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     第2号 2016.01.20発行
    胡耀邦生誕100周年の今日的意義
  及川淳子
(日本大学文理学部 非常勤講師) 
 

 2015年11月29日、日本と中国の若者たちによる交流団体「日中の未来を考える会」と「NPO日中独創メディア」の共催で、「胡耀邦生誕100周年記念講演会」が日本大学で開催された。小論は、講演会における報告の要点を文章化し、ウェブサイト掲載にあたり若干の加筆修正を加えたものである注1
1.はじめに
 中国語には「盖棺论定(棺を覆いて事定まる)」という成語がある。手元にある辞書によれば、「人間の真価は死後にはじめて定まる」、「善悪賢愚は死後になってはじめて評価できる」という意味だ。例えば、毛沢東に対する評価は「功績7割、過ち3割」と言われることが多く、その評価をめぐり様々な議論がある。政治指導者に対する死後の評価は、歴史的かつ政治的な問題だ。
江西省共青城胡耀邦陵園
 筆者は、主要な研究課題のひとつとして中国共産党の改革派老幹部に対するヒアリングを続けている。中華人民共和国の建国以前から数々の政治運動を経験してきた長老たちの生き様に触れる中で、「中国政治は死者を悼みつつ進む」と考えるようになった。つまり、死者に対する評価は、その評価がなされる時点の政治性を如実に反映しているからだ。死者を追悼し、記念するという行事のひとつを例にしても、誰が、いつ、どこで、何のために、どのように、記念するのか(あるいは、しないのか)ということは、まさに現実の政治空間における問題なのだ。中国共産党政権がかつての政治指導者を記念するとき、その時機や方法を分析することで、歴史の記念に隠されたある種の政治的な思惑を読み解くことができるのではないか。もとより、記念などせず、むしろ歴史の記憶を封殺して忘却させるために、厳重な言論統制を敷く場合もある。死去した政治指導者に対する評価とは、換言すれば、歴史の記憶と忘却に関わる主体性と現在性の問題だといえよう。
 では、死去から四半世紀以上が過ぎた胡耀邦に対して、棺の蓋がすでに閉じられた今日、その評価は定まっているといえるだろうか。この問題に対する筆者の見解は、否、である。胡耀邦は江西省九江市の共青城に埋葬されており、筆者も以前訪れたことがある。北京の八宝山墓地や故郷の湖南省ではなく、共青城に眠っているのは胡耀邦の遺言だったからだ。建国直後に青年たちが開拓した土地を共青城と名付けたのは胡耀邦だ。墓参に訪れる人が絶えず、胡耀邦が現在も人々から慕われていることが伺える。しかし、胡耀邦の再評価について公に議論することは極めて困難だ。1989年、胡耀邦の死を悼む学生や市民の活動は民主化運動のうねりが高まる直接的な契機となり、その後、天安門事件という悲劇に到った。胡耀邦を追悼するということは、現在もなお政治的に極めて敏感な問題だ。つまり、胡耀邦をめぐる評価は、歴史の問題というよりも、むしろ現実の政治問題なのである。そのため、生誕100周年の記念行事を習近平政権がどのように執り行い、胡耀邦に対していかなる評価を下すのかが大いに注目された。
2.胡耀邦に対する評価と関連報道
 生誕100周年の追悼行事を分析する前提として、これまで中国共産党が胡耀邦について発表した公式の評価や関連報道について概観しておこう。
 胡耀邦は1989年4月15日に73歳で死去した。『人民日報』が報じた訃報には、次のように記されている注2
 
久经考验的忠诚的共产主义战士,伟大的无产阶级革命家、政治家,我军杰出的政治工作者,长期担任党的重要领导职务的卓越领导人胡耀邦同志(長期にわたる試練を経験した共産主義の忠実な戦士、偉大なプロレタリア革命家・政治家であり、我が軍の傑出した政治工作者、党の重要な指導的職務を長期にわたって担当した卓越した指導者である胡耀邦同志)
