中国的なるものを考える(電子版第57回・通算第99回)[注]
福本 勝清
(明治大学教授)

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電子礫・蒼蒼
第59号 2013.10.21 
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>

『中国経済の社会態制』(村松祐次)と『クリフォード・ギアツの経済学』原洋之介)の間で その4 政府の私人性について
 前回は、集団内の、信頼とか信用といったものと、競争あるいは殺到といった社会現象との関わりを取り上げた。ある集団のなかの信頼とか信用とかいったものは、ルールの順守に有利に働き、それゆえ、互いの間の過度な競争を抑制する可能性が高い。それに対し、そのような信頼とか信用が存在しない集団のなかでは、競争を抑制することが極めて困難になる。これらのことは、集団間にとっても、各集団をまとめる連合体にとっても同様であると思われる。そうである以上、低信頼社会においては、集団内における競争、あるいは集団間の競争を抑制することは難しい。ましてや、知らないもの同士のあいだでのルール順守は、きわめて難しく、そこでの競争を抑制することは、きわめて困難である。それが、中国社会において、しばしば見られる「殺到」現象の根底に存在している。
 どのような組織が、内部の行き過ぎた競争を抑制することができるであろうか。日本の村落共同体のような共同体的規制を持つ集団は、中国には存在しない。唯一、考えうるのは、宗族とか家族といったものである。おそらく、それらは、中国人がもっとも信頼しうると考えているものであり、そうである以上、他の組織や集団よりも、はるかに内部の競争を抑制しうるように思われる。だが、宗族も、家族も、内部に鋭い亀裂を抱えている。ただ、ほかに信頼すべき集団も組織もない以上、それなりに、内的統制力を有しているはずである。
 そして、最後に残るのは、公権力ということになる。公的組織が競争を抑制するのは、ある意味では、自然な発想であり、かつ、一般的な現象でもある。そのことはいつの時代にも存在したし、どの社会にも存在する。
 公権力は、1.明確な意図的において競争を抑制する。例えば、予め価格を決定する、などのように。あるいは、禁令を通じて。禁止されれば、法のおよぶ範囲において、従うほかない。2.位階に沿った権力の分配を通じて、それに応じた抑制力を発揮する。一般には地位が高い方が有利に、低い方が不利に、大きな権力を持つ者は有利に、小さな権力しかないものは不利に作用する。それゆえ、平等な競争も比較的平等な競争も抑制される。2’.同じことだが、公的機関が公平に振る舞ったとしても、社会的地位のより上位に位置するものは、情報収集に秀でていること、あるいは交渉相手に対する無言の圧力などによって、優位にたつ。すなわち、権力とその位階は、競争があっても、それを問題にしないぐらいに、競争にとって阻害的にはたらく。
 だが、中国においては、あるいは専制国家においては、次のことを考慮しなければならない。公権力の担い手も私的利害に走る。すなわち、村松祐次のいう「政府の私人性」である。何故であろうか。どうしてこのようなことが生じるのであろうか。村松祐次『中国経済の社会態制』は中華民国期を対象としたものとしては、もっとも面白く、有益な著作である。だが、一筋縄ではいかないところがあり、その内容を、簡単にまとめることはできない。が、「政府の私人性」とは、一応、我々がいう、専制国家における君主の恣意性に類似した概念と考えることができる。政治的な側面から見れば、権力行使の恣意性であり、経済的な側面からみれば、公(おおやけ)であるにもかかわらず、私的経済活動を自由に行いうる「政府の私人性」として現れる。それは、君主--公権の担い手--が際立った、もしくは傑出した公的性格をもつがゆえに可能になる事柄であると考えている。
 公(おおやけ)とはなにか。公は諸個人からなる社会において、どう振舞っているのであろうか。それは、個人と公の関わりを問うことにほかならない。まずは、初源に遡って考えてみる。谷口義介『中国古代社会史研究』(朋友書店、1988年)には、『詩経』「豳風七月」とヘシオドス『労働と日々』を比較する場面があり、とても興味深かった(「豳風七月」と『労働と日々』を最初に結びつけたのは、マルセル・グラネである)。「豳風七月」における「公」とは共同体の首長であるが、我々が想像する古代における共同体の首長と異なるところはない。そこから、防衛、共同体の神への讚仰、治水・灌漑など、共同体を代表し、共同職務機関を率いるものとしての存在が浮かび上がってくる。
