中国的なるものを考える(電子版第11回・通算第54回)[注]

福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第11号 2006.3.15   
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>


雲南人と照葉樹林文化説

 最近、日曜日に時々公園に行く。大体は、都内の、比較的大きな、公園もしくは公園のようなところである。お目当ては樹木で、代表的なものにはみな名札がついている。なかには、詳しい説明がついたプレートが添えられているところもある。名札やプレートをみながら、アラカシだとかマテバシイだと名前を覚えていく。だが、なかなか名前を覚えられず、苦戦している。でも、いずれ、大体、見当がつくようになるだろうと、楽観的にかまえている。公的な機関の市民サービスが随分進んでいると感じるのは、自然教育園だとか自然観察園では、専門家による自然についての講座や講習会があったり、観察ツアーが行われており、ほとんど何も知らない我々でも、自然について何がしか--人によってはたくさんのこと--を学ぶことができることを知った時である。

 以前から、草や木の名前を覚えたいと思っていたのだが、なかなかその機会がなかった。論文やエッセーのなかで、エコ・システムとか地理的環境という言葉を使っても、実際には、身の回りの草や木について何も知らない、というのが気がかりであった。自分の自然についての知識は、北海道の農家に生まれ、高校を出るまで、嫌々ながらではあったが、家の手伝いをしながら大きくなった、という体験にもとづくもの以外には、読書で得た表面的なものばかりである。不思議なことに、故郷に戻れば、家の周りに植わっている木が何の木か、何の草であるか、今でもほとんど言える。そのほとんどは、農作業を通じて父親から教えてもらったものである。でも、それは数からすれば幾らもないし、また東京や埼玉の草や木を言うにはまったく役に立たないものである。北海道と本州の間、津軽海峡には、両者の動物相を分けるブラキストン線が走っているが、それは同時に植生の違いにもなっている。北海道の植生のなかで育った者は、内地ではまったく違った植生に出会うことになる。つまり、自分が内地の草や木を知らないのは、無理もないという訳である。多分、来たばかりの頃、内地の植生に親しむ機会があれば、草や木を覚えることもできただろうと思うのだが、職場にせよ学校にせよ、当時を考えればそのような機会はまったくなく、知らないまま過ぎてしまった。

写真:マイチャウ:白タイの郷(ベトナム)
マイチャウ:白タイの郷(ベトナム)
 
写真:田植えの休憩時(大理)
田植えの休憩時(大理)


 大学の教員となり、在外研究期間を雲南で過ごそうと決めた時、雲南など中国の西南地方を理解するためには、やはりエコ・システムや植生の理解が必要であろうし、そのためには事前に準備した方がよいと思いながら、忙しさにかまけて、何の準備もしなかった。三年前の四月、昆明に向かい、その後、主に雲南、貴州、広西、タイ北部、ベトナム北部、ラオス、ビルマを旅したわけだが、他のたくさんの日本人の旅行家や写真家、或いは研究者と同じく、それらの自然や文化が似ていることにとても興味を持った。かくして、誰もが思いつくように、筆者もまた照葉樹林文化説に思い当たることになった。だが、悲しいことに、筆者は照葉樹林にまったく馴染みがない。照葉樹林を構成するカシ、シイ、クスノキ、そしてツバキさえ、北海道には生えない。だから例えば、クスノキは筆者には『となりのトトロ』のイメージそのままである。幸いにも映画をみた頃、子どもたちをつれて歩いた散歩コースの神社に生えていたので、辛うじて覚えることができた。ツバキは中国語では山茶(shancha)、雲南を代表する花であり、筆者が通った雲南民族大学の中庭にも生えていたのだが、同じ年配の同学(日本人)に「あの赤い花は何?」と尋ね、「あれは山茶、雲南ツバキだ」と教えてもらうまで、知らなかった。カシ、シイ類にいたっては、名前がついていないかぎり、今でもうまく名指すことができない。

写真:椿に見えるのだが(大理)
椿に見えるのだが(大理)

 それでも、照葉樹林を構成する樹木について、現在では幾つも名前を挙げることができる。また、照葉樹林が何故、照葉と呼ばれるのかについても、多分そらで言えるであろう。それでさえ以前はできなかったので、できるようになった自分はたいしたものだと思うことにしている。ただ、この分では照葉樹林文化をエコ・システムや農耕の側から論じることは、おそらくできないで終わるであろう。もちろん、もし照葉樹林文化説を検証しなければならないとしたら、我々がやらなければならないのは、むしろ、照葉樹林文化地帯に住み、その文化を担うヒル・トライブとか少数民族と呼ばれる人びとの、社会システムと文化の関り、或いは社会システムとエコ・システムの関り、そしてその関りの変遷といった歴史の側からのアプローチであろう。

