逆耳順耳(電子版第10回)

矢吹 晋
(21世紀中国総研ディレクター、横浜市立大学名誉教授)


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電子礫・蒼蒼
第10号 2006.1.15   
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。蒼蒼社版の「逆耳順耳」は蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>


甦るthe Documents of Iriki (入来文書) (その4)
   

Ⅳ.朝河の語るThe Documents of Iriki

1. 『入来文書』の発見
 朝河自身は本書序説の末尾で、みずからの貢献をこう説明している。
 編者[朝河]は一九一九年六月に[鹿児島県薩摩郡]入来[]を訪問したときに、『薩藩旧記』に収められた手稿一〇一巻に含まれる『入来院文書』を含む三つの国の文書を研究した。そこで編者が発見したのは、家族が所有する二五〇の原文書が素晴らしい状態で、すなわち注意深く一六巻と一つの紙挟みに収められた文書であった。これらの文書のうち、多くは言及されるのみで書き直されたことはなく、それゆえ編者にとって新しいものであった。家族はまた『清色亀鑑』と題した手稿一二巻も所有しており、そのなかには編者が見たかぎり、最も正確に参照される原典拠が書かれていた。

写真:鹿児島県薩摩川内市入来町
鹿児島県薩摩川内市入来町

 参照された原資料は全体(原資料が失われたものを除いて)で四〇五ページあり、すべては家族と入来院の領地にかかわるものであった。これは日本に存在する家族文書のなかで最大のものではないが、入来文書をしてきわめて注目すべき資料たらしめているいくつかのまれにみる条件がある。それは資料の多様性、文書から跡づけできる制度的発展の代表性、文書がカバーする時間的長さ、である。これらの条件は編者の評価するところ価値が高い。文書は比較的限られた領域のものである。編者の経験によれば、研究者をいつも見知らぬ場所に連れて行く文書を通じて制度の発展を分析するのはむずかしい。与えられた資料が単一の領主の家系であり、小さな領域の場合のほうが調査はより容易である。これらの条件は入来文書が理想的に満たしてくれる。同時にそれが体現する本質的な制度的事実は言葉の真の意味で、日本の封建制度史全体を支配したものとして典型的かつ代表的なものである。ここでついに編者は日本の封建的成長の真実を世界にもたらす願望の文書を発見した。注37

2.文書の選択と選択した文書の性質について
 朝河はいう。
 大量の資料、ほかでは得られない資料から、編者は二五三の文書を選び、英訳し、注釈を付し、二五五までの通し番号[訳注。実際に出版された際には155で終わる。たとえば155はAからGまで七つの文書からなる]を付した。内容の表を一瞥すれば、時間、著者、形式、性質が広範囲であることに気づくであろう。一部は性質からして私的なものであり、他は公的なものである。半ば私的、半ば公的なものもある。私的なもののなかには、販売、贈与、降伏、和解、真の職(しき)にかかわるもの、私信、遺贈、証言の行為が見られる。半公的・半私的な文書には、個人や機関の領主とその代理人に対する陳情が含まれる。公的文書あるいは公法にかかわる文書には勅令、朝廷の部局の命令、皇子の命令、国の郡司のもの、将軍の封建政府から出された命令、任命、判決、確認が含まれる。
 私的であれ公的であれ、より封建制度にかかわるものとしては、人間への委託、領主と家臣の誓約、家臣の保有物の認可のような家臣にかかわる文書、将軍・大名・領主・家族の首長から出された領地(あるいは封土)に関する書信、徳川将軍下の大名組織の記録、贈与の提供、人質を要求するもの、出陣の呼び出し、到着報告、戦時の論功の報告、称賛し褒美を約束した手紙、兵士動員割当ての記録などを含めて戦時における文書である。
 このほかに、土地保有、土地調査、課税にかかわる大量の文書がある。より公的な文書は封建時代に用いられた特有の中国語で書かれている。用いられた漢字はまったくの中国流表意文字であるが、それを選択し結びつけて句をつくるやり方は日本独特であり、構文は訛った文法にしたがうので、教養のある中国人にとって読めない文書が多いであろう。全体があるいは大部分がカナで綴られたものもある。これらの一部は文体は口語に近く、方言あるいは誤読、あるいは筆者の無知のゆえに誤りを含みがちである。そのうえカナで書かれた初期の文書は 判読がむずかしい。一部は濁点半濁点などが付されていないためだが、概して同音の中国語に由来する語彙のためである。音声として書かれるときには違いが消えてしまう。中国語であれ、カナであれ、古文書学と制度史をともに学んだ研究者だけが完全に解読できる。ほとんど非識字者によって書かれた漢字と句を含む文は、正書法からすると、ほとんど気まぐれのようだ注38

