中華点点(第16回 緊急掲載)

竹内 実
(京都大学名誉教授)

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電子礫・蒼蒼
第16号 2007.1.15   
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緊急掲載
光華寮裁判について
朝日新聞 1月23日夕刊(大阪版)
  
◇ ◇ ◇ ◇
 
 最高裁判所が、ながいあいだ不問(ふもん)に付(ふ)していた京都の光華寮裁判をとりあげるというニュースがテレビでながれ、わたしはおどろきもし、心配もした。
 光華寮は京都に戦時中にあった中国人留学生の寮で、戦後、台湾の領事館が購入した。
 これが中国大陸の中華人民共和国に帰属するのではないかということをめぐって、裁判がくりかえされた。
 裁判では、台湾よりの判決が大阪高裁ででた。ただしこれはさしもどし第二審で、そもそもの初審では寮生側が勝訴していたのである。それが控訴審で差しもどしとなり、さしもどし第一審、第二審とも台湾側が勝訴したのだった。寮生側はこれを不服として最高裁に上告したが、二〇年間とりあげられなかった。
 はじめニュースを耳にしたとき、最高裁は台湾側を勝訴とするつもりで、裁判にとりかかったのではないかと、わたしはかんぐったのっだった。
 安倍首相の訪中で、やや事態が緩和(かんわ)されたかの感があるのに乗(じょう)じ、台湾側が勝訴となっても、北京は、あまり激しい抗議活動を展開しないだろうと、最高裁は予想したのではないか、と、想像したのである。
 そして以前に、この裁判について、しらべた資料があったことを思い出したが、さて、どこにしまったかわからない。ところが気がつくと、本棚のまえにおいた段ボールの箱のいちばん上にこの資料がのっていた。年表と、当時の『法律時評』『ジュリスト』にのった判決批評のメモである。
 『法律時評』『ジュリスト』の批評は当時、いくらよみかえしてもわからなかったから、ここでは省略することとし、さいきんのできごとをつけ加え、清書したのが別掲の年表である。
 わたしはわたしなりに自分の考えを整理し、日本の裁判所がいう、かつての「留学生寮は外交的な建物ではない」とする判断はまちがいではないかと思うにいたった。
 当時の日中関係のなかでは、留学生は国家から選抜(せんばつ)されてきており、たんなる民間の留学生とはいいきれない。留学生寮も民間の寄宿舎と同じではない
 実態(じったい)に即(そく)して考慮する必要があるのではないか。
 
◇ ◇ ◇ ◇
 
 一九八〇年代、中国の要人は訪日するたびに、日本政府に光華寮問題の善処(ぜんしょ)をせまった。そのようなうごきは、一種の横車(よこぐるま)として、一般にうけとられた。しかし、要人たちは北海道まで足をのばし、北方四島を展望しながら、「日本の領土だ」と語ったものだった。
 
◇ ◇ ◇ ◇
 
 『朝日新聞』にはていねいな「解説」がのっていて、それによると、わたしの想像とは逆に、寮生側勝訴の可能性が強い。
 時代が変わったということだろうか。
 最高裁はずばり、「一つの中国か」「二つの中国か」にきりこむようである。
 寮を買い入れたさいの商取引としての合法性とか、留学生寮が外交機関かどうかは、もはや問題ではないということのようである。

 訴訟代理人ら関係者の話を総合すると、最高裁第三小法廷〔藤田宙靖(ときやす)裁判長〕が代理人に求めたのは、「この訴訟を遂行すべき中国の代表権を持つ政府は中華人民共和国と中華民国のいずれか」についての意見だ。
(『朝日新聞』1月23日夕刊記事署名=大島大輔)
 
