中国的なるものを考える(電子版第4回・通算第47回)[注]

福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第4号 2004.11.15   
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>


湘西鳳凰紀行
 
 今回の中国滞在では、騰衝(雲南)と鳳凰(湖南)には必ず行くと決めていたのだが、騰衝--抗日戦争における西戦役で知られる--には4月中旬に行ったものの、鳳凰にはまだ行ったことがなかった。9月下旬、国慶節(建国記念日)が近づく頃、ようやくまず汽車で貴州東部に向け出発した。国慶節の休暇にぶつからないよう、凱里、鎮遠、銅仁を経て鳳凰に入ったのは、10月7日であった。バス・ターミナルを出たところ、客引きの二人づれの中年女性につかまってしまった。普段はあまり客引きなどは相手にしないのだが、ターミナルの周りの様子が、中国第一の古鎮というには余りにもみすぼらしく、どうも勝手が違うと思っていたので、彼女たちが案内する家庭賓館について行くことにした。バス・ターミナルから数分歩くと川沿いの橋のたもとに、階段を下りるところがあり、下りたところで橋をくぐると、鳳凰古城だった。町の様子は、ちょうど雲南麗江古城に似ていて、確かに風情があって、自分がとんでもないところに来たのではないことがわかってホッとした。?

 案内されたのは、路地のなかの客棧だった。夫は医者で、娘は今、衡陽の南華大学医学部に通っているという老板娘に案内された部屋は綺麗でよかったのだが、予想した通り、部屋代の交渉となると中年女性三人がかりではこちらに分がなく、一泊百元で泊まってしまった。多分、普通のホテルだったら、タオル、石鹸などが揃っているわけでもないので、7、80元かなというところであった。家庭賓館は民宿ということになるのだと思うが、多分、こちらが外国人だということで、随分気を使ってもらった。外に出かける度に、地理はわかっているのかと聞き、分からないなら、案内してあげるだとか、食べものは口に合うかどうか、合わないなら--筆者は去年雲南に来て以来辛いものは全く駄目になってしまった--つくってあげる、その時にはお金はいらないから心配するなだとか、町なかでは絶対にほかの中国人について行くなだとか、いろいろと言ってくれる。こちらが、もう一年以上も旅をしており、いろいろな経験をしている--何回か美事に騙されている--ので心配するなというのだが、一向に効き目がなかった。

 二日目の午前は沈従文旧居を訪ねた(入場料20元) 。鳳凰は、沈従文の故郷であり、5月と10月の黄金週(ゴールデン・ウィーク) には、この町のホテルも招待所も一杯になるのは、彼の文学に鳳凰を中心とする湘西が描かれているお蔭である。折からの旅行ブームに乗って、ここを訪れる人は大変な数らしい。黄金週には部屋代が、安いところでも二、三倍にも跳ねあがるし、それでも泊まれない人が出て、小学校を開放してあぶれた旅行者を泊めたほどだという。
 午後4時頃、今度は町外れにある沈従文の墓を訪ねた。筆者は別に沈従文を愛読しているわけではなく、ただ匪賊の歴史を漁っていた頃、湘西というところにとても興味があり、その時読んだ金介甫(アメリカ人) の沈従文の評伝(中訳)がとても説得力があり、強い印象を受け、何となくシンパシーを感じている。沱江沿いの、細長く続く廻龍閣を通り抜けた頃、道端に大きな桝のようなものが立てかけてあるのが目にとまる。実は、これを、数日前、凱里から鎮遠へのバスのなかから何度も見ている。おそらく苗族だと思われる農民たちが、その四角い桝のようなものを相手に、稲束を桝の縁にぶつけて脱穀していた。もみは桝の中に落ちる。1982年に、毛沢東の故郷、韶山で千歯こきを目にして少し驚いたことがあった(多分、記念に置いてあったのだろう) 。だが、それよりもまだシンプルなものが今でも使われているとは。足踏脱穀機さえほとんど使われていないところを見ると、それを必要としないぐらい、それぞれの耕地は小さいのだろう。
 「どうした」と後ろから声がかかった。30代後半の中年の男性だった。「これは何というのだ」、「富桶だ」。これが小陳(XiaoChen)との最初の会話だった。筆者が日本人であり、沈従文の墓に行くことを知って、この辺に住んでいるので、案内してくれるという。普通は少し用心するのだが、苗族だということと、話好きで、見たところ悪い人でもなさそうなので、ついて行くことにした。沈従文の墓を見た後、苗族の晩会(観光用) があるから行かないかというので、これもついて行くと、入場料が88元だという。ひどく高いなとは思ったが、小陳の面子をたて入ることにした(現地の人は無料)。苗族の姑娘たちの舞踊は、筆者には良いのか悪いのかさっぱりわからない。8時から始まる晩会に筆者が一番乗りしたということで名前も顔も覚えられ、晩会ではいろいろなことで引っ張りだされた。本来はひどいはにかみ屋なので、こんな時には逃げまくるのだが、誰も知っている人がいるわけじゃなしと、請われるままに出ていった。

