生きている中国――竹内実先生を偲ぶ
余 項科


はじめに
 竹内実との出会いは、昭和63年12月頃、竹内実が大阪市内のあるクラブで講演した時だった。一緒に京都に帰る際、竹内実が「僕は、思想家になりたかったが、たったの教授でした。」と語った。
 当時、政治思想史を専攻する筆者が半分ほどこの言葉から共鳴を受けた。後の半分は、思惑だった。思想家と教授とがどう違うの?果たして、竹内先生が思想家になれなくて、単に思想を研究する教授になっただけで自分の人生に不満を持ったではないかと憶測し、竹内実を懐疑の対象にもした。
 果たして、竹内実が思想家ではなかったのか。

一 竹内実の著作活動

1.文筆活動の年数が67年に及んだ
 付録「時系列竹内実著作数(初稿)」を見ると、竹内実が若き23歳からすでに文筆活動を始めた。それは、虚平というペンネームで1946年9月11日付け『学園新聞』に載せた「麺麭」、つまり「パン」という題の文章だった。時は、京都大学文学部中国文学専攻の一年生だった。最後の著作には、香港天地有限公司が2013年5月に出版した『竹內實的中國觀—第一本中文自選集』と、同年10月、桜美林大学が緊急出版した『変わる中国 変わらぬ中国』という二冊があった。
 すなわち、竹内実が23歳から90歳までの67年間という長いスパンで一貫して書き続け、息を引くまで止まることがなかった。それは、享年65年のカール・マルクス(1818年5月5日~ 1883年3月14日)の寿命よりも長かった。

2.書物は218種類以上、文章は1431篇以上
 67年もの文筆活動に比例して、当然のようにその論著の数も多かった。67年間に単著・共著・監修・監訳・文集等の書物は218種類以上、エッセイや訳文や書評等を含む文章は1431篇以上に及んだ。
 なかんずく、黄金時期と言えば、昭和25年から平成13年まで、つまり30歳から78歳までの48年間だった。30歳の時は一年20篇、78歳の時は書物2種類の11冊、文章8篇。1987年、64歳のとき、竹内実が7種類の本を出すほかに、一年に56篇もの文章を発表した。月単位では、平均4.66篇、週単位で言えば、週に1本という具合だった。実際、月に3篇以上のことが珍しくはなかった。
 竹内実に即しては、80歳までは創作の青壮年期にあたり、80になってから初めてやっと老年期に入ると、言えるかも知れない。
3.出版社・新聞・雑誌の多さ
 竹内実の著作を刊行した日本、中国大陸、台湾、香港などの出版社は、岩波書店や蒼蒼社や中国文献出版社や香港天地図書出版公司など等を含め、大雑把に言えば、少なくとも68社以上あった。
 竹内実の文章を掲載した内外の雑誌社は、学術誌のほかに、『文芸春秋』や『中央公論』などは無論のこと、『起風』や『やすらぎ』などのような趣味世界のものもあり、数え切れないほど数があった。
 新聞社といえば、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞などのような日本の全国紙も京都新聞や北国新聞などのような地方新聞も竹内実の文章を数多く掲載した。
 その他に、竹内実が1986年1月から同年3月をかけて、NHKテレビ「市民大学」において、《現代中国の展開》を講義し、現代中国の政治の移り変わりをジグザグの曲線で図示し説明して、多大な反響を呼んだ。

