縄文巨大石棒の謎(第5回)

中村 公省
(東京都町田市在住)

プロフィール>>
電子礫・蒼蒼
第85号 2018.08.09
蒼蒼 目次へ >>

土偶は巫女の呪術具であった

はじめに:「縄文―-1万年の美の鼓動」を見て考えた
 東京国立博物館で開催されている「縄文―1万年の美の鼓動」(2018.7.3-9.2開催)を参観しました【注1】。国宝6件、重要文化財63件を初めとする優品が一堂に集められていて、土偶とは何であったかを考える絶好の機会となりました。国宝や重要文化財とは縁遠い、オバQのごとき稚拙・拙劣なつくりの町田市忠生遺跡出土「背面人体文土偶」の謎に直面している私は、「芸術は呪術である」という岡本太郎の咆哮を思い起しながら、「1万年の美」と対決せざるを得ませんでした。岡本太郎はこう言っているのです。
 土偶、土面、土版、土器、「それらが実用的な目的だけで作られているのでないことは、形態を見れば一目で明らかです。そしてまた、あの複雑で怪奇な縄文式土器が現代の“芸術のための芸術”のように、たんに美学的意識によって作りあげられたのではないこともたしかです。それは強烈に宗教的、呪術的意味を帯びており、したがって言いかえれば四次元をさししめしているのです。」(岡本太郎『日本の伝統』2005.5、光文社、p.92)
 四次元とは、この世のモノでないという意味合いでありましょう。
 そこで、今回は、「美の競演」の極致だと喧伝されている、国宝第1号の「縄文のビーナス」が何であったかを鑑賞し、四次元の美を考えてみることにしたいと思います。
〔1〕「縄文のビーナス」の頭上では、マムシがとぐろを巻いている
 「縄文のビーナス」は超有名な土偶ですから、改めて紹介する必要もないでしょう。【注2】念のために、茅野市教育委員会『棚畑 八ケ岳西山麓における縄文時代中期の集落遺跡』(1990)(以下「棚畑調査報告書」と略称)から「縄文のビーナス」の正面図、背面図、左右の側面図を借用します(図1-1~1-4)。また、棚畑調査報告書から「縄文のビーナス」の主要特徴」を抽出しておきます(表1)。


 
(資料)茅野市教育委員会『棚畑 八ケ岳西山麓における縄文時代中期の集落遺跡』1990より、以下1-3,1-4同 





表1 「縄文のビーナス」の主要特徴
出土地 霧ヶ峰南麓の茅野市棚畑台地に展開する縄文時代中期集落址のうち、南環状集落中央部の非居住域広場の土壙群中で、やや北よりの位置。黒曜石の原産地である和田峠を背後に擁している
出土年月日  1986.9.8
大きさ・立像 全長27.0㎝・重量2.14㎏。腕を開いて真直に立った状態。全体観は6等身の、出腹、出尻、足太の下半身に重心のある安定した独立立像形土偶
発掘状態 土圧で足部つけ根から折れていたが、欠損部のない完形で発掘
頭部の特徴 頭部は冠帽状のものを着用した表現となっており、この部分に特徴的な文様がある。頂部は平坦で、円形の凹みを中心に沈線による渦巻文が施されている。頭部の冠状部分の後頭部に上方からの小穴があるが、貫通していない。左右の耳にある耳栓状部分に横の小穴が貫通している。
顔の特徴 顔は丸い小さなハート形をしており、つり上がった切れ長の目とやや低い鼻、それに目が表現された愛くるしい顔だち
腹と腰の特徴 腹と腰は特に誇張した表現となっている。腹はやや下がりぎみに一段とふくらんで突き出し、妊娠の状態を表わしている。その先端には、内部まで深くあけられた小さな丸い穴で臍が表現されている
足の特徴 足は太くて底部の大きい安定感がある。両足の間はあいており、右足はやや短い
尻の特徴 背から尻にかけての背面はよく磨かれた平滑な面をなし、腰が強くくびれ、尻は大きな逆ハート形を呈し、後ろに張り出して安定感がある
製作方法 ①骨格を作り、②組立てて接合(ソケット方式)し、③肉付け、④外装し、⑤整形。(鵜飼幸雄「第500号土残出上の大形土偶の製作方法について― X線写真からの考察」参照)
制作時期 縄文中期 (約5000年前)。「施文からの考察、製作方法からみて完成度の高い技術からして、中期中葉Vに製作された土偶と考察」(宮坂光昭)
文様 頭部の冠帽状部分にのみ文様がある。冠帽状の頂上部は平坦で円形に作られ、中央部の円形の凹みを中心に渦巻文が二巻き半ほど沈線で施され、末端は右後部に垂下している。左側面は頭頂部からの垂下する沈線文により区画され、中央に同心円文、その両側に内側が弧状になる三角形状の半肉彫文が対称的に施される。右側面は耳飾を囲んで長方形区画の半肉彫文。その上に蕨手状の沈線文があり、これも前額部の三角文と組み合わさり、玉抱き三叉文の変化とみられる
妊娠女性像 「土偶の体型からして冠帽部と顔面、巨大な臀部と大腿部および腹部は注視さるべき性格を示し、加えて乳房を有することから決定的に妊娠女性像である」(宮坂光昭)
国宝指定日 1995.9.8(日本最古の国宝 縄文時代の文化財として最初の国宝」)
(資料)茅野市教育委員会『棚畑 八ケ岳西山麓における縄文時代中期の集落遺跡』1990より主要特徴を抽出


