中国的なるものを考える(電子版第10回・通算第53回)[注]

福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第10号 2006.1.15   
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>


山を見る:退耕還林は成功するだろうか

 旅を続けると、いつも山を見る癖がついていることに気がつく。もちろん、中国の田舎を回れば、長距離バスに乗っても、列車に乗っても、目の前に見えるのは、ほとんどの場合、田畑と山しかないから、山が眼に入ること自体それほどの意味はない。ただ、旅行から帰ってきて、撮ったデジカメの写真を見ると、意外に山を写した画像が多く、やはりつねに気にしているのだと気づかされることになる。

 そんなふうに山を気にするようになったのは、やはり最初の留学(1981年〜1984年)の体験が大きいと思う。初めて行った中国の旅で目にするものは、樹木のない裸の山ばかりで、かなりショックを受けたように思う。どうしてこんなに木が少ないのだろうと、強烈な違和感を感じた。現在の日本の森林被覆率は70%弱であろう。中国はといえば、おそらく10数%であろう(最近は専門家は森林被覆率より、バイオマスを重視しているので、森林被覆率の比較は、それほど意味がないのかもしれない)。僕らは生まれつき、山に木があるのは当たり前のように思っている。それが鬱蒼と生えているか、それともせいぜい山を覆う程度に生えているかの違いがあっても、山には木が生えるものだと思っている。筆者は北海道農村の生まれなので、高校の修学旅行で内地(本州以南)に来た時、北海道は、山の形が、内地と随分違うなと感じたけれど、でも、木があるのは同じだった。

 留学から帰った後、どうして中国の山には木がないのか、また逆にどうして日本の山には木があるのかが気になり、時々、その類の本を読んでみた。別に系統的に読みでみたわけでもなく、また、日中の植林文化についての概説書などというものもなかったので、何が分ったというわけでもない。ただ、千葉徳爾『はげ山の研究』(そしえて)、四手井綱英『言い残したい森の話』(人文書院)、牧野和春『森林を蘇らせた日本人』(NHKブックス)などを読むと、山に木があるということだけでも、大変なことなんだということを理解した。とくに、青森や秋田などの日本海側の海岸に防風林や防砂林として、百年も二百年もかけて営々として木を植えていく話には、感動させられた。多分、日本と中国の違いは、地域社会のあり方の違いだろう、それが山が森で覆われているのかどうかに関係があるのだと考えるようになった。

 さて肝腎の雲南は森が中国のなかでは最も残っている省の一つだとはいえ、現状ではそれほど楽観は許されないのではないかと思う。雲南は農業以外にこれといった産業もないので、観光には特に力を入れている。一般の中国人観光客も、雲南には緑が残っている、との印象を持っているらしい。だがそれは、中国人は木のない山を見慣れているので、雲南に来たら、緑が一杯だと感じ、満足して帰るのではないだろうか。それに対し、山に木があるのは当然だと思っている日本人や韓国人は、雲南の景色を見て、果たして緑豊かだと思うだろうか。もし、外国人が北方や南方の都市や殺風景な地方を回った後、雲南にやって来たら、たぶん満足するだろう。しかし、直接外国からやってきたり、タイ、ラオス、ベトナムを経て雲南にやってきたら、そうは思わない可能性が高い。

 雲南で最も重要な観光ルートである昆明・大理間は高速道路ができたばかりである(昨年三月通った時には、完成間近だった)が、道路沿いの景色は、だいぶ緑が剥がれた感じがして、興をそぐ。ひょっとして外国人は昆明・大理間を飛行機で飛ぶのかもしれないが、外国人旅行客が多くなれば、ここを車で走る客も増えるはずである。その際、果たして沿路の風景を愛でてくれるのだろうか。

写真:@騰衝
@騰衝
 
写真:A保山地区
A保山地区

 一昨年(2004年)4月、ビルマ国境の町、瑞麗を訪れ、途中、騰衝に寄った(写真@)。騰衝から保山に向かう途中、怒江を渡るあたりから、景観が変った。木のないむき出しの山が目につくようになった。保山は古くは永昌と呼ばれ、ビルマやインドに通じる要衝として知られる。それゆえ、早くから漢族が移住し、雲南としては漢化が進んだ地域である。保山に近づくにつれ、北方や南方の、小高い山のてっぺんまで耕しつくした光景が、そのまま目の前に広がってきたA。やはり、漢族は緑を喰う人々だと得心した。だが、漢族だけが、緑を喰う人びとではない。昨年1月初め、大理から南下、臨滄地区を通り(BC)、シーサンパンナに出て、それからラオス、ベトナム国境に沿い東進、河口に向かった(D思茅・江城間)。その途中、江城から緑春にかけて、おそらくハニ族かイ族の棚田を見ることができた。ハニ族の棚田は、それを専門に撮る日本の写真家がいるほど、美しい風景と知られている。だが、筆者が見たのは、山の斜面を畑にしているなか、ほんの一部が棚田になっている(E中央で白く光って見えるのが水田)光景だった。しっかり畦を組んだ段畑や棚田ならまだしも、ただ山の斜面を畑にすれば、表土の流出は免れまい。写真のような山肌が剥ぎ取られているような光景が一帯に拡がっていた。ハニ族の棚田については、王清華『梯田文化論 哈尼族生態農業』(雲南大学出版社)、哥布『大地彫塑 哈尼梯田文化解読』(雲南人民出版社)があり、棚田が単なる農業の範疇を越え、エコロジーからみて如何にすぐれたものであり、文化的に豊かな意義を持つものであるのかを力説したものだと言われている。筆者もいずれ読むつもりで二冊とも買ってはみたものの、何となく、読む動機を失ってしまったように感じた。