 それでは、ヘシオドスの時代ではどうなっているのかと思い、『労働と日々』(『仕事と日』岩波文庫、1986年)を読んでみた。だが、そこに支配者はほとんど登場しない。貢租を集めたり、賦役を命じたりする存在は登場しない。国、法廷、裁き、領主などという語彙が出てくる以上、誰か支配者がいて統治しているはずだが、具体的な存在としては登場しない。
 ヘシオドスの隣人は、まるで、近代の都市における隣人のように、奇妙に疎遠な印象を与える人々である。隣人は、労働や生産の場には登場しない。よき隣人は、食卓の友人として、また、異変の際には真っ先にかけつける存在として登場する。よき隣人がいれば、泥棒に遭うことない、と。ヘシオドスは言う。「親の家財を守るべき息子は一人がよい、そうであれば家の富も増すであろう」(p.56)とある。そこには、ヘシオドスが味わった、親の財産(クレーロス:分割地)をめぐって、弟と争わねばならなかった辛い体験が影を落としている。だが、それ以上に、このヘシオドスの言葉には、家族がなくとも、社会でまっとうに生きていけることが、前提としてある。家族、親族に頼らなければ生きていけない世界なのではない。そして、生産は、すべて自分とその家族、そして奴隷によって行う。生産に必要な用具、役畜(耕牛)はすべて自分で持っているべきで、他人から借りることをあてにしてはならない。誰にも頼らず、すべて自分で行う。飢えへの備えですら自らの責任において行う。他人に哀れみを乞うてはならない。まさに、自己経営(小経営的生産)という言葉がぴったりである。
 ということは、ヘシオドスの世界における公(おおやけ)は、我々が知る水利社会のそれとは異なり、極めて難しい立場、危うい基盤の上に立っていることになる。プリミティブな社会において、公的機関の設立を促すものとしては、まず、外敵に対する防衛があげられるが、軍事指導者は、戦闘や戦争が終われば、その任を解かれる可能性が高く、公権力の常設化に繋がるとはいえない。また、社会の細胞たる各共同体が、比較的自治能力が高く、その内部が比較的平等な場合は、社会の秩序維持のために公権力を設立することは、それほど必要とはされないであろう。また、このような社会において公権力が樹立されたとしても、共同体の成員に対し、絶大な権力を振るえるわけではない。むしろ、衆により委任された権力としての性格を持ち、それゆえ、諸個人や諸勢力の微妙な均衡の上に成り立っていると考えた方がよい。
 ヘシオドスが生きた古典古代世界の農業経営は、水社会(玉城哲)の農業とは異なり、自己完結性の高いものであり、経営どうしの関わりは、非常にうすく、また、公的機関が農業に関与することもない。それゆえ、公的機関は、水利など公共事業を使って、農民を動員することも、その指揮のもと、農民たちを命令に従うように訓練することもできない。たとえ、神殿建設のような公共事業があったとしても、水社会の公共事業とはまったく異なったものである可能性が高い。つまり、公共事業は、公的機関が、予め、歳入を確保し、貨幣を用意し、対価を支払いつつ実施する、ということになろう。何よりも、そのような社会の公的機関は、自由な共同体成員や都市市民に無償労働を命じたり、資材や食糧の徴発を命じたりすることはできない。例外は、都市の防衛や祝祭に関わることがらであろう。軍事指導者は、緊急時の城壁の構築や修復に、市民を動員するであろうが、それは市民的義務として遂行される。賦役や強制労働とは異なるものある。2千数百年も前の社会に、アカウンタビリティという言葉を使ってよいかどうかわからないが、公共の経済には、やはりアカウンタビリティに似たものが必要であったと思われる。ついでに言えば、ヘシオドスの時代から約4世紀後の、プラトン『国家』やアリストテレス『政治学』が、語る対象にしている市民もまた、そのような社会に住む人々であった。
 では、さらに一歩進んで、私的所有が成立した社会において、共同事業、とりわけ、我々が関心を持っている水利事業が如何に行われているか見てみよう。伊丹一浩『堤防・灌漑組合と参加の強制』(御茶の水書房、2011年)は、フランス南東部、オート=ザルプ県の、近代以降、とくに19世紀の、灌漑と治水に関する研究である。
 南フランス、アルプス山脈の西側にあたるオート=ザルプ県の農業は、乾燥した気候(夏季)、急峻な地形、急流河川など、農業に不利な条件を有していた。主要作物は、穀類(コムギ、ライムギなど)、ブドウ、ジャガイモなどであった。また、傾斜を利用して、中世以来、小規模であったが重力灌漑をおこなってきた
