中華点点(第23回)

竹内 実
(京都大学名誉教授)

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電子礫・蒼蒼
第26号 2008.09.25   
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北京オリンピックが終って
◇えと(干支)で占うと―
  ことしのえと(干支)は戊子(ぼし つちのえ ね)である。
 漢代の字書『説文』(せつもん)によると、「戊」は「中宮也」で、「中宮」というのは皇后の住(すまい)、つまり〈まんなか〉のことだという。そして「戊」は六画(かく)なので、これは、干支の組み合わせが60あるなかに「甲」が6回出現するのを意味するが、その6回の「甲」のあいだに「竜」が5、つまり「五龍」が存在する、というのである。
 読者は急に「龍」が出現するので、ややこしく感じられよう。
すなわち、『説文』では、つぎのように記されている。


戊 中宮也。象六甲五龍相拘絞也


 つまり、「五龍」が、「戊」にかくれひそんでいることになるのである。
 「子」は『説文』によると、「『陽気』がうごく」かたちだという。字体そのものは、赤んぼうのかたちである。
 『説文』の説明を原文どおりかかげよう



『説文』の説明の原文



◇五龍とはなにか

 兵庫県が「ひょうご講座」というのを開設している。1年に1ど、神戸まででかける。ことしは5月24日に出講した。「北京オリンピック」について話したが、まずえと(干支)にちなんで「五龍」を話題にした。そして龍は皇帝のシンボルで、「権力」を意味するが、日中関係に発生しているモンダイを数えると、
 ①冷凍ギョーザに殺中剤が混入していたモンダイ
 ②チベットに発生した騒乱
 ③そのことから、オリンピックの聖火が北京にはこばれるのを防害されているモンダイ
 ④四川省汶川(ぶんせん)中心に発生した大地震
 というように四つ、すでに発生している、と語った。
 聴講している方々は、わたしが古くさい「えと」をもちだして、とまどっておられたようだったが、ここで、がぜん興味を示されたようだった。
 そして、あともう一つは何ですかという質問もあった。
 『説文』は字書で占いの本ではない。わたしが勝手にえと(干支)による占いの手がかりとして、自分なりに読み解(と)いているにすぎないが、『説文』の説明も、予言的なところはある。
 「北京オリンピックはうまく開催できるのですか」という質問もあったが、べつにわたしの占いを信じたからというのでなく、それほど関心をもって見守っているのだったろう。
 8月8日に開幕式、24日に閉幕式が予定どおり実施され、とにかく会場では心配されたテロも発生しなかった。


『明報月刊』の表紙
『明報月刊』


◇香港の論評
 香港の雑誌『明報月刊』は北京オリンピックが終って論評しているが、北京は対外的にはメディアに自由をみとめたが、対内的にはかなり取(と)り締(しま)りを強化したことに批判的だった。
 これはこの雑誌ではなく、なにかで読んだが、騒ぎを起こしそうな要注意人物は、北京以外のどこかのホテルに招待され(つまり軟禁され)たともいう。
 開幕式に5歳ぐらいの女の子が、ひとりで歌ったが、これは口(くち)をうごかしただけで、じっさいに歌った子は虫歯が目立つので声だけの出演だったという。
 いよいよ開幕に当り、北京の上空を29の足あとが(第29回オリンピックを象徴して)会場へ歩いた画像が、28回分はすでに録画されたもので、当日は最後の足あとだけが投映され、それが撮影されたのだという。
 中国の芸術作品のホンモノ・ニセモノの鑑定はなかなか一筋縄でいかない。中国語の「假」(ジア)というコトバは必ずしも悪い意味とはかぎらないから、そういう作為(さくい)があったとしても、(わたし個人としては)あまり咎(とが)める気にならない。
 シンクロナイズド・スイミングというのか、これに中国、スペインがメダルを獲得したが、とくに中国チームは足の長さでずば抜けていて、それが活(い)かされたし、スペインのチームは肉体的な表現で芸術性がゆたかだった。天性というものだろうかと思った。ところが、中国もスペインも、どちらも日本のコーチがついていて、これは快挙だった。
 あまり国籍に固執(こしゅう)しないのが、よいと思った。