 肝心なのは、宗教的・呪術的意味合いです。そこで、この世のモノとも思われない四次元の観点から、注目すべき「縄文のビーナス」の三つの特徴を以下に列挙することにします。
 第1には、この土偶が何処から、どういう状態で発見されたかです。
 発掘場所は、長野県茅野市、八ケ岳西山麓の縄文時代中期中葉勝坂期の大集落遺跡である棚畑遺跡です。ここは黒曜石の大産地である和田峠をひかえ、黒曜石の生産・流通拠点の一つであったと推測されます。発掘地点は、棚畑台地に展開する縄文時代中期集落址のうち、南環状集落中央部非居住域広場の土壙群(墓場)の中の土壙(墓穴)です。
 土偶は、あの世で完全にするために、この世からあの世への「送り」に際して不完全に(破壊)されるものですが、この大型土偶は例外で、ほとんど完全な姿で発見されました。頭を西、足を東、正面を南向きにして横たわっていたのは、生・死と日の出・日の入りの関係が意識されていたにちがいありません。この土偶が死者の副葬品として埋葬されたのか、それともこの土偶自身を死者と見立てて埋葬したのかは定かではありません。三上徹也は、土偶がつくられたのは大集落形成期の縄文中期初頭(5500-5400年前)で、それ以降、集落で長らく伝世され、縄文中期中葉末(5000-4900年前)に廃棄埋納されたのではないかと推定しています。【注3】
 第2には、この土偶の豊満なボディの特徴です。
 一見して、出腹、出尻、足太で、腹と腰が誇張されています。腹は下がりぎみで膨らんで突き出し、妊娠状態です。その先端には臍が、内部まで深くあけられた小さな丸い孔で表現されていて、胎児に直結している臍へのこだわりが感じられます。
 顔は丸い小さなハート形です。ハート型の顔は、つり上がった目とワンセットで、中部高地の中期前半の土偶の一大特徴です。「ダブル・ハの字文」と言われる、顔の文身(いれずみ)は見当たりません。
 切れ目でつり上った目は、狂おしい表情で、妊婦特有の表情なのか、それとも祈りの忘我状態を表しているのか定かでありません。
 乳房は妊婦にしては小さく申し訳程度です。これは短縮された左右に広げた腕と相まって、安定的な造形に資したためでしょう。足、脚、臀部、腰部が太く、大きく、支えがなくても立つ独立立像形有脚土偶となっているのです。作りがよく似ていながら、足が付いていない独立座像形土偶が55号住居址から出土していますので、独立立像と独立座像、この二つの形がどのように使い分けられたか、という疑問も湧いてきます。
 臍の下、正面下腹部には糸巻型の陰刻があります。これは、三角形を二つ左右に並べた文様(対称弧刻文)を一つに合体したもので、女性器そのものではないが女陰に類縁する表徴だ、と考えられています(小林公明「対称弧刻文の神話的考古」『諏訪学』2018.3、国書刊行会、p493)。
 なお、この「縄文のビーナス」にないものがあります。多くの土偶に見かけられる臍の上下の、いわゆる「正中線」です。俗に土偶の正中線は妊娠線であると言われていますが、妊娠線は妊婦誰にも必ず明確に発生するものではありません。「人体にそんな線はないので、精神ないし象徴のレベルにその意味内容を求める必要があろう」(ネリー・ナウマン、檜枝洋一郎訳『生の緒』2005.3、p250、言叢社)。「例えば蛙や蛇が表わされていても、それは蛙や蛇そのものを表わそうとしたわけではない。常に、或ることの表徴なのである」(小林公明「ふたつの緒」『生活文化史』第70号、2016.9、p84)。
 恐らく妊娠の象徴、表徴であろうと思われる、土偶にとって極めて重要な、この正中線が「縄文のビーナス」には見当たらない。ここでは、その事実だけを確認しておくにとどめましょう。
 
 さて、第3には、この土偶の頭に上にある不可思議な被り物と文様が何なのかです。これが最も重要なポイントなので、念入りに検討していきたいと思います。
 棚畑調査報告書では、これを「冠帽状のもの」と呼んでいます。冠帽とは「かんむり」または「かぶりもの」、インド人や回教徒が頭に巻くターバンのごときものとも見立てられるでしょう。冠帽の頂上部は平坦で円形に作られています。中央部の円形の凹みを中心に渦巻文が沈線で中央から時計回りで二巻き半ほど施されていて、その末端は右後部に垂下しています。この垂れ下がりは造形的に意味深長であります。(図1-3 「縄文のビーナス」の背面図を参照)。
 これは何か? 帽子を被っているとか、髪型であろうとか言われていますが、さて、どうでしょうか?
 髪型だと言っているのは、考古学者の江坂輝爾です。曰く、「額の上部がひさし状に突出している状況は、縄文中期、今から四、五千年前に、近代の婦人の髪型であるひさし髪と同型の結髪が行われていたことを表現したものと思われる。」(江坂輝爾『日本の土偶』(講談社学術文庫、2018.1、p.200、傍線は引用者)。
 これは「思われる」であり、根拠なき思い付きにすぎない。
 しかし、江坂はその一方で、山梨県韮崎市坂井遺跡出土の土偶写真(図2に転載)を示して、次のような論証(【根拠】→【推論】)を行っています。


