逆耳順耳(電子版第22回)

矢吹 晋
(21世紀中国総研ディレクター、横浜市立大学名誉教授)


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電子礫・蒼蒼
第26号 2008.09.23   
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。蒼蒼社版の「逆耳順耳」は蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>


書評『中国・危うい超大国』(NHK出版、2008年3月)


 
 
『中国・危うい超大国』の表紙
  
 スーザン・シャークの原書China-Fragile Superpower: How China’s Internal Politics Could Derail Its Peaceful Rise』は、昨年出版され、私はある外交官から面白いと聞かされていたが、今回邦訳に手にして、一読に値すると考え、その紹介を試みることにした。まず書名の訳だが、Fragileは著者のキーワードであるから「危うい」と意訳せずに「脆弱な」と直訳してほしかったと思う。すでに「大国」ではあるが、まるで自信や誇りがない。そこでひたすら「強国」への道を突進しつつある中国は、なるほど「危うい」隣人だが、「脆弱」だからこそ「危うい」と見るのが著者の基本的な観点であろう。
 著者の体験的中国研究と外交官としての対中国交渉で得たものが見事に一体化して、読みごたえのある分析として結実している。中国を知るうえで役立つばかりでなく、中国という鏡に映したアメリカの姿を知ることもでき、日中摩擦を考えるうえでも示唆に富む分析が見られる。
 著者は1971年ニクソン訪中の前夜、中国政府に招待されたアメリカの大学院生15人の一人として、中国の都市と農村を1カ月旅行している。周恩来は7月19日人民大会堂に彼女たちを招待して懇談したが、その際にわざわざテープレコーダーを持参させ、録音させている。むろんその録音をアメリカ人に聞いてもらいたいからだ。周恩来曰く「スーザン・シャーク嬢がアメリカの大統領なら結構なのだが、現実にはニクソンさんが大統領なので、彼をお呼びしなければならないのです」。開襟シャツの周恩来と握手する37年前の著者の写真も掲げられている(邦訳35ページ)。著者は1974年にMITで政治学博士号を取得し、1997年~2000年には国務次官補代理(Deputy Assistant Secretary of State)として東アジア・太平洋局に務め、クリントン政権下での対中政策U直接関わった体験をもつ。国務省を辞めてスタンフォード大学行動科学高等研究所フェローとして過ごした1年間にまとめたのが本書である。なお現在はカリフォルニア大学サンディゴ校教授である。
 1期クリントン政権ではエズラ・ボーゲル教授(ハーバード大学)が国家情報評議会(National Intelligence Council)の分析官を務めたことが知られているが、シャークは2期クリントン政権の時代に国務次官補代理(Deputy Assistant Secretary of State)としてしばしば訪中し、「マスコミが報じる中国側の激越な発言と、実際の外交の柔軟性との間の大きな断絶」を体験している。「マスコミで聞かれる激しい反米論調と、一般市民の目に触れることのない外交交渉の際に中国側が見せる実務的な態度との対照ぶりに、私は衝撃を受けた。中国共産党中央宣伝部が指導するマスコミは、アメリカを攻撃することで世論の党に対する支持を高めようとし、その一方で中国政府の外交官たちは、アメリカ政府に対し、必要に応じて色々な譲歩を行っていた」(365~6ページ)。
