中国的なるものを考える(電子版第56回・通算第98回)[注]
福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第57号 2013.08.26 
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>

『中国経済の社会態制』(村松祐次)と『クリフォード・ギアツの経済学』(原洋之介)の間で その3 殺到について
 さて、ある集団のなかの信頼とか信用とかいったものは、互いの間の競争を抑制する、という話から始めたい。はやい話が、バス停などでなかなか列を守ろうとしない中国人でも、居合わせたものがみな知り合いどうしならば、列をまもるであろう。我勝ちに、バスの入り口に向かって殺到したりしないであろう。ただ、市民社会の偉大なところは、たとえ見知らぬどうしの間でも、列を作って待つことができるという点にある。近代とともに生まれた市民社会では、様々な場所で、見知らぬものどうしが顔を突き合わせる機会が大幅に増えたであろう。そして、その見知らぬものどうしの間でも、一定のルールができ、そのルールに則って、生活するようになったと考えられる。すなわち、見知らぬものどうしのあいだでも、都市で生活するのに必要な、最低限度の信頼が存在する。それが市民的秩序と呼ばれるものの根底に存在する。それゆえ、今、中国に市民社会が存在するかと問われれば、筆者は、答えに窮することになる。
 では、村人はどうなのであろうか。筆者が10年ほど前に見た例を挙げてみる。2004年11月のことであった。当時、在外研究中の筆者は、できるかぎり、中国の田舎を回りたくて、毎日バスを乗りついで、旅をしていた。たしか、河南省から安徽省に入り、六安から桐城を経て安慶に向かっていた時であったと思う。道は新しく、道の両側に建てられた建物も、みなわりと新しく建てられた様子がみえた。いつものように、走っているバスの中から何気なく窓の外を眺めていた。建物には、菜館(レストラン)、住宿(旅館)、修車(自動車修理)などと書かれた文字があった。ほかにもあったかもしれないが、だいたいは、その3つであった。しばらく走ってふと気がついた。それらの建物のうち、営業しているのは、せいぜい2割ぐらい、後の8割はみな閉まっていた。どうしたのだろうと、気になってずっと目をこらして見ていた。その汚れ具合から見ると、店は建てたばかりで、これから開店を待つというよりも、一度は開いたのだけれども、多分うまくいかず、すぐ閉めたような印象を受けた。もし、この辺の村びとが開いたのならば、結局は、たくさんの農民たち--あるいは元農民たち--が損をしたことになるのでは、と心配した。たいした借金もなく、建てた店も、せめて今後、住居として使っていけるならば、それにこしたことはないのだが、などと思いにふけった。
 いったい、どのくらいの時間のあいだ、このような風景が続いたのか、正確な時間は、今となっては、思い出すことはできない。この10年弱、ずっと気にかけていたほど、強い記憶を残したことを考えれば、30分ぐらい続いたのかなとも思う。だが、舗装された道を長距離バスが30分も走れば、かなりの距離になるので、たぶん、その半分程度、あるいはそれ以下の時間だったかもしれない。筆者に強い印象を残したのは、農村のど真ん中に新しい道ができ、たくさんの車が通ることをあてこんで、村人が次々に道の両側に店をだし、度をすぎた競争の結果、ほとんどの人が損をした、と感じたからである。この判断が本当に正しかったかと問われれば、おそらく、と答えるしかない。ただ、2005年2月初め、天津から保定までのバスの旅で、保定付近だったと思うが、狭いエリアのなか、建てたばかりのガソリン・スタンドが、幾つか閉じたまま放棄されているのを見たことがある。多分、3カ所ほどあったと思う。その時、同じようなことが、各地で起きている、と思ったことを覚えている。
 さきほどの話に戻すと、どうして、道の両側につくられたレストラン、旅館、小さな自動車修理工場が、同じ村、あるいは同じ地域の人々によって建てられたと思ったかというと、みな、簡素で、似たようなつくりをしていたからである。もし、それぞれ他の地域から来た人たちが、きちんとした投資として、建てたのであれば、もう少し、違ったスタイルの建物があってもよかったと思う。
 筆者がもっとも関心をもったのは、どうして、ここに至るまでに、どこかでブレーキがかからなかったのだろうか、ということであった。新道に沿って店を出せば儲かるという話を誰かが言いだし、皆が一斉にその話に飛びつき、一斉に店が建てられ、開店し、そして、思ったよりずっと少ない客しか来ず、結局、条件のよいところだけが、わずかに残ったというのであろうか。あるいは、新道沿いに誰かが店を出し、儲かっているという噂が広がり、次々に店舗が建てられ、すでに儲からなくなっているのにもかかわらず、さらに店を出すものが続き、最終的には誰もが損をする結果となったのであろうか。そのいずれにしても、過度の競争--殺到--が起こったのである。