 この文言が中国共産党による公式の胡耀邦評価となり、その後も重要な意味を持つようになった。同年4月22日に中国共産党中央委員会が主催した「胡耀邦同志追悼会」は、楊尚昆が主宰し、鄧小平をはじめとする党の指導者が参列した。追悼会では胡耀邦の後任として党総書記に就任した趙紫陽が弔辞を述べ、その内容は翌23日付『人民日報』に掲載された注3。前述の文言は、趙紫陽の弔辞でも同様に繰り返された。現在でも、胡耀邦に関する公式な記述には、同様の文言が記されている。例えば、新華社のウェブサイトに掲載されている胡耀邦の紹介記事にも同様の記述が見られる注4
胡耀邦と趙紫陽
 胡耀邦の死後、中国国内のメディアでは長年にわたって報道や関連資料の出版が厳しく統制されたため、「胡耀邦」という三文字がタブー視される状況が続いてきた。言論界において最初にその沈黙を破ったのは、1994年に死去5周年を追悼して胡耀邦の写真と追悼の詩文を掲載した雑誌『炎黄春秋』である注5。この特集企画は、天安門事件以後に中国のメディアが初めて本格的に胡耀邦を取り上げたものだった。それ以来、『炎黄春秋』は1995年(生誕80周年)、2004年(死去15周年)、2005年(生誕90周年)という節目のタイミングで特集を企画し、胡耀邦に関する言活動論の空間を徐々に拡大させ、現在では頻繁に関連記事を掲載するようになった。胡耀邦関連の資料を記録するメディアとして、『炎黄春秋』は極めて重要な貢献を果たしている注6。胡耀邦と縁のある党の老幹部や、胡耀邦の人柄を偲んでその功績を讃える人々が、『炎黄春秋』という雑誌を媒介にして「胡耀邦ネットワーク」を形成しているのだ。例えば、雑誌の顧問を務めている元毛沢東秘書の李鋭は、胡耀邦に関する重要な資料を公開した注7。これは、胡耀邦が死去する10日前に李鋭と7時間にもわたって懇談した際の記録を整理したもので、言わば「胡耀邦の政治的遺言」ともいえる内容である。
中央胡耀邦の右隣二人が胡錦濤・温家宝
 胡耀邦に関する党中央の公式な記念行事として注目すべきは、2005年11月18日に人民大会堂で開催された「生誕90周年記念座談会」である。当時、胡錦濤はAPECの外遊中で欠席したが、温家宝をはじめとする党中央の指導者が出席して、呉官正が主宰し、曽慶紅が記念の重要講話を発表した注8。党中央が主催した記念座談会においてどのような公式評価が下されるかが注目されたが、曽慶紅が重要講話で述べたのは、「胡耀邦同志是久经考验的忠诚的共产主义战士,伟大的无产阶级革命家、政治家,我军杰出的政治工作者,长期担任党的重要领导职务的卓越领导人」という文言だった。これは、前述した訃報や趙紫陽の弔辞と一言一句変わらない表現だ。党中央が記念行事を主催したという点では、胡耀邦に対する一定の再評価が正式に行われたと見なすことができる。しかし、重要講話の文言を検討すると、実際の評価は1989年時点と変わらず、むしろ、胡耀邦に対する踏み込んだ再評価が困難だということが明らかになった。生誕90周年記念座談会に関する中国メディアの報道ぶりも、非常に象徴的な対比を見せた。例えば、雑誌『炎黄春秋』のほか、広東に拠点を置き独自の調査報道で読者から支持されている新聞『南方都市報』は、座談会写真を大きく掲載して報じたが、党機関紙『人民日報』では極めて小さな扱いだった。
 党中央の指導者でありながら、独自の言動で胡耀邦を記念しているのが温家宝だ。2010年、胡耀邦の誕生日である4月15日当日、温家宝は胡耀邦を偲ぶ文章を『人民日報』に寄稿した注9。温家宝はかつて胡耀邦の下で働き、その人柄を身近に知る人物だ。温家宝は総理在任中に政治体制改革や普遍的価値の重要性を擁護する発言を繰り返し、民主化や自由化に理解を示した胡耀邦の遺志を継承する指導者として党内改革派や知識人たちから期待された時期もあった。もちろん、温家宝の文章は、胡耀邦の誠実な人柄を偲ぶもので政治的に踏み込んだ内容ではない。しかし、どちらかといえば、その内容よりも温家宝が寄稿したという事実のほうに意義があったといえるだろう。それまで、雑誌『炎黄春秋』が地道に関連記事の掲載を続けてきたが、党機関紙の『人民日報』が掲載し、しかもその筆者が温家宝とあれば、胡耀邦に対するタブーが大きく変化した契機として位置づけられる。それ以降、雑誌『炎黄春秋』以外にも、中国メディアで胡耀邦に関する記事が掲載されることが多くなった。例えば、2013年4月15日付『解放日報』は、胡耀邦の誕生日にあわせて2編の関連記事を掲載した注10
