中国的なるものを考える(電子版第44回・通算第86回)[注]
福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第45号 2011.08.23 
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>

カウディナのくびき その三
 今度こそはと思い、1990年から2010年までの、アジア的生産様式論及び東方社会理論(カウディナ山道跳び越え論を含む)を、一気に読んでみた。たぶん、これまでの分と合わせ、アジア的生産様式論100篇余、東方社会理論100篇余、計200篇余りを読んだことになる。さらに、カウディナ山道資本主義跳び越え論の礎となった栄剣「関於跨越資本主義“卡夫丁峡谷”問題」(『哲学研究』1987年第11期)、およびおそらくは東方社会理論をタイトルに冠した最初の論文、張奎良「馬克思的東方社会理論」(『中国社会科学』1989年第2期)も入手し、1980年代後半の、これらの理論の草創期の雰囲気を知ることができた。
 筆者が入手したもののなかで、もっとも早い時期のものは、江婉貞「中国的発展不必通過資本主義制度“卡夫丁峡谷”」(『文匯報』1987年3月4日)である。この論文は、当時民主派の代表的論客の一人であった王若望などが主張したとされる、資本主義を跳び越え社会主義段階に入ることはマルクスの社会発展論に反しており、中国は資本主義をもう一度学びなおすべきだ、との資本主義補講論への反論として書かれている。ずいぶん、回り道をしたが、ここへきて、カウディナ山道の議論が1980年代後半になぜ始まったのか、ようやくわかってきたといえる。
当時の視点からいっても、今日的視点からいっても、資本主義補講論は間違ってはいなかったと思う。その後の中国の歩みはまさに、資本主義の補講そのものだったからである。それも、政治システムだけは伝統的なまま温存し、経済にかぎって資本主義をまねるという悪しき選択であった。権力の一極集中は修正されず、権力にぶらさがるものが栄え、富むという状況に何ら変わりはない。また、経済的に進んだ西欧から、ものや技術は欲しいが、文化的なもの、とくに考え方や制度的なものは受け付けないとする中体西洋論の横行をまねいている。
 おそらく、上記のような資本主義補講論を否定し、資本主義跳び越え論を如何に正当化するかという理論的課題が、カウディナ山道資本主義跳び越え論登場の背景であろう。というのも、その登場が、趙紫陽のもと社会主義初級段階論が登場した時期にほぼ重なるからである。初級段階の社会主義という微妙な表現は、受け取り方によっては、資本主義を再評価し、学びなおさなければならないという補講論に類似していたからである。この課題を担ったのが、多分、栄剣など若い理論家たちであり、彼らは晩年マルクスの人類学研究の再評価のなかから、「ザスーリチの手紙への回答および下書き」の意義を「再発見」したのであろう。このプロセスは、『馬克思主義来源研究論叢』第11輯(1988年、商務印書館)からもうかがえる。同書は、マルクスの人類学研究の理論的な検証を目指したものであるが、19本の論文のうち、カウディナの議論に関連しているものが8本ほど掲載されている。
 これでこの20年間の様子が大体つかめたと思い、アジア的生産様式論と東方社会理論の20年史を書き始めた。ところが、2000年まで進んだところで、4万字を軽く超え、5万字ほどになってしまった。所属大学の紀要は、4万字が限度なので、やむなく、あれこれ削りまくって、ほぼ4万字に合わせて提出してしまった。おそらく、2000年から2010年にかけての論争史を書くことはもうないと思う。というのも、理論的なことを考えるのは、後、1、2年と決めており、この1、2年に書かなければと思っているものが、この先すでに詰まっており、変更は難しいこと、そしてアジア的生産様式論争にせよ、東方社会理論(カウディナ山道跳び越え論)をめぐる論争にせよ、論争の帰趨はすでに1990年代の後半には定まってしまっており、2000年以降はその延長にすぎないので、内容的には平板なものにしかならないであろうし、それをまた書き始めようとするには、こちらにかなりモチベーションが足りないこと、などがその理由である。2010年代にまた新たな論争の盛り上がりがあり、その発端が2000年から2010年の間に淵源しているなどということになれば、別だと思うが、多分、そうはならないであろう。