図2 山梨県韮崎市坂井遺跡出土の土偶写真
(資料)江坂輝爾 『日本の土偶』 p.79より転載 




 【根拠】「頭髪はとぐろを巻く蛇の姿を表現しており、長野県藤内遺跡出土の土偶の頭部背面の頭髪が、とぐろを巻き首を上に向け口を開く蛇の姿をしているのと共通している。」(p.80、線は引用者)
 【推論】「新潟県長岡市馬高(うまたか)遺跡出土例〔図3参照〕には沈線による渦巻文が施文されているが、これは藤内遺跡出土の土偶などの頭頂部にみられる、とぐろを巻く蛇の頭髪が文様化したものであることが理解できる。」(p.81、線は引用者)
 新潟県長岡市馬高遺跡は、縄文中期の大集落であり「火炎土器」の出土の地として広く知られていますが、図3の土偶はその地「ミス馬高」です。河童の皿のように頭部が椀状に窪み、そこに渦巻文が描かれています。両頬にある二条の立て傷は文身(いれずみ)です。


図3 「新潟県長岡市馬高(うまたか)遺跡出土例
(資料)MIHO MUSEUM 『土偶・コスモス』 2012.9、鳥羽書店より


 江坂は曖昧な物言いをしています。藤内遺跡出土の土偶の「頭部背面の頭髪」とか「とぐろを巻く蛇の頭髪」とか、要するに、あくまで「とぐろを巻く蛇の形に結った髪型」だと強弁しているのです。しかし、こんな蛇型ヘアスタイルなんてあるものですか? この縄文土偶の大学者は、空想力豊かなだけです。頭に蛇を載せ呪術を行う「蛇巫」というものが存在することを全くご存じない。
 藤内遺跡16号住居址出土土偶を蛇使いの巫女(シャマン)【注4】だと喝破したのは、民俗学者の谷川健一です。
 「井戸尻考古学館には勝坂式土器と一しょに出土したもので、頭髪がとぐろを巻いた蛇になっているめずらしい女性土偶がある。小型の女人像だが造形的にはしっかりしたものだ。(中略)このマムシは、シャーマンと関係あるのではないか、と私は考えている。シャーマンは自分の霊力を示して民衆の尊敬を勝ちえるために、蛇(マムシ)を手なずけ、それを頭にのせるといったわざを行ったのではないか。」(谷川健一『魔の系譜』1984.11、講談社学術文庫、p.34)
 蛇の民俗学の吉野裕子は、弥生時代の「蛇巫」について、こう言っています。
 「蛇信仰には、それに付随して、縄文時代に引き続き「蛇巫」の存在が推測されるが、これら男女の蛇巫は、蛇を甕や桶のなかに飼い、蛇を祀って、祖霊としての蛇の宣託をきくことを、その転職としていたのである。」(吉野裕子『日本人の生死観―蛇信仰の視座から』講談社新書、1982 12、p.20)


