中国的なるものを考える(電子版第14回・通算第57回)[注]

福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第14号 2006.9.15   
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>


洋人街(Yangrenjie)考

 今夏も一月ほど、タイ、雲南を訪れた。バンコクからチェンマイを経由して昆明に入り、昆明に残してあった本(まだ600㎏以上はあった)を日本に送った後、大理に向かい、その後、雲南西部の町、六庫、騰衝、盈江、瑞麗を回って、再び昆明に戻り、チェンマイ、バンコクを経て日本に戻ってきた。昆明やチェンマイ、バンコクでやはり雲南や東南アジアに関する洋書をバッグ一杯に買い込み、重い荷物に引きずりながらくたくたになって帰ってきた。
 昆明では、在外研究中(2003年4月から2005年3月)、親しくつきあっていた友人たちが、みな8月、9月に昆明を離れ、それぞれ旅立っていった。一期一会とはいうが、寂しいかぎりである。逆に収穫といえば、徳宏の町、盈江(Yingjiang)を訪れたこと。タイ族と漢族の、二つの文化が混ざり合う町の雰囲気、そして郊外のタイ風の農村風景をひどく気に入ってしまった。多分、いうほどの観光資源もないせいであろう、観光を目当てにした旅行者など、この町ではほとんどみかけることはない。だが、おかげで、のどかで、ゆったりした時間の流れを楽しむことができる①②。

写真:①盈江(徳宏)
①盈江(徳宏)
 
写真:②ダンスの夕べ(盈江)
②ダンスの夕べ(盈江)

 怒江地区や徳宏地区の町には、昆明から直接バスが出ているのだが、今回も大理を経て向い、また帰りも大理で一泊してから昆明に戻った。大理(古城)は、世界遺産に指定された麗江の後塵を拝したまま、客足があまり伸びていないようにみえる。ただ救いは、若い中国人旅行者をよく見かけることである。若い中国人たちのお目当ては、多分、洋人街散策であろう③。洋人街とその周辺には、三、四十軒のカフェが並んでいるが、そのカフェで洋食を食べ、ビールなどを飲み、連れと駄弁るのが彼らにとってお洒落なのだろう④。

写真:③洋人街(大理古城)
③洋人街(大理古城)
 
写真:④カフェ菊屋(大理古城)
④カフェ菊屋(大理古城)

 昆明の大学街に近い文化巷や文林街のカフェも、最近は若い中国人が目立つようになってきた。とくに僕らがよく行くプラハは夜九時過ぎには、地元の高校生や大学生で一杯になる⑤。彼らはビールを飲み、トランプなどゲームをして時間をつぶしているが、うるさくて、とても傍でゆっくりコーヒーなど飲んでいられなくなる。やむをえず外国人は九時前には、退散せざるをえない。多分、これも、友達とカフェに行くことが格好いいと、思われるようになっているからだと思われる。外国人が多いことが、何かしら見るべきものを提供しているとしたら、それはそれでいいことには違いない。普通の町、或は普通の店とは違った雰囲気を味わおうと中国人の若者が足を運ぶ、それもまたよいことだろう。ただ、マナー次第では、かえって肝腎の外国人の足が遠のく結果になりかねない。

写真:⑤プラハ(昆明)
⑤プラハ(昆明)
 