 
二 竹内実の「中国像」

1.分野別から峻別される現代中国像
 竹内実が生涯をかけて研磨した課題は、「中国理解」という一語に、描き続けたのは、「中国像」という一枚の青写真に尽きると言ってよかろう。
 竹内実の中国論におけるキーワードは、「中国像」という概念である。この概念を最初に打ち出したのは、1959年1月10日、『北斗』4巻1号に公表した「ある漢学者の中国紀行―日本人の中国像・ノート」という論文であった。1966年、43歳のとき、『日本人にとっての中国像』という著作を出版した。
 1973年は、分水嶺となった。というのは、「中国像」をもって分野別の学術研究状況を打破しようとする試みは、その以前、竹内実一個人の実践であったというならば、1973年以降は、京都大学人文科学研究所に就職してからは、組織を持つ営為となった。それは、いわゆる「現代中国研究班」の組織である。
 「現代中国研究班」の成立は、少なくとも二つの重大な意味がある。すなわち、第一に、分野別の研究という従来の学術研究のあり方を打破し、分野を関連しあう、織りあう交叉的総合的研究という新たな局面を形成しようとした。第二に、考証学を核に据え、分断的な東洋史学的研究、または「京都学派」のような孤高な学際的な気風を一新して「現代中国」を中国研究体制全体の中に取り込み、研究者以外の民間人を受け入れた。そのため、後に「現代中国研究班」から改称した「現代中国研究会」は、一般的な学会と違い、研究者だけではなく、経済界、政界などの方、中国に関心をもつ民間人も会員となった。この伝統も、また1990年代に組織された日中関係学会の特色ともなったと、言ってよかろう。
 「中国像」に登場したのは、長江、黄河というような自然もあれば、「近現代中国」、「中国文化」、「日中関係」、「文学と政治」といった概念もある。毛沢東、周恩来、鄧小平など等の政治人物もいれば、魯迅や謝氷心や周揚や巴金といったような知識人もおり、足を洗う女や犬を飼う老人のような庶民もいた。さらには種々の「詩歌」、「小説」、「映画」も登場し、毛沢東集、語録、漢字、彫刻、印材、版画、お茶、茶具、餃子、酒、コオロギ、面子、人民元など等も題材となった。

2.文化から拘束を受けている中国像
 竹内実は毛沢東や魯迅の研究者として名高い。実は、それだけではなかった。竹内実の心を奪う人物にはもう一人がいた。その名は孔子という。
 実際、山東省での小学校時代に、竹内実が日本人学校に通いながら、母親の意思により『三字経』や『論語』や『孟子』などを習う中国語の私塾にも通っていた。そして、幼児時代に、「你不是人!(お前が人間じゃない!)」という中国人の口論言葉が記憶に刻まれ、のちの「人たる所以」という哲学、倫理学のテーゼを考え、中国文化を理解する出発点となった。
竹内実が1970年以降、「「孔子誕生二千四百周年記念大会」のこと」、「なぜ孔子が批判されるのか」など等数多くの政論を発表し厳しい懐疑、批判の目線で「文化大革命」を直視してきた。1983年時点では、竹内実が「中国によみがえる「孔子」」と「孔子批判と孔子の生命力」という二篇の論文を発表して混沌中国の行方を鋭く見極め、21世紀中国のあり方を予言した。
 1999年、76歳、『究極の価値=中華思想』、2000年、77歳、『中国文化論』、2009年 86歳、『中国という世界―人・風土・近代』といった書名の通り、「近現代中国」という概念の枠を超え、「固有の中国」や「伝統的中国」という対置概念でもなく、「近現代中国」に「文化的要素」を濃厚に溶け込ませた「本来の中国」を加味して「真の中国」に迫っていった。最後には、つまり2011年、88歳の時、『さまよえる孔子、よみがえる論語』を画面に点睛して、生き生きとしている中国像を完成しようとした。それは、伝統文化や歴史などを遠景から近景に変換し、国家としての中国だけではなく、文化的共同体、一つの世界としての中国を一つの舞台、一枚の画像に有機的に凝縮しようとするものである。それは、文化から拘束を受けている中国像であると言えよう。

三 啓蒙的思想家ではなかろうか

1.著作活動における幾つかの原則
 第一、1990年代半ば頃、筆者が難解の専門用語、抽象的な概念を詰めた論文の原稿を持って竹内実先生にご指導を仰いだ。師、曰く、「読者層を広げることも、研究者の仕事だ」。すなわち、竹内実がより多くの人々により広く読んでいただくことを念頭に置きながら、誰でも読めるように書き、難読、難解、抽象的な言葉を用いる場合は、必ず読音から意味まで付け、言わば、「読者本位」の方針を貫いた。
 第二、「事実を提供するが、結論を言わない。」というのも、竹内実の著作又は教育上の一大原則である。
とは言え、近現代の中国において、力関係で勝敗を付けた世界だけがはっきり見えたが、しかしながら、是と非、真と偽、当と否の理性的な判断は難を極めた。近現代中国は、混沌、混乱、倒錯、変形といった言葉で言い尽くせない世界である。そこでは、竹内実がたくさんの事実や視角や知識を提供するが、慎んで結論を言わず、読者の独自の判断に委ねたのである。
 第三、文献や資料だけで判った「死んだ中国」でも「変わる中国、変わらぬ中国」でもなく、「生きている中国」を的確に捉えようとすること、すなわち「動態的考察」は、竹内実の著作活動の特色ではなかろうか。肌で知り得る中国人の痛痒、表情で分かる中国人の悲喜、空気で読む中国の流動的雰囲気、文化的遺伝子に制約されているスタイル、歴史で分かる中国の軌道、価値観で診断できる中国の脈動と心臓の鼓動、衣食住から中国人の生の活き方を捉える「動いている中国」は、それである。