図4 藤内土偶の正面図、側面図、背面図、上面図
(資料)樋口誠司、小松隆、小林公明編 『藤内』 2011.3、長野県富士見町教育委員会刊より


 「蛇巫」については改めて検証することにして先を急ぎましょう【注5】。藤内遺跡16号住居址出土土偶自体をじっくり観察してみることが肝腎です。図4は藤内遺跡発掘報告書から転載した、藤内土偶の正面図、側面図、背面図、上面図です。
 報告書は以下のように観察しています。
 「土偶276は、左腕と胸部より下を欠く。大きく平たい顔には、高い鼻と眉が隆線で描かれ、眉間は銀杏葉形のわずかに凹む。目尻は筆先のように切れ長で、左目は頬にかけて二本の浅い線が引かれている。口はいわゆるおちょぼ口。腕は短く真横にひろげて、両の乳房があらわされている。頭部にはとぐろを巻いて口を開けた蛇とみられる造形がある。後頭部の裾の三方と頭部に小孔が抜けている。背中には、半截竹管で内反りの菱型が表わされている。井戸尻期の人面付深鉢の人面の頭上に蛇が表わされた作品は珍しくないが、頭上に蛇を頂く土偶は類例を見ない。」(樋口誠司、小松隆、小林公明編『藤内』2011.3、長野県富士見町教育委員会刊 p.334.)
 頭上にあるのは、どう見てもとぐろを巻く蛇そのものじゃありませんか?
「王様は裸だ!」というたとえがないでもない。第三者の目として『日本民俗大辞典』で「蛇」を引きましょう。
 「へび 蛇 蛇が非常に古くから日本列島において信仰の対象になっていたことは疑いない。縄文時代中期に、蛇を頭に巻きつけた女性の土偶が出現した。そののち蛇信仰は多様に発展し、この動物は山の神・水神・農耕神・死霊の象徴として崇拝され、あるいは畏怖された。」(『日本民俗大辞典』下、p513、2000.3、吉川弘文館)
 この藤内遺跡は棚畑遺跡と同じ八ケ岳山麓の同時期の集落です。藤内16号土偶と「縄文のビーナス」とは、顔のつり上がった目、頭の蛇とマイマイ、胸の小さなオッパイと短く開いた両腕など共通した造形表現が見られます。左目の下の二本の浅い線は文身(いれずみ)にほかならず、「ミス馬高」では両目下に記されていますが、「縄文のビーナス」の顔面にはありません。藤内土偶と棚畑土偶の頭上にあるのは、とぐろを巻いた蛇であり、片や具象的に、片や抽象的に表現されたもので、表現技法の違いと見て間違いないでしょう。「ミス馬高」の頭頂はお椀状に湾曲していますから、入れ物であり、恐らくは蛇を入れる籠でしょう。
 蛇と言っても、青大将のごとき無毒の大蛇ではなく、小ぶりで、胎生で、恐るべき毒性をもったマムシです。縄文土器や土偶に描かれた蛇を注意深く観察すると、頭が三角に尖って造形されていますから、図象学的に見てマムシであることが確定的です。
 「ミス馬高」の頭頂の籠の後ろに二つの穴が開いていますが、これは何でしょう? 藤内土偶の頭にも三つの穴があります。報告書には「後頭部の裾の三方と頭部に小孔が抜けている」と記されています。この疑問に対しては、藤内土偶を保存展示している井戸尻考古館が見事な回答を出しています【注6】。図5をご覧ください。「山鳥の尾のしだり尾のながながし夜を一人かも寝む」(柿本人麻呂)の山鳥の尾羽に他なりません。


図5 山鳥の尾を付けた藤内土偶
(資料)http://footprint.life.coocan.jp/Jomon5.html


 実は、この頭上の穴が「縄文のビーナス」にもあるのです。『茅野市縄文ガイドブック』から転載した図6をご覧ください。「突起と接する頂部の端に深い穴があけてあります。何のために開けられた穴でしょうか」と問うているだけですが、最早明らかですネ。ここに「山鳥の尾のしだり尾」を差し込んだ姿をイメージしてみて下さい。土偶は華麗に飛び立とうとするような動きを醸し出しませんか。この美はムラビトの心を捉え、頭にとぐろを巻く毒蛇の魔力とあいまって祈願の成就へと誘う。縄文の美は呪力のためにこそ必要とされていたのです。


図6 縄文のビーナス後頭部の穴
(資料)「縄文」を識る部会・茅野市尖石縄文考古館『茅野市縄文ガイドブック』2017.3、
茅野市教育委員会、p.32より転載


図7 奄美のノロとアラボレ
(資料)谷川健一 『蛇 不死と再生の民俗」 冨山房インターナショナル、2012.1.27、pp11-12

 藤内土偶が蛇使いの巫女であることを洞察した谷川健一は、「蛇巫の誕生」の方では、図7のごときシャーマンの画像(「奄美のノロとアラレボ」)を示して、その証拠としています(昇曙夢『大奄美史』からの転載)。
「ノロは巫女を意味し、アヤナギは綾蛇(アヤナギ)で、色模様のある長いもの、ハブの古称である。アラレボは一五、六歳の娘でノロの従者をいう。井戸尻出土の女人土偶は少女の稚拙な表情をもっている。」(『蛇―不死と再生の民俗』2012.1、pp11-12、冨山房インターナショナル)
 図7に示されたノロもアラレボも、後頭部に2本の羽を立てていますね。これを縄文の世に当てはめれば、ノロの「縄文のビーナス」は山鳥の尾羽を1本後頭部におったて、従者の娘である藤内土偶の方は、3本の山鳥の尾羽をなびかせて付き従う、という巫術場における華麗な巫女のいでたちをイメージできるのではないでしょうか。