 その次の日、5時頃小陳の家に夕飯を食べに行く。沱江沿いのあばら屋だった。ボロだろうというので、自分が育った北海道の実家(農家)も、こんなものだったと答える。小陳は、高校を出た後、煙草工場に勤めていたのだが、二、三年前工場が倒産し、やむをえず、今は廻龍閣で観光用の人力車を引いている。この回廊沿いの多くが同じように人力車を引いている。鳳凰もすっかり観光客が増え、何とか食べてはいかれるらしい。観光用の舟を漕いでいるという彼の堂兄と一緒に酒を飲みながら苗族料理をつついていると、入れ替わり立ち代わり近所の子供たちがやってきて筆者を観察している。どこから来たのと声をかけてくる子もいる。どこの世界でも同じだが、小さい子供は皆可愛い。この辺に住んでいるのは、同じ階層なのだろう。服装も、筆者が泊まっている古城中心の子供と比べると質素である。回廊沿いには苗族ばかりでなく、土家族、漢族もいる。苗族や土家族は漢語で暮らしており、苗語や土家語は話せなくなっている。漢族を含めて彼らの間の結婚も稀ではないらしい。
 筆者が旅行家で物書きだというと、小陳は案外それらしく思ったらしく、僕が明日は鳳凰の郊外に出かけると聞くと、苗族地区は漢語が通じないから、一緒についていってやる、一日30元でよいという。10月10日、朝から小陳と一緒に沈従文の祖先の家と墓がある林峰に出かける。黄羅寨のバス停についた時、通りがかりの人に小陳がバスの中から沈従文の祖先の家のことを聞くと、何人か田舎の幹部風の人がどどっとやってきてバスを下りろという。何だか大げさでまずいことになったな思っていると、招待所の二階に案内され、遠来の客だということでまず当地(住民のほとんどが土家族)についての説明を受けた。次第に分かったのは、彼らは林峰の行政幹部ではなく、観光プロジェクト・チームのようなもので、当地出身の書道家(中国書法家協会理事) 顔昌文氏を中心に、沈従文をコンセプトの中心とした観光事業を立ち上げているところであった。その後、彼らは筆者たちを、沈従文が子供時代過ごした家に案内し、続いて、二人のガイドが、我々を祖先の墓と祠堂のようなところ、そして「月下小景」(入場料50元)と題したトレッキング・コースみたいな険しい山道を次々と案内していった。ここまで来ると、自分は沈従文とはあまり関りがないなどはいえなくなった。取りあえず、中国近代史研究者で湘西の歴史に関心を持っているということにした。一体、最後はどんな幕引きが待っているのだろうと思いながら、でも大抵のことは覚悟して、彼らについていった。「月下小景」に入る頃はまだ2時前だったと記憶しているのだが、上りに2時間半、下りに1時間余りかかっているうちに、帰りのバスがなくなった。小陳もそのことに気がついていながら、多分、格の違いから、言いだせなかったらしい。

 黄羅寨に戻り、さあどうしようということになった。二人のガイドはこんな田舎ではタクシーもないので、泊まったらとこともなげに言う。ほかに方法もなく、やむをえず、招待所に一泊(20元) 。その頃になっても、中年の男性と若い女性の二人のガイドが立ち去る気配がないので、ハハアと思い、招待所の下にある食堂(レストランというほどではない)で一緒に夕飯を食べることにした(120元)。顔昌文氏を含め、経験交流というのか反省会というのか、とにかくご飯を食べながら、今回の感想を話した。初めは遠慮していたのだが、少し慣れてくると、昨年来のタイ、ベトナム、ミャンマーから、中国西南各地の旅行の経験がものを言って、自分が経験したいろいろな観光地の話をした。特に、「月下小景」と周りの土家族の村巡りを一緒にすれば、タイのチェンマイ、ベトナムのサパなどでやっているトレッキング・コースに負けないぐらい魅力的なこと、でも大都市の人間や外国人の旅行客を相手にする時、険しい山道(月下小景)に全く欄干がないので、もし事故が起こった時は、どう対処するのかということを予め考えておいたほうがよい、などと知ったかぶりを披露した。
 まだ会議中だからと、顔氏が中座した頃、皆の気分がほぐれてきたので、筆者がもっとも聞きたかったことを聞いてみた。湘西人は今でも湘西人としての一体感を持っているのかどうか、長沙人とは違っていると感じているのかどうか。答えは一様に、男性ガイドの田氏(土家族)も、小陳も、そのとおりだという。前日、筆者が泊まっていた民宿の娘さん(ゴールデン・ウィークで帰省中) に同じ質問をしてみたのだが、彼女は恐らく大学で同学たちと違和感なく学んでいるからであろう、湘西人と長沙人との間にそれほどの違いはないと答え、筆者を少しがっかりさせた。

 ちょうど食べ終った頃、近くの中学の教師が外国人が来たと聞きつけ、訪ねてきた。『民歌酔郷』と題したコピー版の小冊子を渡され、見てほしいという。民間の研究者なのだろう。皆は実に迷惑そうだった。僕は、自分は専門家ではないからと断りつつ、結局は受けとってしまった。実際に、このような「民歌」、「山歌」は、表層の意味と実際の意味が違っていたりするので、到底筆者のような門外漢の力の及ぶところではない。渡された小冊子の価値も全く計りようがない。もし興味がある方は、湖南省湘西鳳凰県林峰中学 田祖斌先生 宛に連絡されたい。

 次の日、朝早く、小陳とともに、鳳凰に戻り、すぐに苗王龍雲飛の住んでいた山江鎮に向かう。その日はちょうど市が立ち、昼頃には鎮の中心は、周辺から集まってきた苗族で身動きができないほどであった。小陳が熱心に勧めるので、苗族の山歌?のVCDを買う。二枚組20元。   
                                                  10月31日 於昆明