中国的なるものを考える(電子版第13回・通算第56回)[注]

福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第13号 2006.7.15   
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>


カフェは雲南文化

 中国の田舎を旅する時、当然のことだが、まだ、いろいろと物の不足に耐えなければならない。ただ、物の不足は、僕らが最初に留学した1980年代初頭とは、随分様相を異にする。例えば、20数年前だとしたら、トイレット・ペーパーですら、都市で買って持って行かなければならなかったが、幾らなんでもそんな必要はなくなっている。だが、国の隅々まで、都市風の消費文化が行き渡っているように見えても、やはり我々が欲しいものを買うためには、少し大きな都市に行かなければならない場合もある。いつも不便に思うのは、野菜ジュースやプルーン(西梅ximei)は、かなり大きな都市でなければ売っていないことである。一般の商店には、果物ジュースしか置いていない。日頃、健康にあまり注意を払わない筆者の数少ない健康食品が、野菜ジュースとプルーンであり、特にプルーンは、低ヘモグロビンと診断されて以来、食べるように心がけているので、なければとても困るのである。
 さすがに、昆明や貴陽、南寧といった大都市では、大きなスーパーや百貨店があるので、何日かに一度、買出しに出かけまとめて買ってくる。だが、地方都市ではそうはいかず、県城クラスでは、ほぼ購入を諦めることになる。一度、建徳(浙江)のスーパーで、野菜ジュースの小さなパッケージを安売りしているのにぶつかり、6本買って、リュックに入れて毎日一本飲んでいたが、その間リュックが重くて困った。小さなリュック一つ(時には二つ)で旅をしている人間にとって--時々本を買うので、小さな割にはとても重くなる--野菜ジュースをまとめ買いするのもままならない。
 これは、僕ら日本の都市の消費者の消費パターンが随分、昔とはかけ離れたものになっていることから来ている、ズレの問題だと思う。野菜ジュースやプルーンなんてものは、僕らも以前は飲まなかったし、食べなかった。田舎の人が想像する都会風の生活には、果物ジュースが欠かせないとしても、わざわざ野菜ジュースを飲むなんて考えもつかなった。というのも、普通の食事さえしていれば、野菜については問題なかったし、鉄分だって補給できていた。ところが、都市化がさらに進行し、生活が個別化し、不規則になるにつれ、偏った食事を補うものとして、野菜ジュースを飲んだり、プルーンを食べたりするようになった。事実、上海のコンビニでは、野菜ジュースを売っている。やはり、中国でも日本と同じような生活の変化が起っているのだと思う。
 たまたま行った上海で便利だと思ったのは、コンビニの多さと、小さなレストランや喫茶店があることだった。僕らのような、一人で食事をする人間にとって、大きなレストランはかえってストレスになる。レストランで食事をするということが、まだ特別な意味を持つ社会では、外食はみんなでするもので、一人でするものとは考えていないのではないかと思う。北京ではみかけない、小さな小奇麗なレストランや喫茶店が、上海にあるのを見て、この差は、生活の個別化が進行している度合いに依っているのではないかと推測したが、多分あたっていよう。
 中国で不自由したものがもう一つある。コーヒーである。自分が何時ごろからコーヒーを毎日飲むようになったのかはっきりとはしないが、多分、東京に出て5、6年頃には、飲む習慣ができていたように思う。1970年代の初めである。筆者のコーヒーは、ただブラックで飲めればよいという程度のものである。インスタントでもフリーズ・ドライであれば、大抵のものは美味しいと思って飲んでいる。1980年代初め頃は、中国産のコーヒーと言えば、海南島産のものが友誼賓館の売店で買えたと思うのだが、正直いってとても美味いとはいえない代物であった。今は、インスタントでよければ、マクスウェルでもネスカフェでもスーパーで買える。カフェでは雲南コーヒーが飲める。雲南でコーヒーを産するのは、西部の保山(Baoshan)と南部の思茅(Simao)だが、多分、我々が日頃飲んでいたのは保山のであろう。ネット上では、雲南アラビカの名前で日本でも売られている。これは、ベトナムやタイ産のコーヒーと同レベルのものではないかと思うが、筆者はけっこう気に入っている。