 全体は次の9章からなる。第1章強国の内なる脆弱、第2章奇跡の経済発展、第3章国内の脅威、第4章メディアとインターネットがナショナリズムを増幅する、第5章責任ある大国、第6章日本、第7章台湾、第8章アメリカ、第9章「弱い中国」のほうが危険な理由、である。前半で中国の国内問題を扱い、後半で中国にとって大きな意味をもつ対外関係の例として、日本・台湾・米国を挙げてそれぞれの関係の特徴を分析している。
 第1章では、中国の二つの顔を描く。一つは対外紛争を避けて経済成長による社会的安定に全力を挙げる中国だ。これは分かりやすい。もう一つは、より攻撃的な中国である。「中国の神経を逆撫でする日本・台湾・米国」とのトラブルである。ナショナリズムに煽動された人々が「強く関心を抱くような問題が出てくると、中国の指導者たちは自分たちの力を誇示するために」、「マイルドな国際強調派の仮面がかなぐり捨てられる」。「穏やかな中国人たちが、突如として愛国的なスーパーマンという正体を現す」。「中華人民共和国の名誉を守るために、とんでもなくリスクの高い行動をとる」(30~1ページ)。
 台湾海峡でのミサイル演習、ベオグラードの中国大使館誤爆事件、05年の反日デモ—これら三つの事件は、われわれの記憶に新しい。著者は「中国の二つの顔の矛盾」鮮やかに解いて見せる。第2章奇跡の経済発展は、類書と変わりない観察であるから紹介を省く。
 第3章国内の脅威では、1989年の天安門事件の教訓を分析する。「2008年の北京オリンピックは中国にとっては晴舞台のはずだが、実は中国の指導者たちにとっては、この重要な行事さえも心配のタネである。学生たちがオリンピックを好機ととらえて、大規模な抗議行動を起こすのではないかと恐れているのだ」(70ページ)。著者は民主化を求める学生たちの動きを、当局にとっての「心配のタネ」と予想していたが、半年前に実際に「大規模な抗議行動」を起こしたのは、チベット人たちであり、それはいま国外のオリンピック聖火リレーへの妨害活動として中国当局を悩ませている。天安門事件の教訓として、著者は次の3カ条を挙げる。①指導層内に対立があっても、それを公にしてはならない。②大規模な社会不安は事前に抑え込むべし。③軍を党の味方にせよ(71ページ)。この指摘自体は常識的だが、著者の筆が冴えるのは、それを描く筆致であり、それを説く具体的なエピソード群であろう。たとえば江沢民について「彼は劣等感にさいなまれているという点ではニクソン並みで、加えてひどく虚栄心が強い」「江沢民はすぐ感情的になる」「彼が求める政策は、他人の意見や直近に起きた事件の影響で、行きつ戻りつを繰り返し、一夜で逆転する」「江沢民は心理的に不安定だという者までいた」(80~81ページ)と、さまざまなニュース・ソースを用いて描いている。江沢民の「劣等感」、その裏返しとしての空威張りについては、評者も言及したことがあり、まことに同感である。しかもそれが「ニクソン並み」と形容されることによって、米中関係のやりとりが、一挙に身近になる。「本音を隠す胡錦濤」についての次のエピソードは面白い。2005年に胡錦濤は、党内で「党の先進性を維持するための運動を開始したが、これは全党員に4カ月間、毎週木曜午後と土曜日を学習につかせ、自己批判文を書かせる」ものであった。結果はどうか。「党員たちは出来合いの自己批判文をウェブからダウンロードすることができた」「そこで党は、自己批判文はすべて手書きにすることという新規則を導入した」(85ページ)。私はこの記述を読んで笑い転げ、このような面従腹背の官僚主義者とゲリラ闘争の時代の八路軍兵士のイメージを対比したことであった。「中国の指導者たちが動乱に対して抱く恐怖心は、特に強いようである。天安門事件で深く傷つき、他の共産主義国が次々と崩壊するのを目撃し、さらに自分たちを取り巻く中国社会が劇的に変化するのを体験してきたのだから、当然かもしれない」「共産党は社会の不安定化を恐れるあまり、世論に対して極端に敏感になってしまっている」「国民の願望や意思を政策に反映させる公式のチャンネルとしての民主的な選挙を欠いているために、反体制感情の高まりは、そのまま国家の崩壊をもたらしかねない」「今日の中国が享受する平和と安定は、アヘン戦争以来のものといってよいはずだが、中国共産党の指導層は、民衆反乱の幻影に怯えきって、自分たちが包囲されているように感じている」(93~95ページ)。