図8 シベリアのシャマン
(資料)ウノ・ハルヴァ、田中克彦訳『シャマニズム アルタイ系民族の世界像 2』
平凡社東洋文庫、2013.5、p.203

 参考までながら、図7は、近世のシベリヤのシャマンの写真です。頭上には鳥の羽が3本ピンと立っています。縄文のシャマンの姿は、このシベリヤのシャマンのような姿をしていた可能性なしとはしないでしょう。手に持っているのは太鼓ですが、井戸尻考古博物館には太鼓だという説のある「有孔鍔付土器」が存在しています(もう一つの説は酒造具)。シャマニズムとはシベリア諸民族の原始的な霊魂崇拝に根ざしたアニミズム的世界観に他ならず、沿海州―樺太―北海道―内地という伝播ルートが想定されます。
 ところで、非アカデミズムの信州の土俗的考古学を先鋭的に切り開いたのは藤森栄一ですが、彼は藤内16号土偶にふれて秀逸のエッセイ「縄文人のお産」を書いていて、その豊かなイマジネーションに、私は驚嘆しています。曰く、
 「縄文のむらはずれに、呪者を兼ねた助産婦の住む家があり、村の月満ちた女はそこで、異様な呪術と怪奇な呪文をうけ、横木にぶら下がって、苦痛にたえたものに相違ない。」(『藤森栄一全集』第9巻、1979.3、p.133)
 「横木にぶら下がって」というのは横木に渡した紐にぶら下がっての立位による出産ということですが、注目すべきはその個所ではなく、「呪者を兼ねた助産婦」という方です。マムシを王冠のごとく頭上の戴いた女性は、蛇使いの巫女であり、且つお産婆さんであったとさらりと言ってのけているのです。
 アイヌ学の金田一京助とその教え子の寺久保逸彦は、北海道アイヌのシャマン及び樺太アイヌのシャマンについて実地取材をして多くの証言を残していますが、その中で二つの重要な事実を指摘しています。
 一つは、アイヌのシャマンには憑き物があって、その多くは蛇だという事実です。蛇のほかには竜蛇(蛇体で翼がある)、カワウソ、蜘蛛、河童(ミンズチ)が上がっています。縄文中期土偶・土器のなかでは、蛇のほかに山猫、猿、猪、カエル、サンショウウオなどを表象した造形が見られます。
 もう一つは、アイヌのシャマンは巫術と同時に産婆を兼ねていたという事実です。【注7】近世のアイヌと縄文中期中葉とは5000年もの時間を経ているとはいえ、未開の森の中でヒトビトが懸命に生き抜く実践的知恵としての呪術に、驚くほど共通性があるのは何ら不思議でない、と私は思います。(生殖医療に依存する若者たちも、安産祈願をしたり、臍の緒を大事に保管するなんてことを行っているのじゃないでしょうか。)
 
 さて、ここまでのところから、「縄文のビーナス」が何者であったか、に関する、私の暫定的な仮説を掲げて一括りとしましょう。
 ① 「縄文のビーナス」は頭に蛇載せた巫女自身の偶像であった。
 ② 巫女は出産にかかわる呪術を行うとともに産婆の役割も兼ねていた。
 ③ 土偶は巫女の呪術具で、視覚を通してムラビトの心を捉えた。偶像がその内に聖なる美を内在させていていれば、美がムラビトの心を捉え、祈りの成就に誘う。縄文の美は呪力のためにこそ必要とされていたのだ。
 ④ 巫女は美に加え魔力を併せ持っていた。偶像にあるごとく巫女の頭上で妖しげにとぐろを巻いているマムシ使い、その動きによって神託をもたらし、信者を帰依させたにちがいない。【注8】
念のためにダメ押ししておきますが、以上は土偶一般を言っているのではありません。あくまで縄文期中葉の「縄文のビーナス」と名付けられた土偶そのものの正体を類推したにすぎません。
 しかし、「縄文のビーナス」は孤立した土偶ではないのです。他にも、「ミス馬高」や坂井土偶のように頭にとぐろを巻く蛇を戴いた土偶がありました。そして、そうした目で縄文期中期前葉の中部地方(長野、山梨、富山、新潟、神奈川、東京など)の土偶や土器を改めて見渡してみると、あるわ! あるわ! ぞろぞろ、蛇が這い出してくるのです。土偶はことごとく破壊された状態で発掘されていますので、「縄文のビーナス」のごとくパーフェクトではありませんが、姿かたちや顔・頭が「縄文のビーナス」とよく似た土偶がたくさん発掘されているのです。頭の上に皿を載せた河童に似ているところから、考古学者が「河童型土偶」と名付け分類した土偶がそれです【注9】。カッパではなく、実はトグロをまく蛇を頭に戴いた土偶であって、「蛇トグロ型土偶」とか「蛇マイマイ型土偶」とでも言った方が的確でしょうが、長いものには巻かれろ、習わしに従って、いわゆる「カッパ型土偶」としておきましょう。
 今や「縄文のビーナス」によく似た「カッパ型土偶」探しに出かけなければなりません。これは中部地方の各地博物館や各地教育委員会が編纂した発掘調査報告書に分け入って行く、いささかしんどい旅です。