2.巨大な影響力
 竹内実が現代中国研究の第一人者である、又は吉田富夫氏の言葉を借りていえば、「中国研究の万能選手である」というように評されている。
 各種の年表・年鑑・事典や毎年も刊行する『中国問題用語の解説』など等は、現代中国を読む基礎知識となっている。『毛沢東集』は、真の毛沢東、本物の中国共産党を知る上で極めて重要な文献となった。数年前に台湾においては、『毛沢東集』が電子版にされ、今でも中国大陸や香港の学界、出版会においては、『毛沢東集』を増補してより全面的な『毛沢東集』を編集しようとする動きが現れている。『中国近現代論争年表』は、右に行ったり左に行ったりして近代化発展コースが極めて不安定、試行錯誤の繰り返しの軌道を見事に描いたよりは、時代のみならず、歴史のはざまの中に中国に関心を持つ人々を追い込んで頭脳を苦しめ霊魂を狂わせている。
 残念ながら、竹内実には一つ未完の仕事があった。80歳頃、「孔子が70歳までのことを書いた。やあ、僕は、80歳からのことを書こうか」と意欲を見せ微笑んでいた。
 「思想」とは、ある人間、あるいは社会が自らの体験を通じて積み上げた固有の世界観、しばしば、「生き方と切り離せない思考の全体像」を「思想」と呼ぶことが多い。また、思想家とは、社会・人生などについての深い思想をもつ人。特に、その内容を公表し、他に影響を与える人をいう、という定説がある。「中国像」をめぐって67年間に68社以上の出版社、218種類以上の書物、1431篇以上の文章、数え切れない新聞、雑誌を抱き抱え、過去も現在も将来も無数の読者を抱擁する竹内実が真の思想家であると言うべきである。但し、啓発するが、結論を言わないという意味から、「思想家」に「啓蒙的」を冠してもいいかも知れない。

付録 時系列竹内実著作の統計(2013年10月初稿)
年度 年齢 著・訳書数(単著・共著・監訳・文集等) 論文数(エッセイ・訳文等を含む)
1946 23 2
1947 24 1
1948 25 1
1949 26
1950 27 2
1951 28 1『中国新民主主義革命史』訳書 2
1952 29 2 3
1953 30 20
1954 31 25
1955 32 2 17
1956 33 1 19
1957 34 3 39
1958 35 30
1959 36 44「ある漢学者の中国紀行-日本人の中国像・ノート」
1960 37 2 45
1961 38 3 43
1962 39 4 25
1963 40 1 25
1964 41 1 11
1965 42 1 30
1966 43 3  『日本人にとっての中国像』 24
1967 44 4 15
1968 45 5 24
1969 46 2 31
1970 47 6 25 「孔子誕生二千四百周年記念大会」のこと
1971 48 6 33
1972 49 8 48
1973 50 3 25
1974 51 4 28
1975 52 5 30
1976 53 5 44
1977 54 3 23
1978 55 6 44
1979 56 1 32
1980 57 5 32
1981 58 4 20
1982 59 5 27
1983 60 6 21
1984 61 3 17
1985 62 5 21
1986 63 5 42
1987 64 7 56
1988 65 3 36
1989 66 6 20
1990 67 7 14
1991 68 6 16
1992 69 8 13
1993 70 5 9
1994 71 8 11
1995 72 5 39
1996 73 7 36
1997 74 6 36
1998 75 3 21
1999 76 9  『究極の価値=中華思想』 25
2000 77 7  『中国文化論』 20
2001 78 2 8
2002 79 1 1
2003 80 1 1
2004 81 4
2005 82 1 7
2006 83 1 6
2007 84 6
2008 85 1 11
2009 86 5『中国という世界』 8+?
2010 87 4+?
2011 88 1『さまよえる孔子 よみがえる論語』 1+?
2012 89 1 3+?
2013 90 2 『竹內實的中國觀
『変わる中国 変わらぬ中国』
その他 『起風』誌、平成7年新春創刊号~平成24年秋季号、計70回、「中国のお茶さまざま」を連載した(計算済みの22回数を除き、48回をブラスする)
『京都新聞』紙、2009年~2011年、複数回のインタビュー記事?詳細不詳
合 計 218+? 1,431+?