 「平和と安定」のさなかで、「民衆反乱の幻影に怯えきって、自分たちが包囲されているように感じている」姿は、古来の独裁者に共通の感覚であろう。「居安思危」(安定のなかで危機を思う)ことが為政者の要諦であると喝破したのは『春秋左伝』である。それゆえ為政者が危機管理に意を用いるのは当然である。ただしここでいささか喜劇的なのは、この為政者が中国共産党を自称している点なのだ。「民衆反乱の幻影に怯える共産党」という構図は、ほとんどマンガ的であるが、これが中国政治の現実の姿である。
 「共産党が全国の学校とマスコミを対象に愛国主義教育運動を展開したのは、天安門事件以来のことだ」「国民的な支持を強化するのに、党の愛国主義的側面を強調しなくてはならなくなった」「愛国主義路線に特に乗り気だったのは、予算も増額されるかもしれない軍と党の宣伝部だった逆に懐疑的だったのが外交部である」「外交政策を担当する者は、いつも売国奴の疑いをかけられる運命にある」(109~110ページ)。
 中国のいわゆる愛国主義についていくつかの事例を指摘した後で、著者はこうまとめる。「愛国主義的な情熱は、共産主義に対する信頼が失われた後に生ずる魂の空白を埋める」「加えて、現在の中国に蔓延する商業主義に対するアンチテーゼとしての理想主義という側面もある」(112ページ)。ここでは中国の「愛国主義」が共産主義への信念が失われた状況のもとで意図的に利用されている姿が的確にとらえられている。なるほど、中国では抗日戦争期にも愛国主義の宣伝は盛んであった。しかし、当時の愛国主義は「プロレタリア国際主義」と結合しており、一定のバランスを保持していた。現在の愛国主義は、この「国際主義」が欠如した局面における愛国主義なので、必然的に「狭隘な排外主義」に陥るほかはない。そこが問題だと評者はかねて考えてきた。
 著者はいう。「だが、愛国心をテコに国民を動員しつづけたことで、中国の指導層は自らをコーナーに追い詰めた」。「当局が学生たちにアメリカ大使館や日本大使館の周辺でデモを行うことを認めると、学生たちの反発を買わずに、もとの厳しい秩序を回復することは至難のわざとなる」。「(相手)国の外交を批判することで、国民は国内的な不満を表現する――こうしたことが中国では実に多い」。「現代中国の指導者たちは、ナショナリズムは強力であるのみならず、両刃の剣でもあるという歴史の教訓をよく学んでいる。支配者の立場からすると、ナショナリズムは社会不安をうまく制御して自分たちが生き残る鍵となるかもしれない。だが、外国からの攻撃に抵抗するだけの力を備えていないと思われれば、支配者は批判の集中砲火を浴び、政敵はナショナリズムを使って民衆の支持を得て、体制を転覆するであろう」(112~115ページ)。ナショナリズムに便乗して統治を図りつつ、それが操作不可能な地点まで拡大することをひたすら恐れる指導部の憂慮がここに描かれている。
 「党と軍の関係は微妙である」。「アメリカ国防総省は中国側に軍高官同士を繋ぐ軍事ホットラインの設置を提案したが、中国側はこれを断っている。その理由は、党が軍人にそれだけの権限を委ねたくないからだった」(123ページ)。ここでは党の優位性が指摘されている。「私の長年の知人で辛辣さで知られる朱成虎将軍が台湾問題でアメリカが中国を通常兵器で攻撃してきた場合、中国は核兵器で応じる用意があると発言した。中国は西安の東側にあるすべての都市を灰塵に帰する覚悟がある」と。「この発言は先制核攻撃はせずの原則から大きく逸脱していた」「問題の発言から5カ月後に、朱将軍は1年間昇進なしという行政処分を受けた」「インターネット上では、朱将軍の発言は、実は党の指導層も承認を与えているのではないか、アメリカに対して警告を発しているのではないかという議論が起こった」(131~132ページ)。