 2000年以降に、読むに値するものがまったくないというわけではない。筆者が入手した2000年から2010までの論文は、100篇ぐらいだと思われるが、そのなかでは張光明の二つの論文「関於所謂“跨越資本主義卡夫丁峡谷設想”的真相」(『当代世界与社会主義』2003年第1期)、「従“跨越”到不可“跳躍”--重評普列漢諾夫的俄国社会発展規劃」(『当代世界与社会主義』2003年第2期)は、出色である。さすがに『馬克思伝』(中央党校出版社, 1998年 )の著者だけに、「ザスーリチの手紙への回答および下書き」をめぐる背景、とくにロシアのナロードニキとマルクスやエンゲルスの関係が詳しく述べられており、そこから、マルクスが東方社会における社会主義への道、すなわちカウディナ山道資本主義跳び越え論を構想するに至ったなどという議論はまったく成立しないことを力説している。だが、今のところ、唯一のカウディナの議論に関する総評である孫来斌「跨越資本主義“卡夫丁峡谷”20年研究述評」(『当代世界与社会主義』2004年第2期)は、カウディナ批判派の論文も公平にその名を挙げているが、何故か張光明には言及していない。
 2000年以降、議論は低調であるが、とくに、カウディナ派の議論のなかに、理論工作者や大学院生の業績稼ぎのような論文が一挙に増える。内容的にひどく平板で、書き始めから、決まった手順どおりに展開し、決まり切った結論へまっしぐら、といった類の論文が多くて、正直閉口する。
 同じく、2000年以降、アジア的生産様式論においても、ほとんど見るべき成果はない。というのも、1990年代末以降、アジア的生産様式を冠したタイトルを持つ論文のほとんどは、東方社会理論と区別のつかないものであり、厳しい言い方をすれば、東方社会理論の下請けとなっているからである。アジア的生産様式を冠した論文の数が減ったわけではない。1980年代、90年代と比べて、同じか、むしろ増えているかもしれない。たぶん、それ以前の、アジア的生産様式論=異端といったレッテル貼りがなくなったためであろう。アジア的生産様式を論じても、異端とみなされる可能性がなくなったということは、本来は良いことである。だが、それはアジア的生産様式論が東方社会理論の下請けとなり、理論的な牙を抜かれたからであり、従来のような本格的なアジア的生産様式論は、書きたくても書けなくなった、といっても良いかもしれない。牙を抜かれてしまえば、逆に魅力がなくなり、優れた書き手に恵まれることもなくなる可能性がある。たとえば、2000年以降、アジア的生産様式を積極的に論じているものに、趙家祥、王立端がいるが、両者ともに原始社会説、あるいは放棄説に立っており、本来の意味でのアジア的生産様式論とはいえない。また、王海明は東洋的専制に重点をおいてアジア的生産様式論を展開しているが、時として、その議論のなかに、専制主義の偶然性や選択可能性といった示唆をしており、評価が難しい。東方社会理論とそりを合わせながら、アジア的生産様式に言及している孫承叔の代表作に『打開東方社会秘密的鑰匙』(東方出版中心, 2000年)がある。この間ずっと探していて、やっと入手したが、時間がなく、まだ読んでいない。パラパラとめくった印象からすると、前半のアジア的生産様式論と後半の東方社会理論をたくみに縫い合わせ、現体制を理論的に擁護するスタイルを変えていない。盛邦和も同じく東方社会理論にそりを合わせながら、アジア的生産様式を論じており、そのスタイルも孫承叔に近いと思われる。

