中国的なるものを考える(電子版第54回・通算第96回)[注]
福本 勝清
(明治大学教授)

プロフィール>>
電子礫・蒼蒼
第55号 2013.04.20 
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>

村松祐次『中国経済の社会態制』と原洋之介『クリフォード・ギアツの経済学』の間で その一
 ここ一年は、コミュニティ・ベースの水利システムにこだわってきた。ウィットフォーゲル流の大規模水利ばかりが、「水」にかかわる議論ではないことを強調してきたつもりである。本来は、その最後で、上記の二つの水利社会、すなわちウィットフォーゲルがいう水力社会と、コミュニティ・ベースの水利システムにもとづく社会を、商業や商人に視点を据えて比較してみるはずであった。二つの社会の人間たちが、市場(経済的なコミュニケーションの場)において出会った時、どのようなことが起るのかを、想像してみようというわけである。

 ちょうど、村松祐次『中国経済の社会態制』(東洋経済新報社、1949年)と原洋之介『クリフォード・ギアツの経済学』(リブロポート、1985年)を再読したところなので、前者に中国を、後者に東南アジアを代表させ、経済的取引に不可欠な、互いの社会の信頼の質といったものを検証するつもりであった。中国を水力社会、東南アジアをコミュニティ・ベースの水利システムにもとづく社会であると想定している。この想定には、たぶん、いろいろ、異論があるとは思われるが、まずは、そのような想定のもと議論を始めるつもりであった。
 ところが、クリフォード・ギアツのインドネシア経済論にはすでに、華僑商人が経済領域のなかにファクターとして組み込まれているらしきことを知り、とりあえず最初の構想を断念した。というのも、両者の伝統的な経済システムを比較したかったからである。ところが、原がクリフォード・ギアツを論じする際に、主に依拠している Clifford Geertz, Peddlers and Princes :Social Change and Economic Modernization in Two Indonesian Towns, The University of Chicago Press, 1963.(『行商人と王子』)を読み、すっかり気を取り直し、当初の想定どおり議論を進めることにした。『行商人と王子』に出てくる華僑商人たちは、伝統的なインドネシアの経済システムにとっては、あくまでも外的な存在として登場しているからである。実のところ、東南アジアは、ギアツのフィールドである島嶼部だけから成り立っているわけではない。タイやミャンマーなどインドシナ半島に住む諸民族の伝統的な経済活動が、ギアツのモデルに一致するかどうか、島嶼部を訪ねたことがない筆者には確信はないが、おそらく、それに近いものと考えて間違いないであろう。
 筆者が上記のような比較を思い立ったのは、前シリーズでも述べた、二つの水利社会の遭遇に、強い関心があるからである。古代中国において、黄河流域における専制国家の形成の歩みとともに、水力社会が成立する。筆者は、ウィットフォーゲル「水の理論」を論じる際、必ずと言ってよいほど問題となる、大規模水利の必要性が専制国家を招来せしめたのか、それとも専制国家の成立が大規模水利を可能にしたのかという議論は、卵が先か鶏が先かの議論と同じだと考えている。どちらが先かではなく、水利規模の拡大と国家権力の伸張は相互作用的に進展したのだと考えている。
 さて、コミュニティを中心に考えた場合、コミュニティ・ベースの水利システムにおいては、当該コミュニティおいて、その成員の間に、自らが担っている共同事業に対する、協働連関の可視性が存在し、それが、コミュニティにおける成員間の信頼をもたらしている。それに対し、水力社会における、水利の規模はすでにコミュニティのコントロールをはるか越えたものであり、コミュニティは単なる動員の対象でしかない。すなわち、大規模化した共同事業(公共事業)における参加者の協働連関の可視性はもう存在しない。それゆえ、上(地方政府・中央政府を問わず)からの労働や物資などの徴発に対して、コミュニティは受け身の存在であり、彼らができることは、その重い負担をただ互いに押し付け合うことだけである。つまり、同じコミュニティのメンバーは、互いに対し損をもたらす関係におかれている、ということになる。それゆえ、このようなコミュニティはすでに共同体ではありえず、コミュニティのメンバーは、同じ村落のメンバーではなく、異なった村落に住む、同じ親族組織(宗族)のメンバーを信頼している。