 この朱成虎事件では、評者にも小さな体験がある。事件直後に私は北京大学で開かれた日中米安全保障対話の会議に参加していた。2005年7月21日のことだが、会議のメンバーは突然釣魚台賓館に招かれ、李肇星外相の接見を受けた。約1時間の会見の終わり近くなってようやく事の真相がつかめた。案内役の呉建民外交学院長が八百長質問をやってくれたのだ。「朱将軍の発言についての中国政府の見解を伺いたい」と。李外相は、実に懇切丁寧に「それは中国政府の見解ではない」ことを説明した。その説明をアメリカの安全保障問題専門家たちに聞いてもらうために、この接見が用意されたのだ。ホテルへの帰路、私は隣席のアメリカ人に語りかけた。「外相は、朱将軍の個人的発言にすぎず、政府見解ではないと強調したけれども、解放軍には政府のコントロールは及ばないようだね」と。相手はにやりとして私に同意してくれた。朱将軍は著者が書いているように、事件の半年後に「1年間昇進なしという行政処分」を受けたわけだが、これは辛うじて政府のメンツを立てたものであろう。
 著者は自らの体験を踏まえてこう指摘する。「中国では一握りの指導者たちが外交政策を決定するときには、柔軟で実際的な政策が採用され、結果としてうまくいく。政策決定に関与する人間の数がた増えるほど、硬直的で強硬な政策になる」。「対外的な危機が発生して一般大衆の関心が集まる場合、大衆の心情に近いところにある強硬派が優位に立つ可能性は高い」(134ページ)。このような著者の分析を踏まえて考えると、中国当局は、ダライ・ラマとの対話路線を選ばず、「戒厳令下のオリンピック」に突進する可能性が強い。中国イメージを傷つける結果になるのでは、何のためのオリンピックか、本末転倒の話になる。
 第4章はメディアとインターネット、それらがナショナリズムを増幅する事例の分析である。2006年1月の氷点停刊事件、インターネット事情と中央宣伝部の対応、『人民日報』傘下で商業主義に便乗する『環球時報』、中央テレビの「焦点訪談」などが紹介され、「危ういナショナリズム」の姿が描かれる。この分野については日本でもしばしば紹介されており、評者自身も近年日中コミュニケーション研究会の一員として、中国のメディア事情を調べてきたので、特に教わる知見はない。
 第5章責任ある大国は本書の中心部分である。90年代後半、著者は「責任ある大国」への脱皮を始めた中国を相手とした、クリントン2期政権の外交官による「現状維持を欲する大国」側の立場で交渉を重ねた体験を分析している。たとえば唐家璇元外相は「セルビアのミロセビッチ大統領やイラクのフセイン大統領が暴君で、中国がそのような人物達とその体制を支持したことは間違いだったと、内部向けのスピーチで言っている」「われわれは自国の都合しか考えていないという印象を国際社会に与えるべきではない。中国にも道徳的関心のあることを示すべきだ」と唐外相は続けた(182ページ)。天安門事件以後の孤立した中国は、反米でありさえすれば味方であるかのごとく振る舞った時期がある。ユーゴの中国大使館「誤爆」事件は、この状況のもとで起こったわけだ。しかし、これらの不幸な事件を経て、中国は「和平崛起=和平台頭」路線を打ち出す。その試行錯誤の過程は実に巧みに分析されている。国務院新聞弁公室主任趙啓正が「和平」は国外向け、「台頭」は国内向けと解説したという噂話まで含めて、中国のアジア外交の二つの顔や、多国間外交重視への転換、多国間軍事協力、6カ国協議、安全保障についての新概念が分析されている。曰く「実は中国が追求している、多国間外交を通じて、周辺諸国に脅威の念を抱かせずに影響力を拡大する戦略は、アメリカが超大国になった際にとったのと同じものだ」「アメリカの指導層は、国際機関の規則を尊重する姿勢を見せれば、他国はアメリカの抜きんでた国力を恐れずにすむと見抜いていた」「現代中国の指導層もまた、多国間外交を用いることで中国の国力強大化に対する周辺諸国の反発をやわらげようとしている」(220ページ)。