3.英語への翻訳について
 朝河は翻訳のむずかしさについてこう説明している。
 編者は二つの言語[英語と日本語]の間に大きな差異のある場合は、さまざまな筆者によって無視されている文化の程度における際立った差異とともに、原文のニュアンスを保持しようと努めた。翻訳に見出される荒っぽい箇所は、編者の英語の欠点というよりは、原文に可能なかぎり近づけようとした結果である。編者の力量の及ぶかぎり、正確に慎重に制度的意味の核心をとらえようと努力を払った。この本質における成功の程度は、東西の比較制度史に対する翻訳者自身の知識に主として依存している。編者がみずからの欠点を非常に強く感じていることを記録したいのは、まさにここである。[傍線は訳者による。朝河は謙虚にこう書いているが、朝河の該博な知識がここで十分に活かされていると逆に読むべきであろう]
 編者には、仏教の寺をtemple と訳し、神道の社(あるいは宮)を shrineと訳す通常の翻訳は、賢明とは思えない。寺は church か、monastery である。temple よりは状況に応じてchurch か、monastery がふさわしい。ところで神道の shrine は templeに似ている。これらの理由から編者は「寺」「院」をchurchあるいはmonastery と訳し、「社」「宮」をtempleとあえて訳した。
 徳川時代の藩をクラン(clan) と訳すのは容認しがたい。藩は封建領主、あるいは大名の領地であり、それゆえ本質的に領地の性質をもつ。時には国(くに)と共存して国家の行政区画になっている。人的な側面についてみると、すべての封建社会において世襲と固定した身分を意味したことは確かだが、封建社会の社会組織の基礎以上のものではない。藩は実質においてはすでに社会発展の純封建時代を越えているのであり、武士階級は家臣としての絆で領主に従属している。その大部分は統治機構であり、経済組織であり、藩の人々はもはやポスト封建期の生活、すなわち実際の社会生活において、氏族の段階から一〇〇〇年も経ているのだ。
 英語の書き手の間でclan の使用が普通だが、日本でも外国でも、誤解しやすい用語は藩と同格の語を選ぶべきである。われわれは原語(藩)を用いるか、あるいは「封土」fiefあるいは「大名制」baronyと訳した。
 原文を用いるのが最善と考えるいくつかの技術的用語がある。それはあまりにも簡潔で頻繁に用いられ、その意味を学ぶことは容易ではない場合か、あるいは独特の制度的性格が正確な英語にしにくいものである。なによりもまず庄(しょう)と職(しき)がある。大きな意味をもつものとしては田()と畠(はた)がある。同様に、領域の単位としては国(くに)、郡(こおり)、院(いん)、郷(ごう)、村(むら)があり、役所と職務では、守護(しゅご)、地頭(じとう)、名主(みょうしゅ)などがある。説明は該当箇所で行った。索引から調べられる注39

4.「要約」の章を冒頭に置いたことについて
 朝河は「要約の章」についてこう説明している。
 本書は研究者による独自の内容分析を意図したことを強調しておくべきである。本書は物語や解説ではなく、資料書である。「序説」と「注釈」は次の観点に鑑みて用意したものである。すなわち重要な点について、必要な限りで行う。少なすぎても多すぎてもいけない。中世の史料を集中的に研究した者なら誰しも、非公式な案内や解釈がいかにやっかいなものかを知っている。資料の理解は必ずや訓練と知的特性という条件がなければならない。さもなければ、研究者は決して資料を理解することができない。資料に対する独自の個人的な研究を経てのみ、明快な独創的な結論が得られるのだ。それゆえ本書における文書の注意深い分析によって磨かれるべき制度史の要点は、部分的で試験的なものとみなされるべきである。われわれの資料から導けない(あるいは間接的にさえ触れない)ものは、括弧のなかに含めるべきである。同時に、編者[朝河]は、文書の文面から明白でないが背景の制度のなかに隠されている記録されたその事件や、処理がなければ起こりえなかった話題を含めることを躊躇(ちゅうちょ)しないだけでなく、詳しい精査と思考による発見と分析にのみ依拠する。次の要約[の章]における結論は、目に見えない制度に対する参照は、その性質からして概して試験的なものであり、研究者は編者の判断に安易に信頼を寄せるべきではなく、みずからの主題を探しみずからの資料を集めるべきである。
 これまで行われてきたように、ヨーロッパ制度史となにげない比較を行うことは、研究者の側にヨーロッパ封建制について多かれ少なかれ進んだ知識をもつことを当然視している。その理由は資料に対する文献上の参照が短縮されるか、紙幅の節約のために省略されているからだ。研究者に望みたいのは、十分な学術的案内と十分な資料をもって意図した比較を注意深く行うことである注40
 これらの引用から、朝河の編集意図が理解できるであろう。


注37. 序説42-43ページ。
注38. 序説43-44ページ。
注39. 序説44-46ページ。
注40. 論点の要約515ページ。



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