中華点点(第19回)

竹内 実
(京都大学名誉教授)

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電子礫・蒼蒼
第20号 2007.9.15   
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『検証 戦争責任』の中国語訳出版
  
 ことしの夏は暑さが妙(みょう)にからだにこたえた。まわりのひとも異口同音(いく どうおん)なので、わたしひとりの体調でないとわかって安心した。
 暑さがこたえたのは、一つは読売新聞社の『検証 戦争責任』(中央公論新社2006年7月)の中国語版の手伝いをおおせつかったからだった。
『検証 戦争責任』(中央公論新社2006年7月)の表紙
 『検証 戦争責任』の表紙
 かねがね関心をもっていた課題だったのでひきうけたが、訳文について責任があるとなると、ザッと読んだだけではすまない。内容にたちいって考えることになり、それはわたしにとって、辛(つら)い仕事だった。
 だれが考えても敗北するにきまっている戦争にふみきったのはなぜだろうという疑問がまたしても、わたしの内心でむしかえされた。
 このとき考える戦争はこれは対米英の戦争にかぎっていっているが、しかし、中国を旅行するたびに、同じような疑問が浮かぶのである。ここまで考えると、日本の近代史をおさらいすることになる。
 
◇ ◇ ◇ ◇
 
 明治維新をまえに、いわゆる「志士」と称されるひとが活躍したが、そのひとり、吉田松陰の書簡集をひらくと、かれは朝鮮、中国を「とる」といっている。松陰までさかのぼれば、侵略の発想はないだろうとおもったが、そうではなかった。失望したが、日本近代の「志士」の発想の根っこは深い、とあらためて考えたのだった。
 しかしいっぽう、当時の長州藩になぜこのような発想がうまれたのか、ということも気になった。近い距離だから、漂流したひともいただろうし、外国といえばヨーロッパやアメリカをまだ知らない時代である。おのずと関心をもったのだろう。日韓併合(にっかん へいごう)をすすめた伊藤博文は松下村塾で学び、松陰のこうした主張にもふれていただろう。近代日本のながれが、幕末にきまったような印象である。海外についての知識がますにつれ、危機意識がふかまったのだろう。
 しかし松陰は佐久間象山に会い、そのおしえをうけてアメリカに渡航しようと、浦賀に停泊していた「黒船」に小舟をこぎよせ、アメリカにつれていってくれと頼む。そしてことわられる。その「黒船」はペリーの乗艦だったという。
 こぎもどった小舟に自分のみのまわりの品をおき忘れ、事件が発覚、罪に問われ、斬首されるのである。
 もしアメリカ密航が実現していたら、かれの発想は大きく変ったかもしれない。ペリーがかれの頼みを断(ことわ)ったのが残念である。
 征韓論など、対外侵略的な意見が抬頭(たいとう)するのは、幕府が大政を奉還し、藩が消滅、武士がその生活の基盤を失ったからだろう(身分も失ったはずであるが、「士族」という階級をあたえられた)。
 いま考えても、たいへんなリストラで、失業者が全国にあふれたわけである。なんとかかれらの不満のはけ口(ぐち)をみつけてやりたいという失業対策的な考えが「征韓論」の背景にはあったのだろう。
 
◇ ◇ ◇ ◇
 
  『検証 戦争責任』は、こういった日本近代の歩みにはたちいらないが、渡邊恒雄読売新聞社会長の「あとがき」にもあるように靖国神社の遊就館には日清戦争の戦利品が飾られている。
 ずいぶんむかし、わたしはこれを見学して、グロテスクな印象をうけたのだった。大砲は清朝が製造したのだから、美的な共鳴をわたしが感じないとしても当然であるが、わざわざこれを飾るという神経に、当時は疑問をもったのだった。
 あれこれ考えながら、訳文をたどり、とにかくわたしの責任はいちおう果(はた)した。
 中国語版の発行をひきうけたのは新華出版社で新華通信直属である。序文に歩平の一文を掲載し、ついで原書では末尾にあった渡邊会長の一文をかかげている。
 歩平氏は中国社会科学院近代史研究所所長、中日共同歴史研究中方委員会首席委員である。この『検証 戦争責任』をあえて出版した意図と、検証について批評している。結論的にいえば、右翼的な言論が台頭しつつある日本で、このような書物が出版されたことは貴重で、中国側としてはこれを積極的に評価すべきだという趣旨である。ただし、各段階の戦争指導を分析するあまり、歴史ぜんたいのながれ(これは引用者=竹内の用語)に言及されていず、そうすると歴史は偶然の産物になってしまうともいっている。
 中国語版が出版されるのと前後して、「読売新聞が叛乱を起した」(《読売》的倒戈)という巻頭論文が『瞭望(東方周刊)』2007年7月12日号にのった。これも、読売がよくこのような作業をおこない、出版したと評価するものだった。原文の「倒戈」は〈戈(ほこ)のむきをかえる〉ということで、前線に派遣された兵士が、ほんらい敵軍にむけるべき槍先(やりさ)きを自分たちの指揮官や君主にむける、という意味である。右翼的だとおもっていた読売がよくやったという賞讃のタイトル(表題)だった。
『瞭望(東方周刊)』2007年7月12日号の表紙
 『瞭望(東方周刊)』2007年7月12日号の表紙
 わたしは、訳文の点検を依頼されただけであるが、しかし読売の貴重な作業がこのように中国側の反響をよんだことは、喜ばしい。
 あれや、これやで、夏のはじまりに気がかりな用件をかかえていたせいもあって、暑い夏だったのである。しかし夏はおわらなかった。それはまたあとの話。(2007.8.27記)
 
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