 「地域大国から世界大国へという中国の変貌は、ほとんど一夜にして起こった」「中国のグローバルな足跡が増すとともに、中国が世界を乗っ取るという不安も強まる」「実はこれは、冷戦時代にソ連がどこかの発展途上国と友好関係になるたびに、西側諸国が感じていた不安の経済版なのだ」「中国がアフリカ、ラテンアメリカ、中東で存在感を高めることに対する政治的反発は、中国政府にとって苦しいジレンマである。これらの地域から得られる天然資源なくして中国の生存は覚束ないが、責任ある大国という評価に傷がついては、和平台頭が危うくなる」(228ページ)。
 これから大国への道を歩む中国の悩みは、すでに大国としての悩みを悩んできたアメリカには、手にとるようによく見えるようだ。
 第6章は日中関係の分析である。2005年4月の反日デモを中心として、日中関係の矛盾を考察する。「中国共産党の支配を正当化しているのは、日中戦争における中国の勝利である」(239ページ)。これが建国神話であるからには、共産主義への信念が失われたいま、この神話にしがみつくのは、いわば不可避の成行きだ。だが、それは逆効果も生んだ。「中国が日本に敵対的な態度をとることで、日本は戦後の平和主義の放棄に向かって動くことになってしまった」。著者はある解放軍幹部の言葉を引用する。「中国の反日姿勢が中国にとってマイナスである理由を挙げると、かつては中国が台湾併合に動いても、日本は中立を守ってくれるものと期待できた。だが、今となっては、その可能性はかなり低くなった」(248ページ)。戦後平和主義のカナメとしてきた日本憲法第9条を放棄しようとする動きのあることについて、中国ファクターの大きいことを著者が的確に指摘したのは同感である。中国は反日ナショナリズムに依拠して国内統一を図ったが、その結果、日本国内に生まれた鬼子が平和憲法を改悪し、核武装さえ検討せよという議論なのだ。つまり日本軍国主義者を日夜激励しているのは中国ナショナリズムなのだ。
 第7章は台湾問題である。著者は本書の冒頭で台湾海峡での衝突に起因する米中戦争の悪夢を語っている。「中国が旧ソ連から導入したスホーイ27戦闘機と台湾のF16戦闘機が台湾海峡で衝突した」という緊急報告を受けた著者が即刻国務省に向かう。その車内で中台湾戦争に巻き込まれるアメリカのとるべきシナリオを考えるというエピソードである。
 著者は万一の場合には、そのシナリオを大統領に報告する立場にあったわけであるから、これは単なるSFではなく、かなりの臨場感のある記述になっている。だが、私には、一方では著者の立場に同情しつつも、このような意図的に作られた疑似緊張に翻弄される関係者に強い違和感を覚えないわけにはいかない。
 私は1969年に初めて台湾を訪問し、李登輝教授(当時)に会って以来、この人物を観察してきた。1980年私は台北市長李登輝と単独で会い、1995年シンポジウムの仲間とともに李登輝総統の接見を受け、1997年夏休みには、観光地化を急ぐ金門を視察していた。冷戦体制下で戒厳令を続けた台湾と大陸との関係は、鄧小平による改革開放への転換に伴い、海峡両岸が武装対峙ではなく、経済競争の時代に入ったことは誰の目にも明らかであった。私は台湾であった。戒厳令が解かれ、大陸で市場経済への転換を図る姿を海峡両岸から観察していた。たとえば高雄の輸出加工区に設けられた日立テレビの工場長は数年後には対岸の福州市福日テレビの工場長であった。