中華点点(第22回)

竹内 実
(京都大学名誉教授)

プロフィール>>
電子礫・蒼蒼
第25号 2008.07.23   
蒼蒼 目次へ >>
地震後・いま
 北京オリンピックまで1ヵ月をきった。ラサで暴動が発生し、チベットでの人権問題を口実(こうじつ)に、聖火リレーが妨害された。
 世界の眼がチベットに、ダライ・ラマ十四世に、そそがれた。
 目下、ダライ・ラマ十四世の代表と中国政府の「対話」がすすめられている。
 「対話」がおこなわれるようになったのは、外部から見守るほかはない人間にとって、喜ばしい進展だと思われる。
 四川で大地震が発生、震源地・汶川県が、「アパ チベット族・チァン〔羌〕族自治州」であり「自治県」でもあることは、さいきんになって知った(アパというのは地名であろう)。
 仮設テントの人を見ても、少数民族かどうかわからない。大きな被害をうけたチベット族に、思いいたらなかったのは、わたしの認識不足だった。
 チベット族はチベット自治区に多いが、四川省にも少なくないようである。
 日本でも岩手・宮城内陸地震が発生し、山が崩れ、土石流がながれ、山肌が露呈するという光景を見た。天は無情である。
 この間にも、印象的な本にであった。以下にとりあげよう。



『中国低層放談録』の表紙
《中国底層訪談録》
廖亦武(りょう・えきぶ リャオ・イ ウ)
訳=劉燕子(りゅう・えんし リュウ・イエンツ)
発行=集広舎
発売=中国書店(T:092・271・3767)(F:092・271・2964)
訳本定価=4600円+税


 たまたま、わたしは上記の監修を引受けていたが、この地震が発生したのは著者の現在の住所に近いところだった。
 まだお会いしていないが、このような「低層」、どん底の記録は貴重で、その取材の方法も敬服に値するとおもう。いわゆる「反体制」という立場ではないのも、わたしがあえて監修を引受けた理由の一つだった。
 廖亦武がとりあげた人間は、じつに多種多様で、
  浮浪児、出稼ぎ労働者、乞食の大将、麻薬中毒、不法越境者、同性愛者、遊蕩に耽る男、ホステス(三陪)、人買い、辺境開拓団女性兵士の息子、公共トイレ番、死人の化粧師、楽隊兼泣き男、老地主、老右派、もと紅衛兵、法輪功修行者、地下カトリック教徒、和尚(おしょう)、チベット巡礼者、企業家、反革命分子、…
 など、多方面にわたる。
 かれは、偶然のであい、もしくは、噂をきいてこちらから、取材するが、テープに録音したりノートをとることはいっさいしない。相手と語りあい、帰宅してから相手が話したことを清書するのである。
 取材は相手にもよるが、いちどで終わらない。質問したりして、訂正加筆する。ときには取材する相手と意見があわず、ケンカにもなっている。廖は相手をヒーロー(英雄)と決(き)めてかからないのである。
 廖じしんも生活は苦しいので、大道芸として簫(しょう)を吹いて、わずかな投げ銭(せん)で暮らしている。しかし、地震のときは新しく購入したマンションの部屋を見にいっていたというから、少しは収入があるのだろう。

◇ある企業家の例

 本書のなかのある企業家の例を紹介しよう。
 呂鈺(ろ ぎょく)というこの人物は石工(いし く 石材をきったりする職人だろう)を20年やっていたが、しだいにコツをおぼえ、請負(うけおい)のボスになった。
 「改革と開放」がとなえられ、2万元を投資して「陪成商行」を立ちあげ、数年のちには20万元を投資、「八一」レンガ工場を設立、さらに、酒、石炭、建築資材にも手をひろげた。
 鄧小平(とう しょうへい トン・シァオビン)の「南巡講話」のあと、郷内の経営不振の工場をいくつも買収、「江油市八一工場鉱山企業開発公司」を設立、その代表兼総経理になった。
 一九九三年のはじめ、公司を解消、「江油市工場鉱業企業」の看板をかかげ、資本金500万元をだして個人名義で登記した。
 さらに香港の項旭国際有限公司と共同出資、地元ではじめて合併企業を設立した。
 合併企業が開業する日、香港からセクシーな大スター二人を呼んで定礎式でうたってもらった。成都市軍区管絃楽団、四川省歌舞団も招いた。
 土地開発、ニュータウン建設に手をだし、30畝(ムー、1ムーは6.67アール)が750万元から1500万元に値上りした。
 ところが市の政法委員会書記に頼まれて200万元を書面で保証したところ、この政法委員会が告訴された。呂鈺は100万元をたてかえ急場を救った。
 このため、かえって気まずくなり、競争相手の「川投公司」が横から介入して、市の党委員会とのコネを利用、呂鈺は17ムーの土地を川投公司にあけわたした。
 しかし川投公司は和解をいいだし、呂鈺はある日、とつぜん四人組のヤクザにおそわれ拉致された。監禁4日のあと、拘置所にぶちこまれた。呂鈺は「公金を横領した」と八一郷の党書記に訴えられ、二つの公司の資産はすべて売り払われた。
 6千万元の全財産が4千万元でたたき売りされ、郷政府、市政法委員会、国土局、投資公司、不動産開発公司などが山分けした。もとの副総経理はその金をもって成都に移り、いまでは資本金3千万元の経営者だ(本書318~323ページ)。
 郷政府の責任者は私腹をこやし、姿をくらました。それで次期の郷政府を訴えるよりほかはなかった。呂鈺の冤罪はあきらかだったが、何回か裁判がくりかえされ、中級法院は6年の最終判決を下した。そのときは呂鈺は4年以上も牢獄生活を送っていて、一家は離散、財産は人手に渡った(323ページ)。
 呂鈺は2002年8月15日、零時15分、江油市の刑務所から釈放された。
 5年あまりの獄中生活で書き記した冤罪申立書は重さ十数キロにもたっして、これを必死で抱えて、刑務所を出た(315ページ)。