 
◇ ◇ ◇ ◇
 


 
注1 『特別展 縄文――1万年の美の鼓動』2018.7、東京国立博物館・NHK・NHKプロモーション・朝日新聞社刊がある。そこで東京国立博物館の井出浩正は、「縄文のビーナス」を「端的に豊穣や子孫繁栄の願いが表わされた縄文時代土偶の一つの極致といえるだろう」と評している。(p.253)これが、文化庁、NHK、朝日新聞ご推薦の通俗的な見方である。なお、「スクープ!縄文土器・土偶が「変造」されている!」(『サンデー毎日』2015年7月19日号)は見逃すわけにはいかない。この国の文化官僚の見識が問われている。
注2 三上徹也『縄文土偶ガイドブック―縄文土偶の世界』(2014.1、新泉社)を参照。本書は、初心者向けのガイドブックではなく、先鋭的な土偶像が描かれている。「縄文のビーナス」も「仮面のビーナス」もシャマンの像であり、彼女たちはムラの祭りを仕切る司祭であり、しかも「縄文のビーナス」も「仮面のビーナス」のつくり手でもあったというのである。私は、土偶がアニミズムの基づく神人一体の呪術の形式――シャマニズムの所産であることに賛同する。私のイメージ――土偶はシャマンの呪具であり、あの世からこの世へのタマシイの復活儀式の祭壇に祀られ、受胎―出産―育児とうち続くヒト、ムラの再生を領導する類感呪術具であったといイメージにとって、刺激的なガイドブックである。
注3 三上徹也「土偶理解の試みとしての『モデル・コピー論』――中部高地を例とした土器型式との比較試論」『長野県考古学会誌』、2018.5、p.6。なお、この三上論文は、長野・山梨など中部地形の中期土偶を考察して、①土偶には精製された・かけがえのないモデル土偶と②模倣された多数のコピー土偶とがある、という「発見」をしていて興味深い。
棚畑の「縄文のビーナス」は高度の技術力をもって制作された・かけがえのないモデル土偶、それに似通った亜流・稚拙なつくりの有象無象の土偶はコピー土偶という見立てである。私は、次の視点に注目する。モデル土偶は超技能者(シャマン)によって制作されて以後、ムラの中で長期にわたって伝世され、ムラの廃棄に当ってヒト並に埋納されたのではないかという推量である。安置されるモデル土偶に対して、コピー土偶の方は、未熟なムラの女によって制作され、短期間の祭祀後、土偶一般がそうであるように送り場に破壊・廃棄されるという次第である。縄文中葉後期の曽利期にあっては、坂上土偶がモデル土偶であり、その周辺(信州、甲州、相模、武蔵など中部地域)で大量に発見されている稚拙な「人体背面文土偶」はコピー土偶に当たろう。オバQのごとき稚拙・拙劣なつくりの町田市忠生遺跡出土「背面人体文土偶」は典型的なコピー土偶に他ならず、私はコピー土偶の方からモデル土偶を考察してみたいと思っている。いわば、上から下へではなく、下から上への視角である。
三上の視点は主に制作技術論からのアプローチであって、シャマン論(呪術論、宗教論、科学論)からの視点が希薄であり、縄文におけるシャマン(男シャマンは巫覡、女シャマンは巫女)の像が歴史史料に即して的確に捉えられていないように思われてならない。私は、E.タイラー、J.フレーザー、B.マリノフスキー、ファン・ヘネップ、M.エリアーデら文化人類学及び日本の民俗学による巫女・巫術論(柳田国男、折口信夫、桜井徳太郎ら)やアイヌや沖縄におけるシャマン像(金田一京助、伊波普猷、N.G.マンローら)など先人の労作の中をさまよって、縄文における巫女のイメージを捉えることに汲々としているところである。
己のための覚えとして、モデル土偶―コピー土偶の構造を宗教論の観点から見直すポイントを、二つ指摘しておきたい。
一つは、土偶がシャマンの呪具であるとするなら、呪具は呪術を依願するムラビトとシャマンとの関係の中に存在し、シャマンの呪術にとってこそ存在価値があることである。祈りは視覚を通してムラビトの心を捉える。J.フレーザーがいう、似たものが似たものをもたらす、例えば妊婦の像が祈願者に妊娠(あの世からのイノチの復活)をもたらすという類感呪術である。偶像がその内に聖なる美を内在させていていれば、美がムラビトの心を捉え、祈りの成就に誘う。縄文の美は呪力のためにこそ必要とされていたのだ。美に加え魔力を併せ持っていれば、呪力はいやます。「縄文のビーナス」像の頭上で妖しげにとぐろを巻いているマムシがそれである。このシャマンは蛇使いであり、ムラビトが恐れ、おののく毒蛇を自在に操って、蛇の動きによって神託をもたらし、信者を驚愕させ、シャマンへの帰依を絶対的にしたと思われるのである。
宗教論的観点から土偶を見直すもう一つのポイントは、モデル土偶は神霊(御本尊)で、コピー土偶は勧請した分霊という関係ではないのか、ということである。これは、考古学者の安孫子昭二が、町田市忠生遺跡の背面人体文土偶を考察して、つとに着想しているところである。
「背面人体文土偶は本場山梨方面から曽利集団が持ち込んだ、祭祀儀礼にかかわる御神体のような存在ではなかったか」(安孫子昭二『東京の縄文学――地形と遺跡をめぐって』2015.11、コレジオ、p.194)
背面人体文土偶のモデル土偶は、八ヶ岳の南西麓の坂上遺跡から出土した縄文時代中期後半の坂上土偶(重要文化財)である。神道で分霊を他の社に移すことを勧請(かんじょう)というが、御本尊の坂上土偶の霊を町田の忠生集落に勧請したのが忠生のオバQのごとき稚拙・拙劣なつくりの「背面人体文土偶」ではなかったか(安孫子がいう「本場山梨方面」が忠生土偶の直截の御本尊であるとするなら、忠生土偶は坂上からの孫勧請ということになろう)。
では、誰が持ち込んだのか? 女だと安孫子は言っている。婚姻関係か、それともシャマンの相続か? 黒曜石やヒスイ、琥珀、塩、石棒などの流通から類推すると、婚姻圏は相当な広がりがあったと見てよく、女が動けば信心はつたわり、シャマンも動く。シャマンの相続においては、血脈継承のほかに門付けする瞽女(ごぜ)のように、盲目の女性の間で法脈を継ぐ師資相承制がとられる(櫻井徳太郎『日本のシャマニズム研究(上)、吉川弘文館、1988.3、pp.56-57)。縄文中期中葉の世では、頭に蛇を載せ、片目をつぶした土偶の存在が気になるところである(山梨県天神堂遺跡「隻眼の土偶」参照)。目に疾患があることを表現した土偶は、このほかに多数見受けられる。コピー土偶は、縄文の世での旅の流れ巫女(柳田国男が言う、村の人々の求めに応じて口寄せをする「口寄せミコ」)がもたらしたという想像も駆け巡るのである。