 最後に、「ザスーリチの手紙への回答および下書き」について、中国ではテキスト・クリティークが行われていないことは、すでに述べた。ただ、行われていない、と批判するだけでは能がないので、ここで、初歩的ながら、検討してみたい。カウディナ山道という言葉が出てくる当該個所の原文(仏文)を示すと、第一草稿の最初の出現箇所は

De l'autre côté, la contemporanéité de la production occidentale, qui domine le marché du monde, permet à la Russie d'incorporer à la commune tous les acquêts positifs élaborés par le système capitaliste sans passer par ses fourches caudines.

であり、このドイツ語、英語、中国語及び日本語訳は以下のようである。

Andererseits wird es Rußland ermöglicht, durch die Gleichzeitigkeit mit der westlichen Produktion, die den Weltmarkt beherrscht, der Gemeinde alle positiven Errungenschaften, die durch das kapitalistische System geschaffen worden sind, einzuverleiben, ohne durch das Kaudinische Joch gehen zu müssen.

On the other hand, the contemporaneity of western production, which dominates the world market, allows Russia to incorporate in the commune all the positive acquisitions devised by the capitalist system without passing through its Caudine Forks.

另一方面,和控制着世界市场的西方生产同时存在,使俄国可以不通过资本主义制度的卡夫丁峡谷,而把资本主义制度的一切肯定的成就用到公社中来。

他方において世界市場を支配している西洋の<資本主義的>生産と同時に存在していることは、ロシアがカウディナのくびき門を通ることなしに、資本主義制度によってつくりあげられた肯定的な諸成果のすべてを共同体のなかに組みいれることを可能にしている。(『マルクス・エンゲルス全集』第19巻、平田清明訳)
他方において世界市場を支配している西洋の生産が時を同じくして存在していることが、カウディーネの岐路を経ることなしに、ロシアが資本主義制度のつくりあげた肯定的な諸成果をこの共同体のなかに汲みいれることを可能にしている。(『資本主義的生産に先行する諸形態』国民文庫、手島正毅訳)

 第一草稿では、もう一か所、カウディナ山道が使われている。

Elle est à même de s'incorporer les acquêts positifs élaborés par le système capitaliste sans passer par ses fourches caudines.

 このドイツ語、英語、中国語、日本語訳は以下である。

Sie kann sich alle positiven Errungenschaften aneignen, die von dem kapitalistischen System geschaffen worden sind, ohne dessen Kaudinisches Joch passieren zu müssen.

It is in a position to incorporate all the positive acquisitions devised by the capitalist system without passing through its Caudine Forks.

它有可能不通过资本主义制度的卡夫丁峡谷,而享用资本主义制度的一切肯定的成果。

それは資本主義制度のカウディナのくびき門を通ることなしに、資本主義諸制度によってつくりあげられた肯定的な諸成果を、みずからのなかに組み入れることができるのである。(平田清明訳)
それは、カウディーネの岐路を経ることなしに、資本主義制度がつくりあげた肯定的な諸成果を汲みいれることができる。(手島正毅訳)

 なお、第一草稿には、削除されたパラグラフのなかにも、カウディナのくびきが使われているが、第二のものと、ほぼ同じ文である。

 以上の、仏文、ドイツ語訳、英語訳は、以下より入手している。ただし、各々のサイトの事情に通じているわけではないことを、予めお断りしておく。
http://www.communisme-bolchevisme.net/download/Marx_Engels_Textes_choisis_1875_1894.pdf
http://www.mlwerke.de/me/default.htm
http://www.marxists.org/archive/marx/works/1881/03/zasulich1.htm