◇廖亦武(りょう・えきぶ リァオ・イ ウ)
 本書の奥付けから作者の略歴をしるすと――
 1958年、中国四川省生まれ。82年から詩人として知られ、文学賞をいくつか受賞、83年から地下刊行物『中国当代実験詩歌』を主編、89年6月、天安門事件について「大虐殺」という長篇の詩を朗読、録音。また映画詩「安魂」を制作、反革命煽動罪で90~94年投獄。獄中でおぼえた簫(しょう)を吹きながら最低層のひとびとに出会い、『中国低層訪談録』などにまとめた。ほかに著作あり。

◇底層のひとびと

 底層というのは「どん底(ぞこ)」と訳すよりほかはないが、廖が、ここに生きるひとびとに同情をよせていることは、このような著作を出すという行為からも、うかがわれよう。
 しかし、かれは、これらのひとびとが「世直(よなお)し」をするとか、あるいはこれらのひとに「世直し」をやってもらおうとか、考えていない。
 じっと見つめ、見つめたものをとおして読者に考えてもらおうとしている。
 救う方法があるのか、ないのか、彼はそのことにも言及しない。むしろ、あるがままの現実の重さを知るべきだ、といっているようにとれる。


 
◇ ◇ ◇ ◇
 

『中国風土人情』の表紙
《中国風土人情》
程麻(てい・ま チョン・マー)
商務印書館
2008年6月[49.00元]
〈商務館学漢語輔助読物/世界漢語学学会 審訂〉




 出版されたばかりの上記の1冊がついさいきん、届いた。書名が示すとおりの内容で、民俗、家族、心理に分かれている。
 「民俗」は食べ物にはじまって、地方別の料理(食事)の特色が紹介され、住居、服装についてのべられている。
 「家族」は、ひとびとが何を中心に家族として結ばれているかがくわしく語られる。同じように儒教にもとづいて、家族関係を考えるわれわれには、わかりやすく、親しみがもてる。
 「心理」は、これまでもよくいわれた「面子」(メンツ 顔を立てるなどの顔)にはじまって、社会関係で重んじられる「義」(ぎ)をとりあげる。
 また、一般に宗教があまり重視されない傾向をとりあげ、ひとびとが性善説をとっていることに言及している。そして、目下、提唱されているスローガン「和諧(わかい)社会」をとりあげ、「和諧」(協調的であること)がどのように、制度的に保証されているかを説明する。


◇あるがままの中国

 「中国」というといかめしい。「中国」という二字が、「中華人民共和国」を意味するからでもある。
 しかし、われわれとしては、国家は意識せず、話題にすることが多い。それで、片カナで「チュウゴク」と記すほうが、気分的にピッタリする。本稿でも、試験的に「チュウゴク」というカナ文字があらわれるかもしれない。
 本書、すなわち《中国風土人情》は、ふつうのチュウゴクを知るのに、おあつらえむきの本なのである。
 チュウゴクに関心をもち、テレビやラジオで勉強をはじめると、あれこれと疑問が生じるものである。質問をうけて、タジタジとなることが少なくない。
 たとえば、――どうして、自転車は、夜、ランプをつけないのですか、といった質問には、わたしは答えられなかった。
 質問者は中国を20回、訪ねていた。おそらく、1回や2回の目撃ではない。そして、自転車が無灯火で夜間を走るということは、われわれとしては考えられないことである。
 この現象は、日中の比較文化論としても、興味深いテーマになるかも知れないが、しかし、ただたんに、電池が値段が高い(?)ので倹約しているのにすぎないのかも知れない。倹約しているのだとしても、事故の危険はないのか。
 チュウゴクについての疑問、問いは、これをまとめると、つぎの二つにしぼられよう。
 1)チュウゴクとは何か。
 2)チュウゴクはどうなるのか。どこへ行くのか。
 程麻[編著]の本書は、とくにこのような問いをかかげていないが、読者は本書から、答えを見出すことができよう。