 オート=ザルプ県の河川は、小規模、急傾斜であったが、雪解けや大雨による増水などにより、農地や人命に多くの被害を与えていた。フランスではナポレオン治世下の19世紀初頭、堤防建設を目的とした政令や法が公布され、関係土地所有者の強制参加による堤防組合設立が認められた。1865年には、多数の同意があれば、たとえ少数の不同意者がいたとしても、県知事によって、堤防組合の設立が認められるようになった(土地改良組合に関する法)。その理由とは、防御を目的とするがゆえに、多数による少数への強制が認められる、ということであった(pp.66-67)。おそらく、洪水は一度発生すれば、被災地のすべての住民におよぶ。堤防建設に賛成であろうと反対であろうと、無差別に襲いかかる。それは、他国に侵略されたら、すべてを失う可能性がある、のと同じであるということであろう。
 アジア史を学ぶ人間にとって、このような法による堤防組合設立と、それへの参加の強制というのは、はるか遠い世界の話に映る。まどろっこしいのである。氾濫を起こす可能性が高い河川に沿って堤防を築くのは、当然のことであり、そのため、堤防予定地の土地が収用されるというのも、個々に問題はあっても、基本的には、とりたてて言うことではない。たとえ、近代的な土地法が制定されたとしても、堤防予定地(私有地)の強制収用は、だいたいにおいて、当然のこととみなされるであろう。このフランスの例では、治水(洪水対策)を国防になぞらえることによって、ようやく強制参加による堤防組合が成立した、ということになる。
 問題は、灌漑であった。オート=ザルプ県の夏季の乾燥した気候は農業にとって不利であった。それゆえ、灌漑はその後の農業発展のため是非とも必要であった。水源から灌漑地まで、灌漑水路が私有地を通る場合、所有者がそのために土地を提供してくれるかどうかが最重要の問題であった。用水路予定地の所有者が灌漑受益者でなかった場合、あるいは、すでに灌漑を行っている場合、用水路のための土地譲渡を得ること、あるいは費用分担の問題において、合意を得ることは、難しかったと思われる。また、妬みや嫌がらせによる反対も無視できなかった。用水路敷地の購入が難航し、用水路建設が頓挫するということもしばしば起きている。
 だが、灌漑組合の活動を容易にするための、多数者による少数者に対する参加強制は、なかなか法令化しなかった。というのも、灌漑は堤防と異なり、参加者は自らの利益のために動いているとみなされたからであった。灌漑は公益とはみなされず、単なる農業改良の問題とみなされた。それゆえ、個々の農業者、土地所有者の利益のために、その事業に同意せず土地を提供しないもの--たとえ少数であっても--から、神聖な所有権を無視してまでも強制収用してよいのか、という強力な反論が展開された。
 オート=ザルプ地方においても、パリにおいても、強制参加による灌漑組合制度(法令)への要求は粘り強く続けられた。加えて、農業の全般的な振興のためにも、灌漑の必要性が認められるようになってきた。幾度かの挫折に遭いながらも、法令制定の働きかけは続けられ、ついに、1888年12月、灌漑組合においても、不同意土地所有者に対し、参加を強制しうる法(土地改良組合法改正案)が成立する。多年にわたる努力がようやく実ったのである。
 ヨーロッパ史における水の研究--農業における水の問題の研究--は、アジア的社会における水の問題に関する議論を深めるためにも、不可欠であると考える。バートレット『ヨーロッパ世界の形成』(法政大学出版局)、シャルル・イグネ『ドイツ植民と東欧世界の形成』(彩流社)は、ともに中世ヨーロッパ史を俯瞰するうえでの大著であり、かつ中東欧の沼沢地干拓などに果たした、水の技術にたけた植民者であるフランドル人、オランダ人やドイツ人の活躍が描かれている。だが、彼らが、ともに植民した農民たちと、あるいは村落共同体と、どう関わっていたのかについて、ほとんど書かれていない。より有利な条件で農業を目指し故郷を出発した農民たちが、辿りついた東欧の農村において、水の技術にたけたフランドル人、オランダ人やドイツ人の植民請負人や、それらを招いた地元の領主たちに命じられ、水利事業のための賦役に従ったとは思われない。いったい、どのように沼沢地や泥炭地の排水や干拓が行われたのか、農民たちは、そのような水利とどう関わりあったのか、是非知りたいところである。
 ともあれ、土地私有が確立したヨーロッパにおける水の問題は、我々、アジア的社会の水の問題に、様々なヒントを与えてくれる。強き所有権(ウィットフォーゲル)のもとでは、公権の執行も、一定程度制限される。それをクリアーするには、一つ一つ、丁寧に、法に則り、粘り強く合意を形成しつつ処理していく以外にない。また、同じ水の問題であっても、個々の土地私有に対しては、灌漑よりも治水(洪水対策)の方が、より強く、所有変更を命じうる(個々の所有の権能を制限することができる)。ただ、この点はあくまで、強き所有が存在する社会においてであって、アジア的社会においても、そうだったかどうかは定かではない。しかしながら、アジア的社会の公権は、公権であることそれ自体において、公益のために、いかなる種類の土地であれ、収用することが可能であった。それは、公権それ自体に備わった特性(徳性)というべきものである。強き所有が存在しない以上、個々の所有の有り様に煩わされることはない。