 ある程度信頼が醸成されている農村コミュティの間を新道が通り、それをあてこんで店が次々につくられた場合を想定してみよう。そのような場合、一定程度店が増えれば、どこかで、飽和状態を迎えることになる。ただ、状況が新参者に有利だとすれば、まだ出店するものがあるかもしれない。だが、それにしても限度がある。増えすぎて、損をする店が増えれば、店を出すものは確実に減り、もう儲からないと多くの者が思えば、誰も新店を出そうとしなくなるであろう。だが、このようなことが当たり前のように起こるためには、状況が好ましくないという情報が、確かな人--隣人や知人--から、信頼すべき情報として伝えられる必要がある。もし、そうでないならば、必要なブレーキは掛からない可能性が高い。
 ゴールドラッシュを考えてみれば、そのことはすぐに理解できる。ゴールドラッシュが始まるや、そのなかで発せられる否定的な情報は、ほとんど無視される。なぜならば、ゴールドラッシュに参加している人間が発する情報そのものの質が疑わしいからである。一般にバブル経済と呼ばれるものも、それと同じ傾向を有する。ゴールドラッシュにせよ、バブル経済にせよ、否定的な情報は、たくさん発せられる。だが、誰もそれを信用しようとはしない。「互いに欲の皮が突っ張った者どうし、誰が他人の言うことなど信じよう」ということになる。否定的な情報、たとえば、すでに膨大な人間たちが押しかけており、死者も出るほど危険であるとか、金はすでにあらかた掘りつくされているといった情報も、おそらく、それが如何に正しくとも、一端、ラッシュが始まるや、それを押し止めることはできないだろう。
 殺到が起こりやすい社会と、そうでない社会がありそうである。あるいは、起こりやすい状況と、起こりにくい状況と、言い換えても良い。起こりやすい社会では、フィードバックされたネガティブな情報を信用しないために、もしくは、ネガティブな情報を自分の都合の良い方に歪めて理解するため、ネガティブ・フィードバックが起こるべきところで、ポジティブ・フィードバックが起こる、つまり、趨勢はより強化され、過度な競争へ、殺到へと至る、そういってよいだろう。
 1990年代、毎春節ごとに繰り広げられた都市への盲流(民工潮)も、殺到と呼ばれるべき現象であった。華南・華中の大都市、たとえば広州駅の周辺は人で溢れ、寒空に野宿する者が絶えなかった。それでも、なお、次々と農民たちが大都市に流れ込んできており、政府はそれらの農民たちを農村に送り返そうと必死であった。広州駅周辺の農民で溢れかえった様子が報道されたとしても、どうして、農民たちは次々にやってくるのか、実に計り知れないところがあった。黒山の人だかりのところには、より多くの人が集まる現象としか言いようのない現象であった。でも、そこにネガティブ・フィードバックが存在しないことを知れば、あるいはネガティブ・フィードバックされるはずのものが、反対に、ポジティブ・フィードバックされる状況であったことを知れば、あの盲流はよく理解できるように思う。
 もう一つ、どの民族においても起こる極限の事態(震災の心理)を想定してみよう。本年7月6日のサンフランシスコ空港におけるアシアナ航空事故の際、報道のなかに、とっさにトランクを抱えて脱出した中国人乗客の話が載っていた。もし、このような行為が正当化されるならば、今後の航空機事故は、より凄惨なものになろう。事故機の乗客がみなトランクを抱えて細い通路、小さな脱出口に殺到する。そこで、一体なにが起こるかは容易に想像できるであろう。実際には、どの国においても、多数の死者を出す劇場火災などの惨事が起きている。劇場の入り口が数か所しかなくとも、いつも通りならば、客は出口に殺到することはない。出口が混み合えば、眼前の情報から、出口に急ぐ自分の行動を抑制するからである。だが、もし逃げ遅れれば死ぬしかないと思えば、逆に出口に急ぐ行動はより加速される。
 このような場合、小さい時からの避難訓練が役に立つはずである。殺到を完全に抑えることはできないにしても、ある程度抑制することによって、多数のものが助かるはずである。ただし、それにしても、成否は、殺到を回避するシステム--およびそれを担う人々--を信頼しているかどうかによる。信頼していなければ、たとえ訓練を受けたとしても、実際に緊急事態が起きれば、やはり我勝ちに狭い出口に殺到するであろう。