(資料)釈迦堂遺跡博物館『峡東の土偶』2017.9より
 隻眼の土偶(天神堂遺跡)
 
注4 本論では、巫女の概念について、とりあえず以下の辞書的意味合いを前提にしている。
「巫女 ふじょ 通常、超自然的存在(神霊・精霊・その他)と直接交流しながら、予言・託宣・祭儀・治病行為などの役割を果たす女性のシャーマンを指す。柳田国男は、わが国の巫女を「神社ミコ」と「口寄せミコ」の2種類に分類している。前者は神社に所属して神楽(かぐら)を舞い、湯立(ゆがたて)の神事に関与する巫女、後者は、村の人々の求めに応じて口寄せをする巫女を指し、これら2種類の巫女はその根源が一つであったと述べている。ここで留意しなければならないのは、現代の神社巫女は、超自然的存在と直接交流する性格を欠いており、巫女本来の伝統を継承していないことである。これに対して口寄せ巫女は、霊的存在をみずからの身体に憑入させて直接話法で神意を伝達しており、巫女の伝統を忠実に継承している。シャーマン的性格を有している巫女には、口寄せ巫女のような霊媒型の者だけでなく、神霊と対話した内容を神意として間接話法で伝達する預言者型の巫女もいれば、神霊の姿や声を目・耳にし、その内容を間接話法で伝える見者型の巫女も存在する。」(佐々木宏幹、宮田登、山折哲雄『日本民俗宗教事典』1998.4、東京堂出版、p.486、佐藤憲昭稿)
表記としてシャーマン、シャマンの両者が通用しているが、本論ではシャマンを使いたい。その理由は以下にある。
「ツングース語起源のこの名を口にするときには「シャマンのマにアクセントを置くことにより、英語の人名との「同音衝突」はなんとしても避けたいところである。」(ウノ・ハルヴァ、田中克彦訳『シャマニズム アルタイ系民族の世界像 2』平凡社東洋文庫、12013.5、p.322)
なお、シャマンには男も女もいて、日本語では、男のシャマンを巫覡(ふげき)、女のシャマンを巫女(ふじょ)と区別している。
注5 蛇巫について詳しくは、吉野裕子『蛇 日本の蛇信仰』1995.5、講談社学術文庫の「第六章 蛇巫の存在」を参照のこと。「第六章 蛇巫の存在」の冒頭にはこうある。
「日本民族は縄文の昔から蛇を信仰してきたが、それに付随するものとして蛇を祀る蛇巫の存在は、当然考えられることであって、蛇を頭に巻く縄文の巫女土偶はそれを裏書きするものである。この土偶は疑いもなく蛇を祀ることをその仕事とした女蛇巫像としてとらえられる。」(p.18)
 また、諏訪地方の蛇を使う女巫(めかんなぎ)の存在を確言している。
「この当時の諏訪地方では、蛇の信仰が濃厚で、蛇を頭にのせた女性土偶が発見され、蛇と交わる女性文様のついた土器が出土し、蛇を使う女性、すなわち女巫(めかんなぎ)の存在は確実である。蛇を使い、蛇と住む竪穴住居。男性器状の石棒を祭る竪穴住居のあることは、八ヶ岳山麓を中心とした諏訪地方の縄文時代中期からの厳然たる事実である。」(p.261)
注6 藤内土偶にヤマドリの尾を差し込んだのは、井戸尻考古館元館長の小林公明である。
「これら三方の小さな貫通孔には羽根を指したに違いないと思いついたのは、1980年代末ころだった。それで当時、写真家の田枝幹宏さんと組んで新潮社のとんぼの本シリーズで『八ヶ岳縄文世界再現』(1988)を出すことになったとき、藤内の土偶にヤマドリの羽根を挿し、撮影してもらった。最近では三上徹也さんもその写真を引用して、羽根を挿したものと述べている(『縄文土偶ガイドブック』新泉社2014)。」(小林公明「土偶のつむじ」『長野県考古学会誌』153号、2017.1、p.197)
三上徹也は『縄文土偶ガイドブック―縄文土偶の世界』において、小林公明の着想をさらに広げて考察して、①土器に小穴文様を施すのに使われたこと、②土器に描かれた三本指が鳥の足をモチーフにしていること、③シャマンが鳥に扮している姿が弥生時代の土器の絵画に描かれていること、④エジプトやローマなどでは鳥が霊魂を天界に運ぶ存在として認識されていたこと、などを指摘している(P.148)。