 もう一度、中国に話を戻せば、禹の治水伝説の、イデオロギー的な有効性というものが浮かび上がってくる。禹の大業、治水により、国土が創出されたということ、それが、禹の後継者たる王や皇帝が、禹によって創出された耕地を耕す農民たちから貢租を取立て、彼らを賦役に駆り立て、治水灌漑や王都の造営など公共事業に投入することを可能にしている。
 禹の治水伝説は、西周中期には、その祖型が成立していたらしい(岡村秀典『夏王朝』、講談社学術文庫)。おそらく、王権があまり振るわなかった西周期でさえ、王都の造営などには、「夏」や殷などと同様に、多くの人民を使役できたところから、禹の治水伝説あるいはそれに類似した神話が、すでにそれ以前に成立していた可能性がある。実際の水利に関しては、西周時代、王権とそれを支持する勢力は、せいぜい、渭水盆地周辺の小規模灌漑を指揮するぐらいであったであろう。やや常識的であるが、戦国時代以降、鉄製工具の普及とともに、大規模灌漑および黄河の大規模治水事業が本格化し、農民を公共事業に動員し、使役する公権の権能は飛躍的に高まる。また、対匈奴防衛戦争の遂行も、同様な役割を演じたであろう。そこから、公権の傑出した、際立った役割と権能が、その後の中国国家の範型として形成されたと考えられる。
 この比類なき公権の役割と権能こそが、政府の私人性を許している。公権は古典古代のギリシアのような、あるいは近代ヨーロッパのような、統治や施策のアカウンタビリティを求められているわけではない。公権は絶対に必要であるがゆえに、恣意性や私人性を発揮したとしても、存在を問題にされることも、その存続を疑われることもない。むしろ、公権の担い手は、堂々と、恣意的に振る舞い、公私にまたがる、まばゆいほどの資産を形成した方が、人民には崇められる。
 だが、問題はそれだけではすまない。十全皇帝、乾隆帝の寵臣、和珅が、10億両といわれるほどの蓄財に励んだように、権力のヒヘラルヒーに沿い、政府の私人性はいかんなく発揮される。それぞれ官僚や胥吏もまた、それぞれ位階に応じた私的報酬を受け取る。公権は私財の形成をも促進する。
 話を最初のテーマに戻すと、公権は競争を制限する。だが、公権の担い手たちは、その位階に応じて、あい争うライバルの一方に左袒し、一方を排除しようとする。もちろん、そこから大きな利益を上げるために、である。真に自由な競争は、公権の関心がおよばない領域において、かつ、そのような庇護者をもたないものの間で、激烈に、行われる。たぶん、最近伝えられる、ガーナやアンゴラにおける中国人採金業者たちの死闘は、その顕著な例の一つなのであろう。さらに、もう一言つけ加えれば、中国企業の外資企業に対する挑戦、対外競争は、公権の強い後押しを得ることができる。外への殺到は、許容される。時には歓迎される。
 今、権威のヒエラルヒーにぶら下がる人々にとっては、とくに、幸運な時代である。過去において、諸臣が営々と蓄積した私財は、和珅のそれのように、庇護者(乾隆帝)を失えば、あるいは一度、失脚すれば、一切合切、国庫に収用された。だが、現在、まったく別の展望が開けている。不当な手段で手に入れたものであろうと、正当な報酬であろうと、私財は、欧米諸国に持ち出すことさえできれば、強き所有に転換することが可能である。もう国家に奪われることはなくなる。すなわち、私産をもつ人々の念願であった神聖な私有財産へ転換することが可能な時代がきたのだ。位階に応じて、私財の蓄積が可能なように、位階に応じて、外の経済システムへのアクセスが可能となっている。そのアクセスを利用して、私財を転送する。あるいは、中国の権威のヒエラルヒーを利用し、その代理人として、外の経済システムのもとにおいて、蓄財に励むことができる。今、経済発展しつつある「社会主義国家」と資本主義的世界システムはもちつもたれつの関係にある。依然として私有財産を保証できない「社会主義国家」の、個々人の経済活動とそれに伴い形成された資産は、この資本主義的世界システムの支えによって、迂回した形をとりつつ、保証されている。
 現在の政府の役人たちは、中国経済が資本主義的な世界システムに組み込まれ、両者が固く結びついている、ということに感謝せざるをえないはずである。それがあってこそ、「社会主義国家」(水力社会)の私財は、世界システムの中枢である欧米諸国に転送され、そのなかで、祝福され、聖化される。このような転送は、具体的には、中国に進出している外資企業、海外に進出した中国企業、多国籍企業、中国政府の対外出先機関、各国チャイナロビー等の活動を通して実現される。逆に、それらの関わりとは無縁の、地位のない人々、あるいはもとより資産のない人々は、そのような幸運に恵まれることはない。