中国的なるものを考える(電子版第33回・通算第76回)[注]
(番外編)
福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第33号 2009.10.24 
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>

政権交代雑感
 8月末、総選挙による政権交代が実現した。おそらく我々の世代(団塊の世代)にとっても、多くの国民にとっても、半世紀来の出来事なので、二、三、言及しておきたい。まず、自民党の半永久的な独裁政権の崩壊が与える中国への影響についてである。どこかで、今回の日本の政権交代が、中国の現政権の多党制や議会制への移行の試みをいよいよ尻ごみさせることになるだろう、といった記事を読んだのが、少し気になっている。
 今回の日本の政権交代についての、中国政府の本音が如何なるものか、我々は知りえないし、また現在の中国に多党制や議会制への動きについても、我々の知るところではない。おそらく中国にとって参考になるのは、長期にわたったとはいえ多元的な権力にもとづく社会である日本の政権交代ではなく、1989-1991年における東欧及びソ連における共産党政権の崩壊であっただろう。当時のソ連は、中国と同じように、20世紀社会主義の社会、つまり単一権力にもとづく社会であり、東欧の社会主義政権もその亜流であったからである。
 政権交代というテーマにおいて、単一権力社会と多元的権力社会にもとづく社会の相違、差異は決定的なものである。たとえば、敗北した自民党は、何を失ったであろうか。確かに総選挙の惨敗に意気消沈し、無気力にはなっている。だが、誰か命を奪われたものがいたであろうか。誰かその財産を没収されたであろうか。また、旧悪をあばかれ、裁判にかけられたものがいるだろうか。社会的な譴責を受けているものがいるだろうか。報復されたものがいただろうか。誰も何も失っていない。誰も逮捕されたり、法的制裁を受けてはいない。せいぜい、そして権力へのアクセスが遠くなったという程度である。多元的な権力の社会では、野党といえども権力の一端につながっている。とく国会議員は多くの特権をもっている。落選した議員は、収入や権力へのアクセスの相当部分を失ったが、それは政権にあってもなくても、選挙で選ばれる議員の宿命であり、今回の政権交代に関わることではない。たぶん、自民党が失ったものの最大のものは、世間の関心であろう。
 逆に政権についた民主党は、脚光を浴び、閣僚や議員の行言動は注目の的である。おかげで、あまり人に知られたくない履歴を暴かれたり、政権獲得など思いもつかなかった時期の後援会の、政治資金を使ってのクラブ・キャバレー通いが暴露されたり、日々、鵜の目鷹の目に晒されている。ずっと冷や飯を食べさせられたあげく、ようやく権力にたどり着いたというものの、権力の執行は、厳しい批判の目に晒されながらようやくなしえるにすぎない。さらに、難題山積のおり、長期にわたって愚策を繰り返してきた前政権の尻拭いをしなければならない。ご苦労さんという以外にない。
 民主党は衆議院で308議席という絶対多数の議席を得たにもかかわらず、数の上では弱小政党である連立相手の国民新党や社民党に振り回され、また、目立ちたがりの若い知事からは、民主党が公約を破ればうそつぎ呼ばわりをすると脅されたりしており、一体民主党が掌握した権力とは、何であろうかと訝しく思うところがある。多元的権力の社会における政権奪取や権力掌握が、実際のところはあやうい均衡に乗っかっていることをよく示している。
 もし、権力交代というものが、このような程度ですむのだったら、誰もが権力の交代を恐れないであろう。権力への媚びへつらいにも、権力自身の腐敗にも、みなうんざりさせられている以上、権力の交代は、本来自然なことであろう。だが、平和裏の権力交代は、一般には少しも自然なことではない。その可能性は多元的な権力社会にのみいえることである。特に単一権力社会における権力の交代は、暴力沙汰や流血なしにはすまない。地位にしても、財産にしても、失うものはあまりにも大きくかつ多い。また敗北後、社会的譴責や個人的報復をも覚悟しなければならない。さらに、自分が地位や収入を失うばかりでなく、家族も同様であり、親族や友人もまた同様に地位や収入を失う可能性が高い。権力を失うことによって高まるリスクはあまりにも大きい。