 以下に、わたしの作成した「光華寮裁判年表」、ついで関連の「解説」や新聞記事をかかげる。
 最高裁の裁判を見守りたい。
 
◇ ◇ ◇ ◇
 
光華寮裁判年表
2002.1
番 号 年 度 こ と が ら 参 考
1 戦時中 「京都帝国大学」(国立)が所有者から借受け、中国人留学生の寮として運営.終戦とともに「集合教育」を廃止,賃貸は終了.留学生は自治委員会を組織,中国人留学生の寮として管理運営
昭和24.9
(1949)
中華人民共和国成立
2 25.5
(1950)
中華民国駐日代表団,光華寮を買受け代金の授受を行なう
3 27.4
(1952)
国民政府(台湾)と平和条約調印.中華民国大使館が駐日代表団をひきつぐ
4 27.12 「中華民国」光華寮買取額を増額し売買契約をむすぶ
5 36.6
(1961)
所有権移転登記
6 41ごろ
(1966)
中華民国総領事館(駐大阪),寮の幹事会が管理を阻害したと称し明渡しを求める 文化大革命が起こる(寮生は文革を支持)
7 42.8
 9
(1967)
入居者に退去を求める
入居者を被告として明渡しを求める訴えを提起
  47.10
(1972)
日中共同声明
中華民国政府との外交関係を終了させる
8 52.9.16
(1977)
〔第一審〕京都地裁判決
イ)原告の当事者能力‐認める
ロ)原告の権利保護の資格‐認めず
・寮生側勝訴
9 57.4.14
(1982)
〔控訴審〕大阪高裁判決
イ)(第一審ロ)について)原告の権利保護の資格‐認める
ロ)第一審判決を取り消し差し戻し‐京都地裁へ
・台湾側勝訴
10 61.2.4
(1986)
(差し戻し後の第一審)
京都地裁判決
・中華民国が中華人民共和国政府の成立後にわが国内で取得した寮建物の所有権はわが国の中華人民共和国承認によっては変動しない
・台湾側勝訴
11 62.2.26
(1987)
(差し戻し控訴審)
大阪高裁判決
・寮は外交財産もしくは国家権力行使のための財産とは認められず,承認が切り替っても台湾側の所有は失われない(日経2.27による)
・台湾側勝訴
12 寮生側,最高裁に上告
13 平成19.1.23
(2007)
最高裁「釈明」手続きを開始.双方の代理人に「この訴訟を遂行すべき中国の代表権を持つ政府は中華人民共和国と中華民国のいずれか」について意見を求める(最高裁「第三小法廷・藤田宙靖裁判長」)(「朝日新聞」1.23夕刊) 上告から20年ぶり!「中国が代表」が通説化した(「朝日」)
14 1.24(?) 中国外交部報道官:関心をもって見守ると発言
 
◇ ◇ ◇ ◇
 
 「中国が代表」進む通説化
 《解説》提訴から40年ぶりに、判決に向けて動き出した光華寮訴訟。最高裁が「台湾には訴訟活動を続ける正統性がない」との判断をすれば、裁判の土台そのものが崩れることになる。それは、最高裁が初めて「一つの中国」を認めることにほかならない。
 高裁判決当時は、国際政治学でも、領土の実効支配が残り新政府が完全に承継したわけではなく、「二つの中国」だとする学説が有力だった。このため、二審の判断を維持する形にならざるを得ないとみられ、「封印」状態が続いてきた。しかし、中国の経済成長などを背景に、中国国民を代表するのは中華人民共和国だとする見方が一般化。今回の審理入りは、こうした現状を踏まえたものとみられる。
 一方で、最高裁第二小法廷は戦時中の中国人強制連行をめぐる訴訟で、日中共同声明によって個人の賠償請求権も放棄されたかどうかという大きな論点についての初判断を示し、中国人原告側を敗訴させる見通しだ。
 戦後補償訴訟と光華寮訴訟という、日中間に横たわってきた司法上の長年の課題がいずれも決着する可能性が高まった。
『朝日新聞』1月23日(夕刊)
 
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『読売新聞』1月24日の記事
『読売新聞』 1月24日
 
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『産経新聞』1月24日の記事
『産経新聞』 1月24日

 
 
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