注7   「アイヌは人間には生れて一々憑物がある。成長する内に又何かの機会に憑かれることがあって一人にいくつでも憑き物があり得る。その憑き物の運の強い人は運強く、憑き物の運の弱い人は運が弱いのだと考えられている。巫も憑き物がさせるのであるが、巫女の憑き物というのは、沙流地方では大抵蛇である。」(『金田一京介全集』第12巻、1993.1、三省堂、p.256)
「女子の巫術によって、神意を聴いたり、病を治したりする才能と、他の産婆Ikoinka-mat として助産し得る才能、神謡・詞曲等を伝承する能力の如きも、女系を辿って伝わることが多いことも確認された。」(寺久保逸彦『アイヌ叙事詩 神謡・聖伝の研究』1977.2、岩波書店、p.13)
 連載第4回の最後で引いた寺久保逸彦「妊娠と出産」(アイヌ文化保存対策協議会編『アイヌ民族誌』1970.4、pp456-455、第一法規出版社)も、あえて再録しておく。
「結婚後、数年経っても子宝に恵まれない場合には、子宝を授かるためウワタマという呪術的儀礼を行った。これは鳥(チカツブ)の卵を不妊婦の胎内に入れるという呪術である。鳥の仲間でも卵をたくさん産むにわとり(ニワトリ・チカップ)、こばん(オケラ)、おしどり(チライマ・チリ)などの卵(ただしあおげら、きつつきの卵を用いることは忌む)を膳に載せ、炉の横座の花茣蓙の上に置き、不妊婦の夫の父あるいはそのような呪術的儀礼の心得のある故老がやる(夫はやってはならぬという)。この時祈る神は、⑴火の神(アペ・フチ)と、⑵産の神(ウワリ・カムイ)の二神で、各々チェホロカケップ幣を供えるが、「火の媼神」には、横座の前の本座寄りにある台木(イヌンペ・サウシペ)の前に、一―二本、産の神(火の媼神の配下の神といわれる)へは、火尻に、いつも炊事したり暖をとったりする火とは別に、火を焚き(この火を産火という)、その前に立てるのである。
 火の媼神と産神に祈る呪い詞(ポ・ラマツ・エ・イノンノ・イタック=子の魂への祈り)の要旨は――『今まで子宝の授からない夫婦の臥床(シンタ)の上に、子ども(ポ・ラマツ)魂(子種)になるように卵を送り届けてくれるように祈願する』――にある。「火の媼神」と「産の神」に供えたチェホロカケップ幣に、酒箸で灌酒し、先の呪い詞を述べたら、膳の上に載せてあった卵を不妊婦の胸に打ちつけて壊すか、あるいは卵を割って、呑ませる。呪いの効果があって、女が妊娠した場合は、酒を造って、感謝の祈りをする。」
 妊娠後の打ち続く儀式は以下のとおりです。
 妊娠2-3か月目―――受胎の祈り
 妊娠5か月目――――着帯の祈り
 妊娠6-7か月目―――妊婦の身体を祓い清める儀式
 (久保寺逸彦「妊娠と出産」(アイヌ文化保存対策協議会編『アイヌ民族誌』1970年、第一法規出版社所収、pp.456-457)
縄文中期中葉の信州・甲州など中部地方の縄文社会の呪術の実態について北海道アイヌ及び樺太アイヌのシャマンから類推できることは他にも少なくないのだが、それらは以後の論述で必要に応じて追々言及していきたい。
注8  巫術を行うシャマンと、呪術具としての土偶に具現されたシャマンとは、同一人であったそれとも別人であったかという問題を残しているが、宗教儀式一般から類推すれば、同一人ではなく別人であったと考えるべきであろう。巫術を行うシャマンは、J.フレーザーがいう類感呪術、即ち似たものが似たものをもたらす、例えば妊婦の像が祈願者に妊娠(あの世からのイノチの復活)をもたらすという類感呪術によって呪力を全うする。そのため呪術具としての土偶に具現されたシャマンは、聖なる美と、崇高なる霊力を内包していることを必要としている。土偶に具現されたシャマンは、恐らく、その呪術を生み出した開祖であり、そのおそるべき呪力によってカミと崇められた聖なるシャマンであったであろう。仏教を例えに手短にいえば、巫術を主なうシャマンは僧、呪術具としての土偶は仏像に相当するとイメージしたい。
注9  小林康男「縄文中期土偶の一姿相談―-いわゆる河童型土偶について」『長野県考古学会誌』1983.5所収が、新潟、長野、山梨、東京、富山、石川、岐阜の「河童型土偶」85例を検証している。また、その「Ⅱ 研究略史」「Ⅲ 形態的特徴」「Ⅳ 時期と分布の特徴」「Ⅴ 頭部貫通孔の意義」は、1983年という時点での発掘状況という制約があるものの、興味深いものがある。追って必要に応じて言及していきたい。
蒼蒼 目次へ >>