国から来た男女が将来を誓い合う可能性が普通より高いと思うのだが、我が民族大学の日本人留学生に限っていえば、その気配は全くないといってよい。それを不思議に思って、尋ねたところ、どうして日本人同士でなけ ればならないのか、と逆に聞きかえされてしまった。雲南姑娘には可愛い人がたくさんいるじゃないですか、という。現に彼のガールフレンドは、昆明の人である。
 確かに、年頃の男女が愛を語りあうのは、別に同じ国の人同士でなければならないということはない。だが、相手が中国人だと聞く時、やはり結婚を前提にした場合の相手の家族関係の重たさとか、生活習慣の違い、恋愛観や男女の理想像の相違とか、いろいろなことを考え てしまう。この二十年間、多分、ノウハウの蓄積が進んで、日本人と中国人の婚姻が前ほど大変でなくなったとはいえ、今もそう簡単なことではないことに違いはない。ところが、彼も、また大理で会った彼のパッカー仲間も、そのようなリスクをあまり意に介しているようには見えない。その友人は、同じパッカー仲間に、今年、雲南姑娘と結婚する男がいる話や、自分が思茅かどこかの姑娘と結婚を考えた話をしてくれたが、彼の口から、相手の家族関係などを危惧するような言葉は一言も出なかった。だからといって、彼らはすでに中国で種々の体験を重ねており、けっして中国に無知なわけではない。
 筆者は小明の話を聞くまでは、日本人同士の付合いが恋愛に発展しない理由を、ここの留学生が精神的にあまり追い込まれていないからだと考えていた。一九八○年代前半、その当時留学生であった我々は、まったく一般の中国人と隔離されて暮らしていた。また、街に出たとしても、その度に不愉快なことに見舞われ、その気持ちのまま留学生宿舎に帰ることが多かった。留学期間を戯れに刑期と呼び、留学を終え無事帰国する時を刑期明けと称して、その日が来るのを楽しみにしていた。そのような環境のなかで、互いに励ましあったり、気持ちが通じることになった男女が結びつくのは自然であった。ところが、昆明では、留学生たちは、留学生宿舎に住んでいる者もあれば、アパートに住んでいる者、我々のように大学の教職員宿舎に住んでいる者もある。街に出れば、いろいろ面白いことに出会って帰ってくる。別に男女が互いに励ましあう必要もない。だが、小明の話はもう一つの可能性を示唆している。たとえば日本人男性にとって、日本人女性を特に選ぶ理由はない、素敵な雲南姑娘がいるではないかということになる。また、タイや韓国からの留学生も同じように選択肢 に入ってくる。
 瑞麗からの帰路、一人で騰衝(抗日戦争の激戦地)に寄り、その後、大理古城に五日逗留し、昆明からとんぼ返りしてきた小明と再会した。大理古城には洋人街と呼ばれる一角がある。桂林の近くの陽朔にも洋人街があるが、いずれも外国人の長期滞在者が多く、外国 人向けのカフェ、レストラン、ブティックなどが多いところからつけられたのであろう。大理では小明から紹介された三つのカフェに通った。特に、菊屋 Sister's Cafe、 紫竹屋 Bamboo Cafeには毎日通い、カツ丼とか唐揚定食など、日本料理?を注文した。特に昼すぎに行くと、あまり客が入っていない様子だったので、何となく長居をした。菊屋や紫竹屋で働く女性たちの印象は、自分が普段、昆明で通っている文化巷のカナンCanaan(カフェ)、漫林書苑 Mandarin Booksの明るくきさくな姑娘たち、或いは数ヵ月に一度しか行かないが、きびきびしていて、それでいてとても親切な電脳商場の三星電子売場の姑娘たちよりも、もっとやわらかな印象、日本語の「やさしい」という言葉を使っていいかどうか迷うところだが、それに近いものを感じた。
 今年の春節の休み、他の留学生が省外或いは国外に旅行に出かけるのを尻目に、小明が麗江や大理に引き篭もり、二ヵ月近く、冬をやり過ごしたのは、この姑娘たちの「やさしさ」ゆえだったのかもしれない。紫竹屋の日本語や英語のメニューには、見覚えのある彼の字が並んでいる。彼は彼なりに、彼女たちのビジネスに役に立つよう、できるところはいろいろとアドバイスしているのであろう。このような関りを「友情」と呼ぶとすれば、日本でも普通にありそうな男女の友情であろう。
 いつも、中国についてはシニカルな目でしかみない筆者ではあるが--上記の小明の故事(gushi)について、もしかしたら、まったく別の読み方が可能ではないかという見方もあるかもしれないが、そうであろうとなかろうと--大理古城という小さな世界を舞台にした彼゙らの友情が、永く続くのを祈らざるをえない。

 追記:21世紀中国総研版『蒼蒼』第一号に合わせて、何かそれらしいものをと考えたのだが、やはりいつもどおり身の回りに起きたことを書くことにした。ビジネスマンではない我々にとって、一番大事なことは、今の中国が暮らしやすいかどうか、周りの中国人と理解しあえるかどうかだと考えているからである。

竹内 実「中華点点」 
矢吹 晋「逆耳順耳」
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