写真:⑥カオサンロード
⑥カオサンロード

 バンコクのカオサンロードも中国風にいうと洋人街であろう⑥。2003年夏に、ベトナムへのビザを取得するためバンコクに滞在した時、四日ほどカオサンロードの近くに宿をとった。当時、タイで働いていた日本人から、「日本の大学の先生がカオサンなどに泊まってはいけません」と叱られてしまった。でも、カオサンは活気に満ちた魅力ある町である。今回、バンコクに着いた二日目、カオサンに泊まったのだが、最初宿を探そうと、カオサンの周辺を1時間ぐらい見て回った。町はとっくにカオサンロードから溢れ出し、南に北に伸びていっている。ホテル、ゲストハウス、オープン・カフェ、レストラン、旅行代理店、土産物屋、ブティック、ランドリー、インターネットカフェがびっしりと並び、延々続いていく。美容院、理髪店、宝石店のほか、食料品や日用品を売る店、さらにコンビニもある。また数は少ないがところどころに洋書(古書)を売っている店もある。そんな書店を散策していたところ、Elman R.Service, Primitive Social Organization : An Evolutionary Perspective(エルマン・サーヴィス『未開の社会組織--進化論的考察』)を見つけ購入。最近Marxist Historiographyなるものを探検中の筆者がずっと欲しかった本であった。レスリー・ホワイト、エルマン・サービス、マーシャル・サーリンズと続く、このアメリカ人類学の系譜は、マルクス主義と浅からぬ関係にある。同書もすでに発展論的人類学の古典となっている。本のくたびれ具合からすると、きちんと読み込まれた痕があるこの本が、どうしてカオサンロードの小さな書店で古書として売られるに至ったのか、誰が読み、誰がタイまで持ってきたのか、に想像をめぐらすと、不思議な感じがしないわけではない。
 旅行書にはカオサンロードにはすでに70年代後半ぐらいから外国人が泊まり始め、安宿の魅力につられ、次第に、欧米人のバックパッカーが集まる町として知られるようになったらしい。町が大きくなるにつれて、その町を見ようと、国内外からまた観光客が訪れるようになり、町の発展をさらに促すようになる。今、カオサンで働いている人々は、そのほとんどが地方から来た人々であろう。また、都市の下層労働者層も少なからず含まれているだろう。カオサンの魅力が先ず、売っているものがなんであれ--物であれ、サービスであれ、その安さである以上、そこで働いている人々の賃金が高いなどと想像することはできない。農村からの出稼ぎ者もしくは移住者、そして最末端にはビルマあたりからの密入国者が、その安さを支えているのだろう。
 カオサンロードを中心とするこの洋人街を、経済発展論や都市社会学のような立場から何か言及がないのかとネット検索を試みたが今のところ収穫がない。その辺についてはまったくの素人だが、多分、面白い発展モデルになるのではないかと考えている。たとえば、カオサンに働く店員や売り子の子どもの立場から考えてみる。親は農村からの移住者で、片言の英語を操って何とか日銭を稼いでいる(よく言われることだが、タイの英語レベルは日本並、つまりあまり上手だとはいえないレベルである)。生活はたしかに不安定かもしれないが、子どもたちは、農村で暮らす子どもたちと比べ、少なくとも情報に閉ざされた生活を強いられているのではなく、むしろ開かれた生活を送っていることが重要なポイントだと思われる。彼らは、成人するまでに、都市の住人として如何に生きていくべきか、如何なる仕事に将来性があり、それにアクセスするためにはどのような技術を収得しなければならないかを学びつつ成長する。
 これは、都市に住人にとっては一々いう必要がない何でもないことかもしれない。だが、自分のように北海道農村に生まれ、高校卒業と同時に都市に就職した人間にとって、これはうらやましいかぎりの環境である。筆者が東京の町工場で働き始めた頃、自分たちと同じ年齢の、似たような学歴、能力を持つ都市の若者たちが、自分たちよりずっとよい仕事についており、高い収入を得ており、さらに自分たち農村出身者よりもずっとチャンスに恵まれていることを知り、この差は、到底一世代の努力では追いつけないと思ったことがある。実際には、自分のような者まで1980年代初めには中国に留学することができたので、一世代を要するほどの差ではなかったのかもしれない。だが、全体的に見て、農村出身者に対し、都市に生まれ育ったものの優位性は、現在も動かないであろう。バックパッカーの町、カオサンロードは、単に洋人街として面白いだけなのではない。そこに集まる働き手とその子どもたちにとっても、価値ある町なのだと思う。
 さて、中国の北京や上海の片隅に、カオサンのような町があったらいいと思うのは筆者だけではないだろう。いつも、北京や上海に行くたびに、宿泊には難儀している。たとえば夜、長距離バスで北京や上海についた場合、三、四百元を初めから出すつもりがあれば別だが、筆者のように百元前後をもっとも合理的な宿泊料だと考え、北京や上海でも、それに近い部屋代ですましたい人間には、つらい場所である。ホテル探しにうろうろしていると、結局、客引きにからまれたり、三輪タクシーに上前をはねられてり、散々な目にあうことになる。とはいえ、中国が外国人の宿泊を自由にすることは当分ないだろうし、都市戸籍と農村戸籍の壁が歴然として存在している現在、農村からの自由な出稼ぎを基盤とするカオサンのような町は、中国にはできないと考えるのが自然だろう。