写真:① カナン(昆明文化巷)
① カナン(昆明文化巷)

 最初に雲南コーヒーを飲んだのは、昆明文化巷のカナン(迦南地)だった①。昆明に行ったばかりの頃、宿泊していた雲南大学の外国人向けの招待所が文化巷にあったので、毎日のように通っていた。そのうちに、辛いだけの雲南料理が食べられなくなったので、カフェで食事をするようになった。不思議なことに、カナンもプラハ(文林街)も、洋食のほかにカツ丼や生姜焼きといった和食を置いている。正確に言えば和食に似たものが食べられるといった方があたっている。カフェ通の小明(日本人)によれば、麗江や大理のカフェの影響らしい。麗江や大理(古城)のカフェで働いていた料理人たちが、昆明のカフェで働くようになった結果、昆明のカフェでもカツ丼や生姜焼きが食べられるようになったらしい。そして、麗江や大理のカフェの和食は、足しげく通っていた日本人のバックパッカーが教えたらしい。雲南コーヒーには随分お世話になったが、雲南に行ってから辛いものを食べるとすぐに下痢をするようになったので、カフェの和食にも随分助けてもらった。
 だが、カフェがある町は、限られている。自分が普段旅行している県城クラスだと、まずないといってよい。それでも、雲南はまだよい方だろう。例えば騰衝(Tengcheng、抗日戦争の激戦地)のような田舎町でも、喫茶店(緑島珈琲)があった。マスターはまるで日本の喫茶店にでもいるような雰囲気の30歳前後の男性だった。自分が日本人であることを告げても、何のくったくもなく、騰衝の郊外は秋が一番美しいので、秋にもう一度来いと薦めてくれた。今思うと騰衝の町は不思議な活気があった。いたるところに家具屋があり、できばかりの家具を売っていた。ミャンマー国境に近い町であったことを考えると、町はミャンマーからの材木の密輸入と家具製造で潤っていたのだろう②。

写真:② 騰衝
② 騰衝
 
写真:③ チェンライ(タイ)
③ チェンライ(タイ)
 
写真:④ ラオカイ(ベトナム)
④ ラオカイ(ベトナム)

 カフェに限って言えば、多分、雲南はタイ③やベトナム④と繋がっている(大きなホテルのレストランは別の文化に属する)。バンコクのカオサン・ロードやチェンマイの、たとえばターペー・ロードなどのオープンカフェに始まり、ハノイやルアンプラバンを経て、大理や麗江、シャングリラ(中甸)のカフェに至るまで、とても似た雰囲気を持っているように思う。2003年夏、初めてチェンマイ⑤を訪れた時には、洒落たオープンカフェが多いので、とても嬉しかった。夕暮れ時など、初老のファラン(欧米人or白人)がポツンと一人しょざい無げにコーヒーを啜ったり、ビールを飲んでいるのを見て、なんだか絵にあるような世界だなと思った。西欧人であるあなたが、どうして、こんなところまで来ちゃったの、などと声をかけたくなった。

写真:⑤ チェンマイ(タイ)
⑤ チェンマイ(タイ)
   