 話を元に戻すと、この二つの水利社会に住む人間たちが遭遇した場合、その関わりはどのようなものであろうか。前シリーズ第三話「“桃源郷”の水利システム」はそのような動機を秘めて書いている。だが、北方に成立した水力社会の文化の前進の前に、結局は、南方の各小水系に残っていたコミュニティ・ベースの水利社会の文化は、呑みこまれていったのだと思う。南方の各民系(広東系、福建系、客家系、etc)の一部となったのであろう。そして、そのような水力社会への吸収を拒否した人たちが、南方の少数民族として、その文化を守ったといえるのではないか、とも考える。それは、かれらが、北方からあまりにも遠いところに住んでいたからだともいえるし、自然の要害が北方文化の前進を、長い間、押しとどめていたともいえよう。あるいはまた、今日、少数民族と呼ばれる人々の多くが、水利社会を営むには困難な地方に孤立して住んでいたからだともいえよう。
 二つの水利社会の遭遇は、明清期に、中国西南、とくに雲南でも起きている。ただ、雲南において注目されるべきは、雲南の水利においてもっとも重要な、壩子(バーズ)と呼ばれる河谷盆地や山間盆地に漢族が漸次進出し、盆地に住む人びとの多くが漢化されたにもかかわらず、雲南社会が、水力社会の文化に吸収されたとは言い難いという点である。雲南にも宗族は存在する。だが、その規模も、それほど大きくはなく、また、影響力も、限られている。同じようなことは、台湾についてもいえよう。ただ、台湾における水利社会の成立は、南方漢族の進出以後のことであるらしい。そうであるとすれば、何故、台湾が、中国北方とも、あるいは彼ら漢族の故郷である南方とも、異なった文化や社会システムをもつに至ったのか、いっそう興味が惹かれるところである。
 そして、ようやく、18-19世紀以降の、南洋華僑の時代を迎える。これもまた、水力社会出身者とコミュニティ・ベースの水利システムを基底にした社会の人間たちの遭遇と考えることができる。そして、最後に、同じような遭遇として、改革開放以後の経済発展を背景とする中国人の東南アジア進出と、それを迎える、同じく経済発展しつつある東南アジア社会を舞台とした、最近、始まったばかりの遭遇があげられる。
 隣人を信頼せず、肉親、血縁、同族しか信頼しない社会の人間が、そうではなく、隣人を親族と同じように信じたり信じなかったりする人々の社会に、商人として進出した場合、前者の成功は明らかであるようにみえる。近世・近代以降の東南アジアにおける華僑・印僑の成功は、それを証明しているかのようである。前者が進んだ文化や文明を背負っているから、進んだ経済を代表しているから成功したのだ、というよりも、前者がもっている商業行為におけるアグレッシブさ、徹底的な私的利害の追求(利己主義)が、後者の「人のよさ」を上回ったのだといえる。進出された側からいえば、つけ込まれたのだともいえる。ただ、これは、後者の長期にわたる経験の蓄積によって、次第に何とか対応できるようになるはずである。たとえば、ギアツは『行商人と王子』において、彼がフィールドとした東部ジャワのモジョクトModjokutoにおいても、バリ島のタバナンTabananにおいても、インドネシア生れの華僑よりも、大陸に生れ、活路を求めて東南アジアにやってきた華僑の方がはるかにアグレッシブであったと述べている。インドネシア生れの華僑はやはり、好むと好まざるにかかわらず、インドネシアの文化や社会システムを考慮して商売せざるをえなくなるからであろう。その背後には、華僑をとりまく、現地の人々の反応--強い反発--があったはずである。
 では、東部ジャワ、モジョクトにおけるインドネシア商人の商行為とはどんなものであろうか。原洋之介のギアツ論によりつつ、瞥見してみよう。一般にジャワにおける伝統的な経済活動の中心は、バザールであり、そこでは、商人どうしの、その場かぎりの「騒々しい値引き交渉」あるいは「騒々しく攻撃的な交渉」が行なわれている。商人たちは、きわめて機会主義的に振る舞っている。この辺をみると、中国の伝統的な経済活動と変わりないかなとも思われる。ギアツは、このような商人--限界的小商人まで含めて--と、彼らが営むバザール経済を、デサを中心としたジャワ社会にとって外来的なものと考えており、「社会のすき間から入り込んだ」ものと見ている。だが、筆者は、このような商人たちとて、デサ経済と無縁ではないと考えている。商人たちは、アラブ人や中国人、あるいはその子孫でないかぎり、みなデサを中心とした農村社会から分出された人々ではないかと思っているからである。
 デサは、共同体と訳されることが多いが、共同体ではない。「デサは、一部の日本の訓古学的議論が想定しているような、内部に強い強制力を発揮する慣行で縛り上げられた『共同体』でない」(原洋之介, p.144)と、原は強い口調で述べている。ギアツを引きながら、住居が数百メートルも隔てれば、互いにもう面識はなく、友達づきあいもうつろいやすい、とも述べている。それに比べれば、棚田の灌漑で鍛えられたバリ島のスク seka(伝統的な共同行動の組織) に代表される人間関係の方がはるかに共同体的である。だが、デサは共同体ではないとはいえ、そこには共同の規範意識が存在する。それは、簡潔に述べれば「スラマタン」を通じての「ルクン」の再生ということになる。ギアツによれば「スラマタン」とはデサにおける共食儀礼であり、そこから「感情の抑制、行儀のよさ」を通じて社会調和を尊ぶ価値「ルクン」が確認される。「ルクン」には、他人の援助とか協力を貴重なことだとする価値も含まれる(p.140)。原は、その人間関係が、二者関係のゆるい累積にしかすぎず「しまりがなく」うつろいやすいと形容される東南アジア農村社会において、「スラマタン」に代表される儀礼によって、何とか結果としてでも村びとの間で「仲間」であるという感覚が、再生産され続けている、と概括している(p.146)。
