中国的なるものを考える(電子版第7回・通算第50回)[注]

福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第7号 2005.7.15   
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>


旅はまだ続く

 帰国後3ヶ月が過ぎた。この一月、論文作成にかかりきりだった。涼山彝族奴隷制を自分なりのマルクス主義的な生産様式論や社会構成体論から、どのように理解したらよいのかという視点で書いた。実は、草稿はすでに昨年の10月末にできあがっており、帰国後、先行研究や関係する日本語の論文を読んで、少し加筆して完成するはずだった。だが、オルランド『世界の奴隷制の歴史』(明石書店)を読み、奴隷制研究の新しい動向が気になり、図書館を漁り、何冊かこの四半世紀間に出た国外の論文集を読んでいるうちに、締め切りに追われる羽目になった。原稿を提出した後、熱が出て一日寝込んだ。

 前号では、次第に日本の生活に慣れてきたと書いたが、実はまだ慣れていない。特に事務能力や実務能力の低下が著しく、うまくいかなくて、何度も自分に腹を立てている。二年間無為に過ごした報いなのだろう。多分、年齢的なものもあると思って、そろそろ覚悟しなければいけない年頃かな、と思っていたところ、何年か前に在外研究でアメリカに居た僕よりも一回り若い同僚から、自分も帰国後、慣れるのに大変で、結局二年かかった、すぐには慣れないのが普通ですよと慰めてもらった。多分、先輩への気づかいなのだろうが、正直なところ少しホッとした。ただ、読書と原稿書きは、多分、以前と同じように続けられるようだ。

雲南江城から緑春へ

 問題といえば、目下不眠に悩まされている。この二年間、無為に過ごしたとはいっても、何もなかったわけではない。旅の途中は特にそうである。ところが、どんなに腹の立つことがあっても、トラブルに巻き込まれても、夜の12時から1時頃には、必ず床につき、翌朝の8時には起床して、また元気にバスに乗って次の町を目指す、ということの繰り返しだった。よく寝られなかったなどというのは、何べんもなかったように思う。ところが、帰国後、うまく寝つくことができなくなった。何か、くよくよとあれこれ考えているうちに、夜があけている。きっと、気がつかないうちにストレスに晒されているのだろう。たまたまサイクルが合って、朝、うまく起きて、ゆっくりコーヒーなどを啜っている時、何だかまた旅が続いているような奇妙な感覚に襲われる。ただ、現実には会議や授業のため大学に出る日常が待っており、わずか数ヶ月前、猛然と「大旅行」を敢行していた頃の自分が、まったく別人のようにも思えてくる。

 まだ「大旅行」の記憶が薄れないうちに、はやり旅の話をしておこう。今回は宿の話である。チェンマイ(北部タイ)あたりで、知り合いになった日本人に、さかんに雲南へ来ることを薦めているのだが、決まって「中国はホテル代が高いでしょう」と言われる。たしかに、『地球の歩き方』などのガイドブックに書かれてあるホテル代は、日本並で、とても安いとはいえない。チェンマイでは、500バーツ(1バーツ=3円弱)ぐらいから快適なホテルに泊まれるので、500元、600元などと書かれていると、すごく高く感じてしまうだろう。でも、数百元もするようなホテル代の場合、実際にはその半額ぐらいで泊まれるのではないかと思う。

 筆者は、自分の個人的な経験から、勝手に、中国では100元がもっともリーズナブルなホテル代だと考えている。2003年4月、サーズ流行さなか赴いた昆明で、一番長く泊まったホテル(雲南大学の外国人向けの招待所)が、一泊100元であった。

毎日掃除をしてくれ、バスタブがつき、さらにバスタオルなど必要な小物が揃っていた。居心地がよかったので、前後して70日間も泊まってしまった。チェンマイの500バーツは人民元になおせば100元程度であろう。そこから、中国でのホテル代は100元前後であるべきだと、勝手に決めてしまった。

 最初、『地球の歩き方』を参考にホテルを探していたが、どうもうまくいかない。というのも、そこで紹介されているようなホテルには100元前後の部屋が用意されていないか、あっても最低ランクなために、フロントの態度があまりよくない。すでに中国の物価に慣れていたので、100元といえば大金であり、その100元の客を歓迎してもらえないというのは、納得いかなかった。そのうち、昨今の旅行ブームを当て込み建てられたたくさんのホテルに目が向くようになり、どうしても、その、できたばかりの小奇麗なホテルに泊まりたくなった。それらのホテルのほとんどは、外国人が泊まれない、中国人専用のホテルである。そこだと、大体、100元あれば十分に彼らが言う「標準間」(biaozhunjian)に泊まれそうだった。「標準間」はランクとしては「豪華間」(haohuajian)と「普通間」(putongjian)の中間の、我々が一般に想像する、良くも悪くもない、普通の部屋だろうと思う。ホテルによって一番良い部屋の時もある。とにかく、最低ランクの客などとは思われないですむはずであった。

宜賓:ゴムとび

 当初、20年前の経験もあり、外国人が泊まれるホテルと泊まれないホテルの線引きが厳しく引かれているのだと思い込み、フロントでまず、外国人は泊まれますか、などと素直に聞いていた。そのうち次第に横着になり、自分が外国人であることを名乗らず交渉するようになった。最後には、まず値段交渉をし次に部屋を見せてもらい、フロントから「身分証明書は?」尋ねられてから、おもむろにパスポートを取り出し、「実は日本人だけれども…」と外国人であることを明かすようになった。そこまで来ると、本当は外国人を泊めてはいけないけれど、一日ぐらいはいいかという気持ちになるらしく、泊まれる可能性が随分高まったように思う。