写真:⑥ 陽朔西街
⑥ 陽朔西街

 結局は、麗江や大理のカフェも、外国人相手に始まったのだろう。或いは外国人自身が中国人のパートナーと一緒に始めたのかもしれない。大理古城の洋人街(Yangrenjie)には、数えただけでも30数店のカフェがたち並んでいる。同じく外国人バックパッカーの溜まり場として知られる広西陽朔の西街(Xijie)⑥も、数は大理には及ばないにしても、たくさんのカフェが並んでいる。最近は麗江も大理も、中国人観光客で埋まっていて、外国人がかえって少し引いてしまった感があるが、カフェが並ぶ風景は中国人観光客にはもの珍しいらしくけっこう繁盛しているように見える。
 喫茶店もカフェもない農村地帯を旅している時、コーヒーはしばらく我慢するしかない。貴州黎平では、やっと見つけたファーストフード店のような所でコーヒーがメニューにあったので注文したところ、甘いコーヒーが出てきた。砂糖とミルク入りのパックを使ったのだろう。砂糖が入っていないのはないのか、と聞くと、これしかないとのこと。諦めて飲むしかなかった。
 農村地区を旅する時、乗り継ぎの中継点として利用する県城と省都の間の中級規模の都市(地区の中心)では、マグドナルドやケンタッキー(フライドチキン)、或いは徳克士(Dekeshi)のような中国のファーストフードチェーンが進出している可能性がある。貴州畢節(Bijie)のような田舎町でも、地方行政の中心のせいか少し賑やかな通りがあり、徳克士が店を出していたおかげでコーヒーにありつくことができた。遵義(貴州)、瑞金(江西)、百色(広西)、西昌(四川)、安慶(安徽)といったところでも、ファーストフード店を利用し、コーヒーを飲むことができた。探せばこれらの町でも他にコーヒーを飲ませるところはあったかもしれない。だが、短い時間に見つけようとすれば、やはりファーストフード店を探すのがもっとも手っ取り早く、確実な方法だと思う。それから、レストランなどでコーヒーと書いてあっても、入りにくい場合がある。茶楼、茶館風のところも、出入りが不自由に見え、入るのがおっくうになる。多分、筆者が雲南や東南アジア風のオープンな雰囲気を好んでいるせいだろう。そう言えば、雲南以外では、茶楼が主流のように見える。何度も立ち寄った湘西鳳凰は、麗江によく似た雰囲気の古鎮だが、カフェは一軒もなかった。一軒あったらしいのだが、訪ねた時には、店をたたんだ後で、ひどくがっかりした。
 ファーストフードチェーンのコーヒーに不満はないのだが、河南信陽では、商城行きのバスを待っている間、探しあてたマグドナルドで、甘いコーヒーを飲むことになった。「不放糖」(砂糖を入れないで)と言ったつもりだったが、従業員が入れなくても、もとから入っていたならどうすることもできない。要するに、日頃コーヒーを飲みつけていない人たちが入れたコーヒーに多くを期待することはできない、というだけのことだ。
 では、中国人はコーヒーを飲むようになるのだろうか。上海などの大都市ではよく上島珈琲の看板を見かける。多分、少しずつ飲む人間は増えてはいるのだろうが、大衆化するには程遠いように見える。昆明にいる頃(2004年)、邱永漢のエッセイ(『文藝春秋』or『諸君』)を読んだことがある。それによれば、四半世紀前、台湾でコーヒーを飲む人は少なく、喫茶店も町に一軒もあればよいほどだった。ところが、四半世紀たってみると、台湾のどの町のどの通りにもコーヒーを飲ませるところがあるくらい、コーヒーを飲む人が増えた、といった内容だったと記憶する(彼は、今、保山のコーヒー園に投資しているらしい)。邱永漢が予想するように、中国人がコーヒーを飲むようになれば、県城あたりでも、不自由なくコーヒーが飲めそうである。ともあれ、生活の個別化のいっそうの進展に期待するほかない。それからもう一つの疑問。彼らはカフェで静かにコーヒーを飲むことはできるのだろうか。筆者が通ったカナン(文化巷)の雲南コーヒーは最初一杯6元だったのだが、ある時から、5元になった。多分その時からだろう、地元の学生が増え、僕らは次第に足が遠のくようになった。彼らの話す大きな声で、読書したり、コーヒーを啜ったりするどころではなくなったからである。彼らにとってカフェは茶楼や茶館の延長なのだろう。声をひそめて話す癖をつけて欲しい思う。

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