 雲南で暮らし始めてしばらくが経ち、雲南の漢族や少数民族の様子が少しわかってくると、どうも照葉樹林文化説はあたっているようだと思うようになった。相変わらず理解が中途半端なので正しいとか正しくないなどと言うことはできないが、思いあたるところが多々出てきた。自分のエコ・システムとか農耕文化への理解が不十分のまま、照葉樹林説をどのように扱えばよいのか、わからなかった。自分に都合の良いところだけをつまみ食いするという手もないわけではないが、せっかくエコ・システムや農耕文化ばかりでなく、現実に生きている中国西南やインドシナの少数民族やヒル・トライブの社会システムや民族文化を、つなげて考えることができる可能性がある仮説をあまりぞんざいに扱うのも、躊躇された。東南アジアや中国をフィールドとしている研究者たちが、どのように照葉樹林文化説を取り扱っているのか気になるところなのだが、日本を離れては充分に知ることができなかった。思えば、桜井由躬雄『緑色の野帖』(めこん)では照葉樹林をなんのコメントをつけずに普通に使っており、さらに同『米に生きる人々』(集英社)では照葉樹林文化説に拠りながら、タイやベトナムの農耕文化を紹介しており、それらは雲南に行く前に読んでいたはずであったが、漫然と読んだためか、照葉樹林文化説云々に関しては、充分な印象を残していなかった。やむをえず、チェンマイに出たおり、梅林正直先生(三重大名誉教授)に、照葉樹林文化説についてどう思っておられるのか聞いてみたところ、おおむね妥当であるが、ただ「畑作を行っている人々と、水稲を行っている人々の文化には違いがあることに注意すべきだ」と言われた。いかにも、水稲民族であるタイ系の人々をこよなく愛しておられる梅林先生ならではの答えであった。自分のようなただの読者ではなく、農学(特に土壌学)専攻の梅林先生から肯定的な答えをいただいたことで、何となく自分の感覚に自信がついた。

写真:まるで神社の階段?(湘西鳳凰 1)
まるで神社の階段?(湘西鳳凰 1)
 
写真:その奥の祠(湘西鳳凰 2)
その奥の祠(湘西鳳凰 2)

 照葉樹林文化説には、東南アジアや雲南好きの日本人を喜ばせたり、有頂天にせさるところがあり、そこが逆に用心すべきところのように思われる。上山春平や佐々木高明の照葉樹林文化に関する著作を読めばわかると思うが、彼らの発想の新鮮さやうんちくの深さにはいつも驚かされる。だが同時に、彼らの推論の自由さ、奔放さに違和感も感じることもある。中途半端な理解でしかない段階で、あれこれいうのは憚られるが、やはり少し気になるところがある。たとえば、文化論の一つとして、数ある文化論から自らを際立たせるためにも、西アジア半月弧に対しての「東亜半月弧」の提起も必要なのかもしれないし、同地域における「稲作起源説」にも力が入るのかもしれない。だが、雲南やそれと接したインドシナの文化を理解するために、それらがどうしても必要かと問われれば、疑問である。照葉樹林文化説による雲南や東南アジアの文化理解には、「東亜半月弧」や「稲作起源説」などは--もちろんその仮説が確かめらればそれはそれでよいであろうが--、多分必要ないであろう。そのようなものがなくとも照葉樹林文化説は充分に魅力ある仮説であり、「東亜半月弧」や「稲作起源説」が失われたとしても、本質的なところでは何も失うものはないと考えている。

 我々のように、雲南やタイ北部に足しげく通うものにとっての最大の関心は、彼らの「人間のあたりのやわらかさ」といったものが、いったいどのように形成されたのだろうか、ということだろう。このことと照葉樹林文化説とは関係があるのだろうか、ないのだろうか。今のところ、この二つを結びつけて説明してくれている著述はないように思う。筆者自身も、今後これをうまくつなげて説明できるかどうか、わからない。ただ、その前に、照葉樹林地帯に住む人々の社会システムが、漢族やヒンズー教徒と、大きな違いを有していること、それは説明できそうである。それが根源にあるかどうは別として、はやり照葉樹林文化の特徴となっている「歌垣」に注目すべきであろう。歌垣のある社会には、家父長制はうまく浸透しえないように思う。男女が家族(父母)の干渉抜きで結びつくような社会では、漢族のような宗族は成立が難しい。結局、社会の単位となるのは、宗族のような家父長制的な大家族ではなく、プリミティブ(原始的)であるとはいえ--部族的もしくは地域的な--我々に馴染みのある「共同体」だということになろう。男女が比較的自由に語らい、相手を選ぶことができるということは、ある結果をもたらす。若い女性の笑顔が多くなる。漢族、雲南漢族、雲南の少数民族を比較した場合、若い女性が知らない男性に笑顔を振り向ける可能性は、後者の順に大きくなる。相手を自由に選べる社会では、若い女性の立場からみれば、自分がいかに自分の魅力を自分に近づいてきた男性に強く印象づけるかどうかが、ポイントになると思われる。「歌垣」においては、魅力の中心は歌や踊りであるかもしれないが、ハレの日に対しケの日を考えれば、彼女達の武器は「笑顔」「微笑み」であろう。逆に、自由に選べない社会において、少女達の「笑顔」や「微笑み」は意味をもたない無駄な投資である。それどころか時には禍のもとである。

写真:水掛祭に集まった少女達(徳宏)
水掛祭に集まった少女達(徳宏)

 いまや日本の少女たちの魅力を世界にアッピールすることになった「可愛い」らしさの追求には圧倒される(最近、帰国直前の中国人留学生を連れ秋葉原のメイド・カフェに行った)。旧人類に近くなった我々には少しやりすぎかなとも思う。1980年以降、東アジアから東南アジアにかけて、席巻し続けている日本の少女達のファッションセンスも、同じ路線の延長線上にあるのだろう。照葉樹林文化地帯の少女たちが海の向こうからやってくる新しいファッションに対抗できるかどうか、筆者にはとても想像がつかない。だが、たとえ何もなくとも--実際には伝統に培われたファッションセンスがあるが--、彼女達はこれまでと同じように「笑顔」や「微笑み」で十分に切り返してみせるだろう。

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