 2013年10月15日は、習近平の父親である習仲勲の生誕100周年記念だった。習仲勲の文集や伝記が相次いで出版された中で、文化大革命後に習仲勲の名誉を回復した胡耀邦との関係についての記述が注目された注11。習近平が党総書記に就任し、父親の生誕100周年という節目に記念行事や公式出版を行う中で、習仲勲と胡耀邦の関係について言及しないわけにはいかないだろう。生誕100周年にあわせて出版された習仲勲の関連資料を見ると、胡耀邦に関して歴史研究の立場から時期やテーマを限定して記述することが可能になったことがわかる。
 同年10月16日、中国中央電視台(CCTV)が習仲勲の記念番組を放送した際には、温家宝が出演した。習仲勲の功績を讃える中で、温家宝は以下のように述べた注12
在新形势下,仲勋同志认真贯彻党中央和小平同志一系列重要指示,全力支持耀邦同志的工作,在许多重大决策上发挥了重要作用(新たな情勢のもとで、習仲勲同志は党中央と鄧小平同志の一連の重要指示を真剣に貫徹し、胡耀邦同志の仕事を全力で支持し、数多くの重大な政策決定において重要な役割を果たした)
 折しも、習近平政権が本格的に始動した時期と重なったため、父親の習仲勲と胡耀邦の関係を重視する党内改革派からは、習近平が政治体制改革を推進させるのではないかという期待も高まった。胡耀邦について語るということは、やはり現実の政治と切っても切り離せない問題なのだ。
 胡耀邦の再評価に対する期待が高まり、政治体制改革への展望が胡耀邦再評価に託されるという傾向に対して、2014年4月16日付『環球時報』の社説は以下のように一種の警告を発した注13
互联网上经常谈到他,只是令人遗憾的是,其中一些谈论者喜欢断章取义摘录他的几句话,或者出于各自的价值观对他另作评价,它们常常远离官方的阐述(インターネットでは彼についてよく話題にされているが、彼の言葉を自分の都合にあわせて一部だけ取り上げ、彼について各自の価値観から異なる評価を下している人がいるのは遺憾であり、そうした内容は公式の記述からかけ離れてしまっていることが多い)
 つまり、胡耀邦について論じる際は「官方的阐述(公式の記述)」に基づくべきであり、自由な議論や再評価は許されないという党中央の姿勢がこの社説に反映されていると見るべきだろう。
 しかし、習仲勲はもとより現代の党中央の指導者について語る際に、胡耀邦の存在を無視することはもはや不可能だ。2014年夏には鄧小平生誕110周年(1904年8月22日生)を記念した歴史ドラマ「历史转折中的邓小平(歴史の転換における鄧小平)」がCCTVで放送された注14。鄧小平を描くためには胡耀邦に言及せざるを得ず、ドラマでは当然ながら胡耀邦が配役され、劇中では鄧小平と語り合う胡耀邦の姿が幾度も映し出された。
 以上、胡耀邦に対する評価と関連報道を概観すると、党中央の公式評価は1989年時点から何ら変わらず、むしろ再評価に対する期待の高まりを警戒していることがわかる。しかし、鄧小平や習仲勲など党指導者を顕彰する際に胡耀邦の存在を回避することはできない。胡耀邦の再評価をめぐる問題は、党中央が胡耀邦に関する言論をいかにコントロールするかという政治的課題としての位置づけがさらに強化してきたといえよう。
3.胡耀邦生誕100周年記念に対する期待と現実
(1)胡耀邦再評価に対する期待