 1982年の4月30日、北京の留学生だった筆者は何人かの友人(日本人留学生)とともに、泰山に登り、そこで宿泊し、5月1日に下山した。泰山頂上は平らになっており、大きな宿泊所があった。日の出を見た宿泊客たちは、朝食後、一斉に下山し始めた。泰山は今では頂上までロープウエーが通じているが、当時は、ロープウエーは中途までしか通じていなかった。我々は、上りも下りも、石の階段を使った。階段口は多分一つしかなく、その前には、下山を待つたくさんの人だかりができていた。おそらく数百人はいたであろう。それらの人々が階段口に向かってひたひたと押し寄せつつあった。もし、階段口で誰かがつまずいたり、押し倒されたりすれば、次々と倒れ込む人の重圧で、死者が出てもおかしくなかった。階段口の前の広場には、おそらく保安要員(公安だったかもしれない)が数人いて、人の流れを統制しようとしていた。だが、ひたひたと階段口に迫る人の流れは変わらなかった。切羽詰まった保安係の一人は、ものすごい形相をして、ぶんぶんと竹竿を振り回し、何とか勢いを止めようとした。だが、人々は、みな背をかがめ、振り回されている竹竿の下をくぐって、階段口に押し寄せた。そのなかには、制服を着た非番の警察官も混じっているのが可笑しかった。我々も、後ろから次々にやってくる人の群れに押され、流れに任せて進まざるをえなかった。やっと階段口にたどり着き、後ろから押されながらも、ゆっくり階段を下りて行った。途中、疲れで膝が笑う状態になり、最後はへとへとになって麓にたどりついた。
 これらの殺到を如何にして抑制しうるのだろうか。たぶん、誰もがあの時の保安係と同じように途方に暮れるであろう。やむをえず、竹竿を振り回すような非常手段に訴えるか、あるいは場合によっては、事態を放置し、最悪の結果が出ることによって、自然に殺到が終息するのを待つしかない、のかもしれない。
 殺到であれ、あるいは殺到とまではいかない程度の競争であれ、公権力がある程度抑制する力をもっていよう(次回)。ほかに、宗族もある程度抑制する力をもっているかもしれない。華北に大きな宗族がなく、華中、華南に大きな宗族が存在するのは、やはり水稲にともなう水争いと関係があるのではないか、と筆者は想定している。大きな宗族ほど、水をめぐる利害を、宗族内部の統制力で調整できるかもしれないからである。だが、一般に、宗族においては親疎に応じた求心力ばかりでなく、親疎に応じた遠心力も強く働いている。親族関係というものは、関わりが遠くなれば当然、統制も抑制もきかないと考えた方がよい。また、以前、ギルドと訳されることの多かった行会(hanghui)も、競争や殺到を抑制するような力を持ちえない。もし、持っていたならば、近代以降の産業の再編において、また別の展開があったはずである。たとえば長く中国の輸出品として世界で珍重されてきた茶や絹(生糸)といったものも、もし近代以後各地につくられた商会など業界団体の統制によって品質維持や向上が可能であったなら、19世紀後半以降も、依然として、海外市場における優位を保っていけた可能性が高い。実際はその逆であった。粗悪品の輸出を淘汰できなかったのである。
 我々は集団とか組織というものを、日本における村落共同体のようなまとまりがあるものと、どうしても、想像したくなる。それゆえ、宗族にしても行会にしても、そのような共同体的なまとまり、あるいは共同体的規制を持っていると誤解しがちである。ましてや、村落についてはなおさらである。中国やインド、あるいは東南アジアの村落に、共同体としてのまとまりを自然に期待してしまう(その代表的な試みが満鉄調査部「華北農村慣行調査」であり、結果はきわめて否定的なものであった)。我々のこの種の誤解は、今日でも、実にぬきがたいものがあり、日頃より、つねにそのことを意識している筆者にしても、やはりこのような思考方法から完全に自由になることはできない、と時々感じている。
 実際に、伝統的な中国社会においては、過度な競争や殺到の抑制は、おそらく近親とか肉親の間でしかなしえなかったのではないかと思う。だが、それによって抑制できる範囲は実に小さい。また、そのような肉親間・兄弟間の間柄でも、利害対立は存在し、つねに分裂可能性を内包している。たとえば、民国期福建の、郷鎮の商家の盛衰を描いた林燿華『金翼』(三聯書店、1989年)を読めば、大家族(四世同堂)を理想とするはずの中国の家族内の利害調整が如何に難しいか理解できる。それでも、肉親がもっとも信頼できることは疑いない。それゆえ、義兄弟になることは、競争を抑制し、出し抜きや裏切りを防ぐ拠り所、あるいは方便とされることになる。秘密結社とか黒社会(heishehui)のメンバーばかりでなく、政治家、あるいは商人や企業家までもが、同志やパートナーと義兄弟の契りを結ぶのは、互いの関わりを肉親になぞらえることで、より確かなものにしたいと考えているからであろう。
 では、中国の公権力は、競争とか殺到といった問題に、どのように関係しているのであろうか。いよいよ村松祐次が言う「政府の私人性」に、耳を傾けなければならない。