 20世紀のデサは、本来の伝統的な社会組織の継承であるか、それとも、19世紀オランダの「強制栽培制度」などによって大きく歪められたものであるか議論があるようだが、植民地支配のような外からの干渉や圧力は、「ルクン」のような規範意識には、あまり影響しないと考えている。
 このようなデサ農民の規範意識とデサをたずねる行商人たちの規範意識は、互いに折り合ったものである可能性が高い。どの国においても、農民にとって、商人はつねに油断のならない相手である。だが、その油断のならない関係も、それぞれの国々、各々の民族において、大きく異なる。ジャワ土着の行商人であるサントリは、ハジ(メッカ巡礼)をめざし、自らの勤勉と倹約を通じ、個人的な信用を積み上げ、経済活動に励んでおり、とくにサントリ近代派は、企業経営を通じて富を蓄積し、ジャワ社会の中産階級を形成していくことになると、ギアツも、原も考えているようである。この時、おそらく、このサントリ近代派は、「他人に信用される」ということが、長期にわたり経済活動を続ける大切な元手になることを理解しているのだと考えられる。
 ただ、この「社会のすき間から入り込んだ」バザールの性格が、華僑を中心とした外来商人の進出や台頭を許したのだともいえる。というのも、ジャワ商業と対比されるバリ島においては、商業の振興は王族(首長層)のイニシアティブに負うところが多く、かつ、一般のビジネス活動も、伝統的な共同体的な諸関係に依拠した部分が多く、バリ経済のそのような市場や商業網のまとまりの前に、華僑といえども簡単に入り込めていないからである。江戸末期以降、日本に到来した華僑が、東南アジアにおけるような優位を築けなかったのは、その居住制限のほかに、経済活動がより共同体的な規範に縛られている日本においては、社会のすき間に入り込むことさえ容易ではなかったからであろう。
 最後に村松祐次についても触れておかねばならない。その著書『中国経済の社会態制』は、もう60年以上も前の著作だが、その内容は、今もなお示唆に富む。少しページをめくるだけでも、政府の私人的傾向や私軍の国軍化、あるいは自由競争と私人的保証等々、興味深いテーマが並んでいる。さて、行論にかかわるものとして、以下のような部分はどうであろうか。「中国の市場秩序、経済行為の中国的形態」(第三章第三節)の「自由競争と人的保証」と題する一節に、農村市場についての調査例(満鉄「北支経済調査資料」から)が挙げられている(村松祐次, p.275)。なお、原文の問答にある、カタカナ、旧かな使い、旧漢字は、今風に改めてある。
 「村では売買できないか。」「出来ない。」
「悪い人が居て(佣銭を払わずに)そういうことをする人は考えられるだろう。」「農民は村で正しい値段を知らないから、村では(売れば)損をするから絶対に売らない。」
「同村では農民同志の売買はないか。」「出来ることは出来るが少ない。隣人同志が知り合っているから、値段の交渉をするのに都合が悪い。市で全然知らぬ人に売るのがよい。」
「自分が喰う為に隣りから分けてもらうのはあるだろう。」「買うのはない。借りる。後で市から買って来て返す。」
 現実の事例というのは、多義的であり、置かれているコンテキストからそれだけを抜き出して判断すれば、意味が変わってしまう可能性がある。だが、この例は、やはり、かなりの程度、中国の農民にとって隣人とはどのような存在であるかを明らかにしている。隣人との売買は、損をするから嫌だというのは、日本においてもありそうである。とくに、同じ村落共同体のメンバーとして、売買に伴う齟齬によって、隣人との関係がまずくなるのは、避けたいところであろう。だが、直接、隣人から買うのではなく、市で買えば、仲介手数料(佣銭)の分だけでも、数%割高になることが分かっていても、まず借りて、それをわざわざ市で買って返す、というのはどうであろうか。隣人の無知に乗じて相場より高く売りつける、または、安く買いたたく。それが日常であれば、隣人間の売買は、難しくなる。あるいは、自家消費分と称し隣人から安く買い、それを第三者に売って利鞘を稼ぐなどという可能性が捨てきれないからであろうか。市の仲買人についての評判は、どの世界の農民においても、よくないものである。それでも、わざわざ市で買って返すというのは、それ以上に隣人は信用できない、と言っているかのようである。(続く)