 生誕100周年の2015年11月20日が近づくにつれて、親族や党内改革派をはじめ胡耀邦を慕う人々の再評価に対する期待が次第に高まった。だが、その期待は単に胡耀邦記念だけに向けられたものではない。2014年から2015年にかけて、胡耀邦と密接に関わるいくつかの歴史的な節目が続いていた。ひとつは、2014年6月4日、天安門事件25周年である。学生や市民の民主化運動が中国共産党によって弾圧され、流血の悲劇を招いたあの事件から、すでに四半世紀の時間が流れた。もうひとつは、2015年1月17日、趙紫陽死去10周年である。天安門事件以降、死去するまで自宅に軟禁されていた趙紫陽については、現在も政治的に極めて敏感なタブーとして関連報道が厳しく規制されている。そうした歴史的な節目が続く中で、党中央が正式に胡耀邦生誕100周年を記念するとなれば、否応にも注目度が高まるというものだ。
 そもそも、なぜ胡耀邦の再評価にそれほどの期待が寄せられるのか。それは、胡耀邦がかつての政治指導者という存在を超えて、一種の「記号」としての意味を有しているからだ。文化大革命の終了後、胡耀邦は老幹部の名誉回復や冤罪で失脚した幹部の救済に奔走した。そして、改革開放政策が開始された直後の1980年代初頭、自由化や民主化に寛容な姿勢を示した胡耀邦は、古い時代の終焉と新たな時代の幕開けを象徴する指導者として、人々に強烈な印象を与えたのだろう。天安門事件以降、1990年代から現在までの中国政治を概観すると、1980年代の胡耀邦・趙紫陽時代は、文革との訣別と改革に対する期待に満ちた古き良き時代として、当時を知る人々の郷愁を誘うのではないだろうか。胡・趙時代の記憶を再生することで、今後の政治体制改革に対する期待を高め、ひいては天安門事件の再評価について密かに期待を抱く人々がいることもまた事実である。もちろん、それらが非常に困難であることは言うまでもない。筆者が中国のインターネット世論を観察したところ、胡耀邦の再評価に対して「官媒避谈、民间热烈(政府のメディアは語るのを避けるが、民間では活発だ)」という表現で語られることが多かったように思う。
 2014年の年末、党中央は「盘点:2015年,不可不知的四个重要纪念日(総チェック:2015年、知っておくべき4つの重要な記念日)」を中国共産党のウェブサイトで発表した注15。4つの重要な歴史記念日の中で、遵義会議(1月15日)、陳雲生誕110周年(6月13日)、中国人民抗日戦争勝利70周年(9月2日)に続いて選ばれたのが、胡耀邦生誕100周年だった。党中央が正式に重要記念日として発表したことで、胡耀邦再評価に対する期待はさらに高まった。記念日を紹介する記事の中で、胡耀邦について「胡耀邦是伟大的无产阶级革命家、政治家,我军杰出的政治工作者,长期担任党的重要领导职务的卓越领导人」という記述があった。これもまた、前述した1989年の訃報と趙紫陽の弔辞、2005年の生誕90周年の重要講話と全く同じ表現である。
 そもそも、党中央が胡耀邦生誕100周年を「4つの重要な記念日」として認定し、公式行事を開催するのはどのような規定に基づくのか。ここで参考になるのが、1996年に発表された「中共中央办公厅、国务院办公厅关于举办已故党和国家领导同志诞辰纪念活动的通知(すでに他界した党と国家の指導者同志の生誕記念活動に関する中共中央弁公庁、国務院弁公庁の通知)」である注16。この「通知」によれば、主要な指導者の生誕記念が100周年の場合は、「中共中央は記念大会を開催し、党と国家の指導者同志が出席して、中央の重要な指導者同志が講話を発表する」と規定されている。胡耀邦生誕90周年の際は「座談会」だったが、生誕100周年ならば「記念大会」として開催されるのだろうか。講話を発表する「中央の重要な指導者同志」とは誰なのか。果たして習近平が自ら講話を発表するのか。その場合、講話はいかなる内容で、どのような公式評価が下されるのか、注目すべきポイントは実に多い。
 近年、4月15日の胡耀邦の命日が近づくと関連の文章が発表されることが多くなったが、生誕100周年記念の節目となる2015年は、例年に増して注目が集まった。その中で、特に取り上げるべきは、『環球時報』が4月17日に掲載した記事である。その記事は胡耀邦についての議論が盛り上がりを見せていることを認めた上で、以下のように釘を刺した注17