 では単一権力社会は、多党制や議会制にもとづく多元的な権力社会に移行できないのであろうか。単一権力社会の内部から多元的な権力社会への移行が自然に生じ、かつそれが穏やかに実現するということは、今のところ想像できない。しかし、イギリスの植民統治下においてインドや香港の政治制度を近代化し、韓国、台湾の政治システムの変更がアメリカ軍のプレゼンスの下で実現したこと、あるいは東欧やバルカン諸国の体制転換がEUの影響下において実現したこと、あるいは実現しつつあることを考えると、外在的契機を巧みに利用する(織り合わせる)ことで、単一権力社会から多元的権力の社会への転換が可能になる道筋があるように思われる。ただ、やはりそれはすぐにというのではなく、世紀を超えた課題になろう。20世紀社会主義の全盛期と異なり、今やどの大国も世界市場に深く巻き込まれている。一国の政経のシステムを外部世界から都合に応じて遮断する試みは、当面はともかく、いずれ行きづまるであろう(もちろん、我々のシステムがそれより前に行きづまる可能性も絶対にないとはいえないが)。その時、単一権力社会においても、外部的契機をどのように内政化するかが問題となろう。外的コンテキストに合わせ、内部システムを変更するといったことが、高いリスクなしに実行しうる時期が来る可能性を信じたい。その時、周辺諸国も、タイミングよくその危機克服に参与することによって、単一権力社会から多元的権力の社会への転換を援助しうるであろう。天安門事件(1989年)の失敗から、我々が学ぶべきことはまだまだある。
 話題を戻すと、民主党をめぐる日本の権力構造にとって決定的に重要なのは、鳩山首相と小沢幹事長の権力の二重構造の問題である。これはジャーナリズムにとっては恰好の話題らしく、現政権に言及するとき、必ずといってよいほど取り上げられている。筆者の関心は、鳩山・小沢の力関係にあるわけでも、またその関係の是非についてではない。二人とも、カネをめぐる問題で、弱みを抱えており、この先どうなるのか予測がつかないが、この時期を逸すれば言及しても意味がないので、やはり少し触れておきたい。
 中国史を齧ったものとして、或いはロシアなど他の単一権力社会の歴史を学んでいるものとして、日本の政治において或いは日本社会において、権力の二重構造というのは、本質的なものであると考えている。それは是非の問題ではなく、是非を越えてつねに存在し続けており、国家レベルにおいてばかりでなく、小さな個々の組織にいたるまで、この二重構造の影響が及んでいると考えている。
 たとえば、古代における天皇と蘇我氏、天皇と摂関家、天皇と上皇(院政)、中世における天皇と将軍、将軍と執権、或いは近世幕藩体制における将軍と老中(時には大老)、各藩における藩主と家老などなど、権力はつねに二重であった。頂上に頂くのは象徴的な権力の所有者であり、実質的な権力はつねに第二位、第三位のものが担っていた。小さな組織においても同様である。筆者にもっともなじみ深い戦後日本の左翼組織においても、委員長、議長といった名目的には第一位のものより、つねに書記長の方が実質的な組織者、権力者であった。ソ連や中国においては、書記長や主席があらゆる意味においてナンバーワンであり、特に中国においては、第二位のものは、第一位のものによって犠牲に供せられるべき可能性のある危うい存在であった。毛沢東の犠牲になった劉少奇、林彪、鄧小平の犠牲に供せられた胡耀邦、趙紫陽の例は、中国における第二位の地位の危うさを象徴しているが、それらと第二位、第三位のものが実質的な組織者、権力者である日本の左翼組織の在り方には大きな相違がある。左翼組織は、一般には社会の現状の批判者、体制の変革者であるはずであったが、その組織の在り方はそれぞれの国家や民族の固有の伝統と無縁ではなかった。