写真:B臨滄付近
B臨滄付近
 
写真:C双江付近
C双江付近
 
写真:D思茅江城間
D思茅・江城間
 
写真:E江城緑春間
E江城・緑春間

 貴州南部や広西ではいわゆるカルスト地形が各所でみられる。桂林があまりにも有名だが、桂林に似たような山(奇岩)が連なる地方は、陽朔、柳州、融安等、広西にたくさんある。右江沿いの天等Fや紅水河沿いの天峨Gなどは、誰も似ているなどとは言わないが、でも写真で見るとちょっとした趣は感じられる。友誼関(ベトナム国境の近くで、そのことをタクシーの運転手に言ったら、水が違う、と即座に答えが返ってきた。つまり、桂林の美しさは山や奇岩ばかりでなく、水景の美しさでもある。でも、この辺は山はたしかに奇岩が多く似てはいるが、水辺の美しさがない、とのこと。なるほど、と納得。

写真:F天等
F天等
 
写真:G天峨
G天峨

 しかし、それにしても不公平だと思う。地形のちょっとした違いでというべきか、天の配剤というべきか、その違いが一方は世界的な観光地となり、他方はただの田舎町となる。だが、これはまだ良い方かもしれない。雲南、貴州、広西三省が交差する貴州南部興義、広西隆林一帯は、石や岩ばかりの山が目立つ(H谷合に小さな畑田が見える)。広東韶関地区楽昌県から湖南臨武一帯もまた、同じような景色にぶつかるI。これでは観光どころか、農業だってままならない。しかし、同じ沿道にはJのような風景も見られる。現在手元にある広東省地図冊(広東省地図出版社)を見ると、楽昌県はカルスト地形で、坪石鎮の北側に屹立する金鶏嶺は広東八大風景に数えられる、とあり、少し救われた感じがする。

写真:H隆林興義間
H隆林・興義間
 
写真:I楽昌県
I楽昌県
 
写真:J楽昌県坪石付近
J楽昌県坪石付近

 貴州は最も貧しい省の一つだが、そのなかでも貧しい西北部(畢節地区)は、木のない岩がごつごつした山が続く。なおかつ、そのような山にもトウモロコシが植えられている。トウモロコシはその根の特徴から、土壌流出の原因にもなると記憶しているが、辛うじて薄い表土が残っている山肌にトウモロコシを植えるのは一層表土流出を促すことになるのではないかと危惧した。そのうち、トウモロコシも植えられなくなるのではないか、そうしたら農民たちは一体どうするのだろうと考えた。一番いいのは、低地の水田以外は耕作を止め、自然に帰してやることだと思う。そうすれば、少しは潤いが出て、景観も回復する。でも、それでは、今、山を耕して食いつないでいる人びとは食べていけなくなる。一体どうすればいいのだろうか。

 結局は、どこかに働き口があれば、ということになる。ちゃんと働いて食べていけるところがあれば、人は何も山などを耕しはしない。安徽省南部は山がちだが、今では、誰も山など耕そうとしなくなっているのでは、という印象を受けたK。たった一日だけしか泊まらず、通り抜けてしまった浙江も同じ印象を受けた。沿海部もしくは大都市に近い地方では、茶だとか柑橘類を植える以外には、もう山など耕す必要はないのだろう。南方では少なくとも1000ミリぐらいの雨は降るはずであり、北方のような苦労、手間をかけなくとも、ちょっとした工夫で、耕やさなくなった山に木が戻ってくる可能性が高いように思う。Lは、湖南常徳から湘西張家界への沿線の風景である。もう低い山さえ耕されていない。

写真:K安徽南部
K安徽南部
 
写真:L常徳地区
L常徳地区
 
写真:M金沙江峡谷
M金沙江峡谷

 Mは、金沙江沿いの風景である。金沙江は峡谷といってもよいほど、深い谷をなしている。もうまっすぐ立って耕すのも難しいほどの傾斜地を耕している人が大勢いる。「退耕還林」(耕地を森林に戻そう)というスローガンをよく見かけるN。だが、内陸部の人々にとって、耕地に代わるものがないかぎり、簡単にはいかないだろう。

写真:N広西東蘭県(退耕還林)
N広西東蘭県(退耕還林)