这当中不断有人以纪念胡耀邦的名义,歪曲他当年的一些言行,以此表达对现实政策的不满。这是对耀邦同志最大的不敬。(略)请不要打着胡耀邦的名义来亵渎他所忠诚的事业,这应是敬仰他以及维护他声誉的一条底线(その中には、胡耀邦を記念するという名目にかこつけて、当時の彼の言行を歪曲し、そうすることで現実の政策に対する不満を表そうとする人たちが絶えない。これは胡耀邦同志に対する最大の不敬である。(略)胡耀邦の名を掲げて彼が忠誠を尽くした事業を冒瀆してはならず、それは彼を敬慕し、彼の名声を擁護するボトムラインでなければならない)
 党中央が正式に記念事業を開催すると表明した以上、胡耀邦再評価の期待が高まるのは必至だ。しかし、期待の高まりから様々な活動に発展し、党中央がコントロールできなくなる事態は何としても回避しなければならない。胡耀邦生誕100周年は、あくまでも党中央が主導するもので、民間レベルでの自由な活動が認められるわけではないということが『環球時報』の記事で明らかになった。
 
(2)胡耀邦生誕100周年記念事業
 様々な期待と牽制の中で、実際のところ生誕100周年の記念事業はどのように行われたのか。記念日に先がけて、11月16日には中国共産党中央党校で「胡耀邦同志と『理論動態』――胡耀邦同志生誕100周年記念座談会」が開催され、長男の胡徳平らが出席した注18。『理論動態』は、1976年に中国共産党中央党校が創刊した雑誌である。胡耀邦は1977年に党中央組織部長と中央党校副校長に前後して就任した。中央党校は党の理論研究を行う直属機関であり、胡耀邦は毛沢東の死去と四人組逮捕によって中国政治が激変する中で、党の建設を理論面から支える要職にあった。1978年5月、胡耀邦が『理論動態』第60期に掲載を指示し、後に『光明日報』に転載されて大論争を引き起こしたのが、南京大学教授の胡福明が執筆した論文「实践是检验真理的唯一标准(実践は真理を検証する唯一の基準である)」である。毛沢東の死後、後継者となった華国鋒は「凡是毛主席做出的决策,我们都坚决维护;凡是毛主席的指示,我们都始终不渝地遵循(すべての毛主席の決定は断固守らねばならず、すべての毛主席の指示には忠実に従わなければならない)」とする「两个凡是(二つのすべて)」を掲げていたが、復権した鄧小平が華国鋒を批判して文革路線からの脱却を図る中で、胡耀邦が掲げた「真理の基準」が理論的な支えとなった。中央党校での記念座談会は、胡耀邦が歴史の節目で果たした重要な貢献を再評価するものだった。
 生誕100周年を記念した出版も興味深い。『胡耀邦文選』が人民出版社から刊行された注19。これまで胡耀邦の親族が執筆した回想録や研究者による伝記などは発行されていたが、胡耀邦自身の文章や演説などを収集した資料は、香港で出版された一部を除けば大陸では初めての出版である。胡耀邦が1952年に中国新民主主義青年団第一秘書に就任してから、党総書記を務めた後に失脚する直前の1986年10月までの計77編の文章、約49万字を収録した『胡耀邦文選』は、初の決定版といえる内容だ。このほか、中共党史出版社からは写真集『胡耀邦画冊』が出版された注20
 生誕100年にあたる11月20日、北京の人民大会堂で「胡耀邦同志生誕100周年記念座談会」が開催された注21。記念行事の形式は、「記念大会」ではなく「座談会」である。習近平をはじめ最高指導部の政治局常務委員7名全員が出席し、劉雲山が主宰した。習近平は重要講話を発表して、胡耀邦の功績を次のように讃えた(以下、一部抜粋)注22
他为中华民族独立和解放、为社会主义革命和建设、为中国特色社会主义探索和开创建立了不朽功勋(彼は中華民族の独立と解放、社会主義革命と建設、中国の特色ある社会主義を探求し切り拓くために不朽の功績を打ち立てた)