このような経済競争の最前線をつぶさに見ていた評者にとって、李登輝の独立パフォーマンスに端を発して、これに乗せられた形の江沢民とのどたばた劇は、どうみても底の浅い田舎芝居であり、舞台裏が見え見えであった。その疑似緊張から10余年を経て、台湾海峡はどうなっているであろうか。海南島博鰲会議で副総統蕭万長と胡錦濤主席がにこやかに握手しているではないか。直接選挙による李登輝時代(1996~2000)、陳水扁時代(2001~2008)を経て、馬英九総統の下で海峡両岸はようやく安定を取り戻した。この帰結がすべて予想通りなどと大言するつもりはないが、結局は海峡両岸の経済交流が政治を動かしたと見るべきであろう。まさに「皮之不存、毛将焉傅(附)」なのだ。経済という皮が残らないならば、政治という毛はどこに付くのか。つまりは経済あっての政治であり、経済的一体化の進む海峡両岸関係において、経済を無視した政治論は成り立たないのだ。私はこの立場から台湾海峡両岸を観察してきたが、本書の著者は、ワシントンと北京を往復しつつ、海峡両岸を分析していた。
 2005年に成立した「反国家分裂法」の草案が「国家再統一法」とされていた裏話(339~340ページ)なども含めて、この章は当時、アメリカの対中政策の核心であったテーマに全力で取り組んだことを反映して、詳細を究める。その意味で面白いが、評者自身の体験からいえば、大国間の外交も実に他愛ないものだという印象を否めない。要するに、誰かが仕組み、誰かがそれを知りつつ、乗せられたふりをして、みずからの目的を達しようとしているのだ。そこを剔抉するのがマスコミや研究者の責務ではないのか。
 第8章は米中関係である。話はやはり1999年5月のベオグラードの中国大使館誤爆事件から始まる。著者は国務省から帰宅途中に携帯電話で国務省オペレーション・センターからの連絡を受け、即刻国務省に戻り、中国担当の国務次官補代理として善後策に取り組む。まずクリントン大統領が江沢民主席に電話をかけた。江沢民は電話に出ることを拒否した。そこでクリントンと、アメリカ大使サッサーを通して、謝罪を届けさせた。クリントンはさらにテレビを通じても謝罪し、数日後には電話で江沢民と直接話し、さらにワシントンの中国大使館から回ってきた弔問者用のノートに署名した(351~352ページ)。
 「だが、アメリカ側の誠実な対応は、中国に対して何の効果もなかったようだ。北京の街路は1989年の天安門事件以来、最大規模のデモによって埋め尽くされてしまった。何万人もの若者、それも主として学生が、北京のアメリカ大使館の外で、まし広州と成都の領事館の外で、反米のスローガンを叫び、煉瓦や火炎ビンを投げて、アメリカに抗議した。成都では、デモ参加者が総領事の公邸を焼き討ちにしてしまった」(352ページ)。
 「江沢民の行動も不可解だった」。「この行動のヒントは、次の一節にあった。”強い世論の圧力に直面して、中国政府と各大学の当局は学生や一般市民の抗議行動を許さざるをえなかった。江沢民主席は、後にアメリカ政府高官に、12億人の人民が怒り出したら、止めようがない、と事態を説明している”。中国共産党の指導層は、学生たちの愛国的な怒りをアメリカに向かわせることで、自分たちの身の安全を確保しようとしていた」(354ページ)。
 「江沢民をはじめとする中国の指導層としては、北京の空気に不穏なものが漂っていると感じざるをえない事件が、ベオグラード危機のわずか2週間前に起きていた。その日、法輪功の信者1万人以上が中南海地区の周囲に突如現れ、静かに座り込みを行った」「彼らは携帯電話とインターネットを使って、警察にも国内治安機関にも気どられずに、一夜でその場に集結すると、静かに中南海に取り囲んだ」「法輪功事件の2週間後に、ベオグラード誤爆事件が起きた」(354~355ページ)。