◇開幕式

 開幕式の演出は張芸謀(チャン・イーモウ)だったので注目したが、伝統的な中国文化を系統的に紹介した点はともかく、現代的な成果は訴えることがなかったと、これは香港の評論家の指摘で、現代中国の一つの弱点をズバリいいあてている。
 世界の製造工場として生産はあげているが、中国はブランド品の創出はこれからに待たなければならない。



◇閉幕式

 閉幕式では次回開催地のロンドンが紹介されたが、気のきいた寸劇(すんげき)でおもしろかった。雨が多いロンドンなので、こうもり傘がでてきたのは当然としても、それが小道具として生かされていた。



◇文明的交際


本の表紙:『争做文明北京人』

 外国人が多く来るというので、北京市でエチケット・マナーのパンフレットが配布されたと聞き、1冊入手してもらった。このパンフの表題はつぎのとおりだった。


争做 文明北京人


 これの第12節が、やたら、ものめずらし気(げ)にたちどまって、やじうまになってはいけないと勧告してある。


パンフレット:争做 文明北京人の第12節 パンフレット:争做 文明北京人の第12節


 12 遇到突发事件不围观
 盲目围观是一种不良行为。从两个人打架到两辆汽车相撞,从路人晕倒到歹徒行凶,全都让围观者驻足、观望。强烈的好奇心驱使人们去围观,而不问缘由,无原则的盲从也是造成围观的原因。
 围观者聚集在一起冷眼旁观,不去伸出援手帮助有困难的人,不去制止不良行为,实际上助长了社会的不良风气。围观者冷漠,麻木,缺少爱心和同情心,缺少正义感和责任感,他们的行为应该受到谴责和唾弃。


 関心のあるものを追求するのはよいことである。しかし、用もないのに珍(めず)らしいことを(じつは珍しくない)好奇心で群衆となってとりかこむというのは、魯迅(ろじん)がひどく嫌(きら)ったことである。
 これが、「エチケット読本(どくほん)」ともいうべきパンフに項目としてかかげられているのに、わたしは感動した。
 じつはことし1月に刊行した『コオロギと革命の中国』(PHP新書)で、この「やじ馬」をとりあげ、中国研究には「やじ馬根性(こんじょう)」が大事だと記したので、この一節はひどく、こたえた。
 研究する側では熱心のあまり気がつかないとしても、観察される側はイヤな気がすることもあろうと、自戒した。
 しかし、わからないことは、わからないとして質問しなければならない。
 このパンフレットにもみえる「文明」という用語は、つまりは現代化(われわれがよくいう「近代化」)の意味である。福澤諭吉(ふくざわ ゆきち)のいう「文明」が同様の意味で定着しているとおもう。


 
◇ ◇ ◇ ◇
 


湘潭(しょうたん シヤンタン)大学のシンポジウムの記念写真



◇湘潭大学のシンポ―現代化をめぐって


 夏の終り、急に誘われて湘潭(しょうたん シヤンタン)大学のシンポジウムに参加した。シンポジウムの題目は、


現代化視野中的毛沢東思想研究

すなわち、〈現代化の視野における毛沢東思想研究〉。9月6-9日。
 毛沢東思想を「現代化」に結びつけるのはやや強引(ごういん)だという気がしたが、発言を聞いていていろいろ考えさせられた。
 ふりかえると、「五四」新文化運動(1919)のときのスローガン「民主与科学」もこんにちの「現代化」の目標に一致する。ということは、ほとんど一世紀を経過しながら、まだ完全には実現していないということになるが、中国の近代史は、つまりは「現代化」を追求した歴史だった。
 その意味では毛も〈現代化〉を追求したといえるかもしれないが、しかし、「土法高炉」など、かつて時代錯誤(じだいさくご)的なことをやっている。
 いわば、新しいモンダイに(わたしとしては)ぶつかったのだった。戦争中、戦後のわれわれのまわりの「近代」「近代化」論議も、もういちど見直すべきだろう。
 会場では「『毛沢東文集』『毛沢東文集補巻』を入手したい」という熱心な声も聞いた。
 毛沢東は、ちょうどわれわれのまわりでも明治維新と明治天皇が回顧されるように、回顧される時期がめぐってきたのだろうか。
 (2008.9.15記)
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