写真:⑦蓮花池街(昆明)
⑦蓮花池街(昆明)

 ただ、せめて昆明のような省都で、外国人の宿泊を自由にしてくれれば、また別の展開もあるように思われる。たとえば、大学街を走る一二一大街から民院路や蓮花池正街に入り込めば、これが大学街と思われるほど、ごみごみとした脇道となっており、露店や屋台がびっしりと並んでいる⑦。そのまた路地には最近たくさんの小さな旅館--多分50軒や100軒ではすまないほど--がつくられ、週末にはたくさんの若い男女が入っていくのが見られる。もし、そのような一泊20元前後の旅館にも我々が泊まることができれば、多分、バックパッカーを中心としてそこに長逗留するものもでてくるだろう。外国人が宿泊する場合、問題は安全と衛生面での清潔さであり、多分、それをクリアーするのは、雲南や広西の場合、それほど難しくないと思われる。偏見かもしれないが、北方人より南方人の方が衛生面ではやや敏感なようにみえる(安全面では、宿泊者個人の注意や対策が重要だと思っている)。そうなれば、大学街及び電脳街に近い蓮華池一帯は、洋人街と化すかもしれない。ただ、それも(何度も言わざるをえないが)、戸口差別を解決しなければ、そのような洋人街で働く農村出身者及びその子弟は都市市民となる道を塞がれたままになる。

写真:⑧山谷
⑧山谷
 
写真:⑨山谷のカフェ
⑨山谷のカフェ

 最近、日曜ごとに東京の公園を巡ったり、町を散策している。散策は主に田端、日暮里から谷中、千駄木、根津あたりを中心として行っている。また、山谷から浅草へのコースも時々歩いている⑧⑨。山谷では、よく若い外国人旅行者を見かけるようになった。旅館の前にメール・アドレスを書いた看板を出しているところもある。出稼ぎ者や日雇い労働者の減少から、山谷では10年ほど前から、外国人パッカーなど観光客へとターゲットを変えたと聞いた。大阪の釜ヶ崎、横浜の寿もまた同じような転換を行っているらしい。一泊2000円くらいで泊まれるとしたら、若い外国人には魅力だろう。また、長い間、山谷の労働者を相手に営業してきた店主たちが、外国人の若者たち相手に、ちょっと言葉ができないからといって腰が引けたり、逃げたりするとは思えないので、相応しい取り合わせだと思う。だが、三、四回ほど山谷を通ったが、安い宿泊所に見合うレストランとかカフェといったものは、なかったように思う。多少外国人バックパッカーが増えても、カオサンロードのようなレストラン、カフェ、ブティック、旅行代理店、美容院、ランドリー、土産物屋といった組み合わせは生れないだろう。もし生れたとしても、そこで売っているものは日本産ではなく中国などアジア産のものだろうし、売り手もアジア系の人びとということになるのかもしれない。町を支えるような農村からの若い労働者など、日本には多分もう存在しない以上、カオサンでみた不思議な活気のある町が生れることもないだろう。

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