 二年間、いろいろなホテル、招待所に泊まった。当初、100元前後で泊まるということにしていたが、時々客引き(拉客的,lakede)について行くようになり、50元と40元、時には30元、20元といった部屋にも泊まるようになった。さすがに、30元や20元クラスになると、清潔さに問題がでてくるように思うが、逆に40元以上ならば大丈夫という印象ももった。ただ、これは南方の話である。旅のほとんど九割近くを南方に費やしたために、それほど確証をもって言うことができないが、北方のホテルは南方よりも、清潔さという点においては、かなり落ちるのではないかと思う。

広西百色から楽業へ

 2004年度だけでも、中国国内で百ヶ所以上のホテル、旅館、招待所に泊まったが、そのなかで一番気に入ったのは、湘西(湖南省西部)鳳凰の小さな旅館で、一泊20元だった。部屋は小さいけれども、個室で、室内に水洗トイレがつき、お湯(シャワー)が出た。家を改築して旅館を始めたばかりで、木のいい匂いがした。僕が外国人だということで、わざわざベッドを少し大きなものに換えてくれたり、小さな椅子を持ってきてくれたりした。別れ際には、30代半ばのやや可愛目の女将が「そんなに早く旅立たなくてもいいじゃないの」とか「もっと泊まっていけばいいじゃないの」と少しあだっぽく言ってくれるおまけまでついた。

 外国人旅行者として一番気になるのは、やはり一体中国はいつになったら、自由に泊まれるようになるか、であると思う。南寧のある旅社で、「泊まれますか?」と恐る恐る聞いて「駄目!」とはねつけられた時には、正直傷ついた。中国人は日本では自由に泊まれるのに、どうして我々は中国では自由に泊まれないのだ」と改めて憤慨した。新疆やチベットだけに宿泊制限があるとしたら、その是非はともかくとして、そうせざるをえない立場は理解できよう。だが、それ以外の地域は、自由にすべきであろう。例えば僕が行った東南アジアで中国のような宿泊制限があるのはミャンマーだけだった。中国の治安はミャンマー並に悪いとでも言うのであろうか。

 ただ、実際に泊まれる泊まれないの線引きは、次第に曖昧になっている。線引きの一応の目安はホテルが「外国人宿泊登記表」を備えているかどうかだと思うが、それがなくても、ホテルが公安にお伺いをするからということで泊めてくれることもある。昨年5月に泊まった宜賓のホテルは、僕が最初の外国人客だった。夜11時頃訪ねたこともあり、その夜は何もいわず泊めてくれた。翌日、もう二泊延長しようとしてフロントに行ったところ、公安の指示で、居留証のナンバー、有効期限など事細かに聞かれた。外国人宿泊登記表があれば、僕に書かせるだけで、一々彼らが僕に聞く必要はないのだが、電話で指示されたらしく、質問項目の多さにうんざりさせられたようで、さかんに「麻煩!」(面倒くさい)を連発していた。たしかツイン・ルームで138元だった思うが、大きくきれいな部屋で、ベッドもほどよい硬さで、窓からの眺めもよく、とても満足だった。

鎮遠(貴州)

 同じく11月の安慶(安徽省)では、客引きに引かれ小賓館に泊まった。バスターミナルの周りには○○小賓館といった名前のホテルが数カ所あった。賓館よりもやや格づけが下ということであろう。部屋は、やや小さくて窓がないものの、清潔で、トイレ、シャワーがついて50元だった。そこで、実は自分は外国人だけれどもと、身分を明かし、結局、泊めてもらった。ところが、8時か9時頃だったと思うが、ドカドカと数人の靴音がして、ドアの前でとまった。荒々しくドアがノックされ、やはりと思いドアを開けると、思ったとおり、3人の公安がいかめしい顔をして突っ立っていた。先ほどのホテルの客引き(多分、老板娘なのだろう)が、彼らはあなたのことを心配して来たのだとか、安全をはかるために来たのだとか、僕に言い訳をした。彼らは誘ったてまえ僕が外国人とわかっても断れず泊めたがいいが、後で心配になって公安に連絡したのだろうと、僕は想像し、「根性なし」と、心の中でののしった。公安たちは、しばらく僕がどこから来てどこに行くかとか、職業は何かなどと問い、僕が旅行者で、翌日皖南の祁門に行くというと安心したらしく、パスポートをコピーした後、帰っていった。僕はきっと、こんなところに泊まっては駄目だなどと言われるかと思い、僕ら外国人にとって、安全で清潔な部屋であれば十分で豪華な部屋である必要はない、その点でここは十分だと答えようと待ちかまえていたのだが、意外にもその必要はなかった。

 各地を旅行して気がつくことは、地方によってかなり事情が違うということである。場所によっては、外国人を気軽に泊めるところもある。観光以外に産業がないような貧しいところは、却って宿泊しやすいように思う。また、県城クラスの町だと、その町で一番か二番目に良いホテルに行けば、たとえ外国人宿泊登記表がなくとも、つまりそのホテルが外国人を泊めると公安に届けていなくとも、泊めてくれる可能性が高い。もし、泊めてくれなかったら、あなたたちが泊めてくれなければ、一体どこに泊まればいいのかとごねればよいだろう。一夜ぐらいなら、大体は泊めてくれるはずである。なかには、登記はしないが泊めてやるなどというところもある。それに対し、省都やその下の地方の中心都市は、線引きがはっきりしていて、泊めてくれるホテルを探すのに骨が折れる。結局、自分が泊まったホテル、旅館、招待所の半分は、僕が最初の外国人か、最初の日本人だったはずで、僕の「大旅行」もそれなりに役には立ったと思っている。