 日本の社会において権力の二重構造は常態であり、かつ権力構造として安定しているということを自覚しておくべきである。ただ、時折、二重の権力を一身に集める人物が歴史舞台に登場する。だが、その短い時期(移行期)が終われば権力は再び二重化する。確かに、よく言われているように、権力の二重構造は権力の無責任につながる可能性を持っている。代表的なのは、1970年代、80年代の、自民党の田中派支配であろう。田中角栄の逮捕と自民党離脱の後、党外の政治家(田中)によって自民党総裁、すなわち首相が決定され、その政策が壟断されるという異常な事態は、二重構造の否定的な側面をよく示している。また、戦前の、天皇制ファシズムといわれる体制も、天皇の無謬性を隠れ蓑にしつつ、軍部が独走したことも、この権力の二重構造の悪しき側面の反映といえよう。ただ、それにもかからず、この二重構造は我々の社会の奥深いところに浸透しており、その存在の是非を論じてもあまり意味がない。むしろ、多元的な権力である日本社会の根本に、この権力の二重構造が存在するということに留意すべきである。
 アジア的生産様式論者である筆者にとって、何故、アジア的所有にもとづく古代専制国家を成立させたはずの日本において、その後、権力の多元化が進行し、中世において、多元的な権力にもとづく社会が成立したのかという問題は、現在、もっとも関心のある問題であるが、その一つの前提が、この日本社会における権力の二重構造の持続性である。以前のように、律令制、班田収受に代表される古代専制国家は、墾田永世私財法の施行を契機とし、土地私有が発生し、古代的な国家的土地所有制の崩壊につれて、衰退に向かったと説明されても、現在はそのまま受け入れ難くなっている。なぜなら、我々が知る他のアジア的国家においては、このような土地私有の発生は、なんら専制的な国家体制の変更を導かなかったからである。大土地所有と置き換えても事態は変わらない。古代から中世への転換は、戦前以来、マルクス史家の最大の関心事であり、石母田正『中世的世界の形成』や黒田俊雄の中世権門体制論を始めとして、すぐれた著作が何冊も筆者の書棚にも並んでいる。だが、三世一身法や墾田永世私財法の施行を国家的土地所有制或いは古代専制国家の崩壊と結びつけて考えるのは、土地私有そのものに対する過大評価であり、「大土地所有→所領の形成」という西欧の歴史にのみ適応可能な仮説によりかかりすぎていると現在は思うようになっている。たとえば、郡司層など開発領主が勧農権を行使し、領民に対する領主権を獲得していくプロセスについても、それ以前に権力の分有が前提として存在していなければ、あのように全国的規模には展開していかなかったのではないかと思われる。中国の荘園制や中東のイクター制などから、安定したシステムとしての、封建的な分国分権体制(多元的な権力社会)は生まれようがなかったことを考えれば、日本の古代から中世にかけて、ユニークな歴史展開があったとみなすべきであろう。
 古代専制国家の存在を否定する見解をとらないとすれば、天皇と摂関家の権力の二重性をどのように理解すればよいのだろうか。天皇家と摂関家を一体のものとして捉えるのは、一つの方便だとは思うが、一時、理論的困難を退けているだけのようにみえる。天皇と藤原氏にみられる権力の二重性は、すでに天皇と蘇我氏の間にもみられる。それどころか、吉本隆明によれば、この象徴的権力、宗教的権力と、社会的、経済的権力の二重性は、邪馬台国の卑弥呼と男弟以来のものであるという。文化人類学における山口昌男の古代王権論も同じテーマを扱っていて、ともに参考に値する。
貴種であるがゆえに、ひ弱で、傷つきやすく見える総理、鳩山由紀夫と、剛腕で世俗利害を集中的に体現しているかのような幹事長、小沢一郎の対比は、我々の伝統的な国家論や権力をめぐるパラダイムに依っており、事実はどうあれ、我々がみなそう信じたがっているということを示している。また当事者たちも、そのように振舞っており、多分、そうすることによって二人は、そう振舞わないことによって得られるよりも大きな、利益を得ているのだろう。
 それにしても、我々が邪馬台国の権力の二重性に言及できるのは、いまさらながらに『魏志倭人伝』の情報力のおかげである。さらに、法顕、玄奘などのインド紀行やインド誌、そして周達観のカンボジア報告(『真臘風土記』)など、中国歴代王朝の各国への使者、渡航者のなかに、すぐれたレポートの書き手がいる。それらがもたらす情報に、いまだ大きな恩恵を得ていることに、不思議な感慨をおぼえざるをえない。 
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