 私は不覚にも法輪功の座り込み事件と誤爆事件とが中南海に与えた衝撃を結びつけて考えたことはなかった。江沢民が一方で法輪功への徹底的な弾圧を行い、他方で米国大使館投石事件という奇妙な処理を行ったのは、両者の複合衝撃への対応なのであった。
 著者はさらに1995年6月の李登輝訪米、ラントス下院議員らによる2000年北京五輪反対決議、1997年の江沢民訪米、1998年のクリントン訪中、1999年の朱鎔基訪米によるWTO加盟交渉、2001年4月の海南島上空での米軍の偵察機とスクランブルをかけた中国の戦闘機の接触事件(中国の戦闘機は墜落し、パイロットは死亡、米国偵察機は海南島に緊急着陸した)、2001年9月ニューヨーク・テロに対する江沢民の電光石火の見舞いなど、米中関係の大事件の処理経過を実に手際よく解説してくれる。特に興味深いのは、次の一節だ。「アメリカ人の恐怖の対象は、強大化する中国が将来アメリカと敵対する可能性から、アルカイダおよびテロ・ネットワークという、すでに実在し、しかも緊急性の高い脅威へと移ってしまった」「中国を救ったのは、オサマ・ビン・ラディンだった」「イスラム原理主義テロがアメリカの第一の敵になった。おかげで中国は「韜光養晦、目立たない外交」に戻ることができた」(398ページ)。
 米中関係のこのような意外な展開は、やはり著者ならではの分析と読むべきであろう。
 第9章は結論であり、「弱い中国こそが危険だ」と見る著者の立場を明らかにしている。「国際社会にとって危険なのは、中国の増大する国力ではなく、国内的な脆弱さなのだ」「共産党の頼りない正統性と、指導層の危機意識のせいで、日本や台湾に絡んだ危機が発生した場合、中国は軽率な動きをとり、アメリカと軍事衝突するかもしれない」「経済成長が鈍化し、あれこれの国内問題が悪化すれば、中国の指導層が対外的な危機をでっちあげて国内の支持を強化する誘惑に駆られる可能性もある」(424ページ)。
 「アメリカ人は、日本が自動車や電子製品の製造でアメリカとまともに競合するようになり、日本企業や日本人がロックフェラー・センターのようなアメリカを代表する不動産物件を購入してアメリカ人の誇りを傷つけた時にも、今回の中国脅威論と似たようなヒステリー状態に陥っている」「いや、中国の経済的台頭のほうが、アメリカ人にとっては心理的に受け入れにくいかもしれない。というのも、現在のアメリカは中国に対する巨額の債務まで抱えているからである」(447ページ)。
 最後に著者の結論はこうである。「強大化する中国との戦争を回避するというのは、現在のアメリカにとって最も困難な政策課題だといえる」。「(アメリカは)中国の台頭についても、さまざまな集団が自分たちの短期的な利益の観点から政府の対中政策に働きかけ、一方で政治家は有権者の中国に対する恐怖心を利用して選挙に当選しようとする」。「中国を客観的に見るには、共産党体制の意外な脆弱さを直視することが必要だそうすることで初めて、アメリカは中国との対決をもたらすような間違いを回避できる」。ここまでは著者の当面の課題である。
 では中長期的にはどうか。「楽観的な中国人のなかには、米中関係は、米英関係のアジア版になると予想する者までいる。アメリカが世界を指導し、中国がアジアを指導するというわけだ。だが、中国が共産党の一党支配のもとにある限り、そうした完璧な調和が米中間に生まれるのは考えにくい」。「アメリカと中国がアジア地域、ひいては世界全体の指導的大国として責任を分かち合うという米中パートナーシップの構想は、アメリカが中国の危うさを理解し、しかも一国だけで問題をすべて解決しようとしないところまで成熟すれば、十分に実現可能である」(450ページ)。
 著者は一方で一党支配の限界に留意しつつ、なおかつ「米中パートナーシップの可能性」に期待しているようだ。さて日本は、どこへ行くのか。
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