 
◇ ◇ ◇ ◇
 


『国際政治的理性思考』の表紙
《国際政治的理性思考》
王緝思(おう・しゅうし ワン・チイス)
北京大学出版社
2006年8月[42.00元]






 本書も著者から贈られた。本文の扉(とびら)に献辞がある。
 去年、北京大学にしばらく滞在したとき、出席した座談会の座長が著者だった。北京大学国際関係学部の学部長。同学部李玉(り・ぎょく リィ・ユィ)教授にわたしは出席を求められたのだった。わたしは座談会というかたちでの意見交換はいいものだと思った。
 学部長は多忙で、開始のあいさつのあと、ほかの会合に出席、座談会の終りごろにもどって来られたが、たまたま、わたしが発言中だった。さっそくそのなかの一言、二言を引用して、発言された。
 学部長のお父上は、言語学者・王力(おう・りき ワン・リー)。《中国音韻(おんいん)学》の著書がある。
ずいぶんむかし、これをテキストに倉石武四郎先生のゼミで一字一句、悪戦苦闘(あくせん くとう)した記憶がある。ひとから学部長のお父上が王力だと聞いていたわたしは喜んで出席したのだった。
 王緝思学部長は中国社会科学院のアメリカ研究所所長だったから、頂いた本書は、アメリカの外交関係についての学術的な論文集だった。
座談会で、わたしは文化大革命のときの経験を語った。
――批判された作家や評論家が、以前に自分が賞めた人物、もしくは、以前にご馳走になった人物であるときは、批判しない、と自分できめていた。
と、語ったとき、王学部長は座談会の会場にもどってきたのだったが、発言のとき、この箇所を引用して、「昨日、(竹内に)ご馳走したから、わたしは批判されないだろう」と語ったのだった。たしかにそうで、前日の学部長主催の昼食会は美味だったのである。
 ちなみに、アメリカは外務省といわず、国務省といい、ライス長官の肩書きは「国務長官」という。国家と国家のあいだに、「外交」という一つの空間のようなものが存在することを認めず、いきなり自国の「国策」を相手にぶつけるのがアメリカのやり方だ、とわたしはかねがね考えていた。「外交」というとくべつな交渉の場、妥協が成立する場(政治的空間ともいえる)をアメリカはみとめないのだ、と。
 これにたいして、日本は「外務省」といって、「外交」という空間が存在するのを前提にしている。
 「外交部」という役所のある中国も、「外交」という政治的な空間をみとめていることになるが、(自分でいいだしながら、まだ断定的にはいえないが)どうなのだろう。
ながねんこの疑問をわたしは抱(いだ)いていたが、本書を読み、自分の想像が当たっているように思った。
 アメリカは「世界の警察官」をもって自認している。
 イラクのサダム政権に攻撃をしかけたことも、他国に独裁的な政権が樹立されたからといって、なぜアメリカがこれを取締るのか、筋ちがいであろう。根拠としては「国連決議」があげられたが、イラクに大量兵器の証拠がないことが、こんにちではあきらかになっている。
 アメリカは自国の国益を第一とするが、理想をかかげてもいて、ちょうど宣教師が神の教えを説(と)き、おくれたひとの住む社会を改革しようとするのと同じだと、本書が引用する外交史家はのべている。
 本書の、「奥付(おくづ)け」に、「許可なく、本書のコピーや引用を禁止する」とあるので、引用を避けた。
 本書の最後に、著者は自分の博士論文が《中国人文科学博士碩士文庫》法学巻(下)、浙江教育出版社1998年版に再録されるに当って、補足した、「一篇旧作的自省」という一文をかかげている。
 アメリカに留学して、たまたま公開された公文書を利用し、アメリカの対中国政策の変化をあとづけた論文について、そのなかに、風説(噂として)を利用した部分について、反省し、当時の事情を説きあかしている。
 著者によれば、当時、アメリカは、新しく生まれた中華人民共和国がソ連と同盟関係にあるのが気にいらず、対立、離反することを望んでいた。それで、おあつらえむきに、まことしやかな噂がひろがったのだという。
 こういったあたりは、いまの中国とアメリカの関係からすれば、まったく「笑い噺(ばな)し」であるが、国家と国家の関係に、幼稚なつくり話がまことしやかに伝えられたのだ。
 (2008年 7月14日 記)
蒼蒼 目次へ >>