 中国語訳については『馬克思恩格斯全集』第19巻から引用している。筆者のドイツ語は、5年ほど前から学び始めたものであり、現在もなお、辞書を引きながら、たどたどしく読む程度である。また、フランス語は、1年半前に学び始め、現在は大学の第二外国語の中級(2年生)レベルだと思われる。まだ、読書の用に足りていない。そのような筆者がテキスト・クリティークなどということは実におこがましいことだと考えている。ただ、誰かがやらなければ、次に続くものが出ないだろうと思い、あえて掲載している。どなたかに、とくに語学に堪能な方に、検証を引き継いでいただけることを期待している。
 上記の仏文及び各国語訳から理解できることは、中国語訳「可以不通過資本主義制度的卡夫丁峡谷, 而把資本主義制度的一切肯定的成就用到公社中来」、あるいは「它有可能不通过资本主义制度的卡夫丁峡谷,而享用资本主义制度的一切肯定的成果」の訳は、間違っているわけではない、ということである。中国語訳も、もし、それを日本語に訳せば、ほぼ同じ意味になるからである。だが、文のかかり方が、中国語訳では異なっている。仏文及びドイツ語、英語訳とも、できると言われているのは、資本主義が作り上げた一切の肯定的成果を吸収すること、自らのものにすること、である。そして、それはカウディナの岐路を経ることなしに、あるいはカウディナのくびきをくぐることなしに、可能となるのだということが後から追加されている(fourches Caudinesとはカウディヌスのふたまた山道であるとロワイヤル仏和中辞典にある)。つまり、仏文やドイツ語、英語訳では、中国語訳で問題となっている、カウディナ山道は「通過しなくてもよい」のか、それとも「跳び越えることができる」のか、といった議論は、最初から成り立たない、あるいは少なくとも文の中心的な意味ではないと考えられる。中国語訳が上記のような訳になったのは、sans+不定法、ohne+zu 不定詞、without+動名詞で表わされるような、~することなしで、を可能にする前置詞がないからである。各々の言語に、どんな言い方があるのか、ないのかというのは、ある意味では偶然の問題である。その偶然が、ここでは、とてつもない「大発見」を生むことに繋がったのである。逆にいえば、仏文、ドイツ語、英語訳を利用する限り、中国の理論家たちのような「カウディナ山道」に巨大な意味を持たせることはない、といえる。たとえば、シャーニン(Teodor Shanin)『後期マルクスとロシアの道』(Late Marx and the Russian Road, 1983)に収録されている「ザスーリチの手紙への回答および下書き」の英訳では、without having to pass under its harsh tribute となっており、カウディナのくびきは harsh tribute (重い負担、代償)と意訳されている。カウディナのくびきに、何か特別の意味があるとはシャーニンも考えなかったのであろう。以上は、カウディナ山道をめぐる議論が、どうして中国においてのみ生じたのか、ということを理解する、十分な手がかりになると思われる。
 では何故、中国の論争において、まったくといってよいほどテキスト・クリティークがなされなかったのであろうか。論文が数百篇もある領域において、まったくないというのも奇妙であろう。あるいはむしろ、テキスト・クリティークの不可能性が存在すると考えた方がよいのかもしれない。たとえば、中世においてラテン語もしくはギリシャ語の『欽定聖書』に翻訳の疑義が生じたりとすると、それは翻訳者やその批判者の問題ではなく、教皇や皇帝を含む聖俗支配者及び教会の問題に発展することを想起すればよいのかもしれない。
 反カウディナ派のなかに、原書あるいは洋書に接する可能性をもち、外国の文献を閲覧する可能性の高い人々が多く存在する。たとえば、1996年、反カウディナの論陣をはった段忠橋(1951年生)は、当時中国人民大学哲学院教授であったが、1990年代前半にエセックス大学で学んでおり、原文や独訳、英訳を閲覧することが可能であったと思われる。張光明(1955年生)は人民大学国際政治系で博士号を取得しており、2003年論文発表当時、中央編訳局研究員であった。さらに呉銘(1955年生)は、1996年当時、中国人民大学国政系博士生、つまり国際政治系の博士課程生であったと思われる。呉銘については、反カウディナの先陣を切ったすぐれた論考にもかかわらず、その後の消息がまったくないので、たしかなことは言えないが、当時、段忠橋や張光明と無関係であったと想定するのは不自然であろう。そのほか、許全興(1941年生)は当時中央党校副教授であった。また、陳文通はおそらく中央党校研究員であったと思われる。中央党校という党の理論機関から、カウディナ山道資本主義跳び越え論への批判が提出されたということ、これをどう理解すべきか、今となってはその手がかりをみつけることは容易ではないが、少なくとも、この事実は、党校という機関の性格を考える上で、興味深い事実であると思われる。上記からわかるごとく、呉銘以外は、いずれも原文や独訳、英訳を入手したり閲覧したりすることが容易であったと思われる。また、その呉銘にしても、入手の可能性はあったと考えられる。
 逆もまた真なりである。反カウディナ派が原文を読んでいた可能性があるということから、栄剣や張奎良などが、原文がどうなっているかを知らないという結論は出ないであろう。むしろ、カウディナ派の俊英たちもまた、原文を読んでいた可能性が高い。それは、『馬克思主義来源研究論叢』第11輯(1988年)からも窺えるように、マルクス『民族学ノート』(人類学ノート)研究に結集した栄剣(1957年生)ら若手理論家たちは、一般的に、原書や原文に高い関心を示しているからである。彼らは、原文を読んだにもかかわらず、それもでもなお、東方社会理論の中核にカウディナ山道資本主義跳び越え論を据えた、あるいはカウディナ山道の理論を主張し続けたと考えた方が、より合理的であろう。なぜなら、無理であろうとなかろうと、彼らは理論的に突破しなければならなかったからである。1980年代後半においては、資本主義補講論を論破するために、1990年代前半は、天安門事変以降の逼塞状況を打破するために、である。
 それゆえ、現在、原文を持ち出し、カウディナ山道資本主義跳び越え論が、マルクスの理論からも実証されえないといったところで、彼らは聞く耳をもたないであろう。だが、理論的な無理押しはいずれ破綻する。かの、世界史の基本法則、スターリンの歴史発展の五段階論は、20世紀社会主義の崩壊とともに、跡形もなく消え去った。カウディナ山道資本主義跳び越え論、あるいは東方社会理論は、中国がこれまで誇ってきた数々の理論、たとえば、主観的能動性に関する理論、儒法闘争史観、三つの世界理論などと同じように、いずれ記憶の彼方に消え去るであろう。だが、そのような時期が来るまで、なおしばらく現在の隆盛を享受し続けるであろう。