胡耀邦同志把自己的一生献给了党和人民。他的一生,是光辉的一生、战斗的一生。在为党和人民事业的不懈奋斗中,他夙夜在公、呕心沥血,鞠躬尽瘁、死而后已,书写了无愧于共产党员称号的人生,作出了彪炳史册的贡献(胡耀邦同志は自らの一生を党と人民のために捧げた。彼の一生は、輝かしい一生であり、戦いの一生だった。党と人民のための事業にたゆまず奮闘するなかで、彼は夜に日を継いで仕事に心血をそそぎ、つつしみ深く献身的に尽くし、死ぬまでやり抜いた。共産党員の名に恥じない人生を送り、歴史に光輝く貢献を果たした)
 他的革命精神和崇高风范永远值得我们学习(彼の革命精神と崇高な品格は我々が永遠に学ぶに値するものだ)
 これらの文言を見るかぎり、習近平の重要講話は胡耀邦の功績を高く評価しているといえるだろう。生誕90周年座談会と比較すれば、胡耀邦の人柄について特に踏み込んだ内容といえる。では、胡耀邦を党の指導者として規定する例の文言はどうだろうか。習近平の講話には、やはり「胡耀邦同志是久经考验的忠诚的共产主义战士,伟大的无产阶级革命家、政治家,我军杰出的政治工作者,长期担任党的重要领导职务的卓越领导人」という一節があった。これもまた、前述したこれまでの公式評価と全く変わらない表現である。
 この文言には、「伟大的无产阶级革命家(偉大なるプロレタリア革命家)」という表現はあるが、「マルクス主義者」という文言はない。中国共産党の各種文献には、「伟大的马克思主义者(偉大なマルクス主義者)」、「杰出的马克思主义者(傑出したマルクス主義者)」、「坚定的马克思主义者(揺るぎないマルクス主義者)」、「忠诚的马克思主义者(忠実なマルクス主義者)」などの表現が見られる。党指導者を正式に紹介する際には、「偉大なマルクス主義者」を使用することが多く、毛沢東、周恩来、朱徳、鄧小平などはいずれも「偉大なマルクス主義者」として顕彰されている。しかし、胡耀邦には「マルクス主義者」という評価は与えられていない。鄧小平は胡耀邦追悼の弔辞を確定する際に、「功績を十分に述べているので、辞職については取り上げない。『偉大なマルクス主義』というのは、我々のいずれも資格が十分ではない。私も十分ではないのだから、私が死んでもこの言葉を加えないように」と発言したという注23。これは、ブルジョア自由化や学生のデモをめぐる対応で胡耀邦が自己批判を行い、その後失脚したことに深く関わる問題だ。胡耀邦は「偉大なプロレタリア革命家」として評価されてはいるが、「偉大なマルクス主義者」としては認められていない人物なのだ。
 習近平の講話を読み進めよう。習近平は以下のように強調している(便宜上、以下については番号を付す。下線部は筆者による)注24
①胡耀邦同志认为,理想是我们这个国家和民族的一个非常重要的精神支柱,我们的最高理想是共产主义(我々の国家と民族にとって、理想は非常に重要な精神的支柱だと胡耀邦同志は考えていたが、我々のもっとも高い理想は共産主義である)
②全党同志要坚定理想信念,增强中国特色社会主义道路自信、理论自信、制度自信,真正做到虔诚而执着、至信而深厚。我们纪念胡耀邦同志,就是要学习他心在人民、利归天下的为民情怀(すべての党員同志は、理想と信念を固め、中国の特色ある社会主義の道への自信、理論への自信、制度への自信を強め、敬虔で、粘り強く、信頼できる堅実さを身につけなければならない。我々が胡耀邦同志を記念するのは、人民に心を寄せて天下の利を考えていた彼の人民を思う心情を学ぶべきだからである)
③胡耀邦同志强调共产党员要靠实事求是吃饭,不要靠别的什么吃饭, 靠别的东西吃饭终究要上当吃亏(胡耀邦同志は、共産党員は実事求是によって飯を食い、ほかの何かによって飯を食ってはならず、別のものによって飯を食えば、結局のところ騙されて損をすることになると強調していた)
④面对当前改革发展稳定遇到的新形势新情况新问题,全党同志要有所作为、有所进步,就要敢于较真碰硬、敢于直面困难,自觉把使命放在心上、把责任扛在肩上,努力在协调推进“四个全面”战略布局中取得新的更大的成绩(現在、改革の発展と安定が直面している新たな情勢と新たな情況という問題に対して、全党の同志は大きく貢献し、大きく進歩しなければならず、手強い問題にも勇気をもって真剣に向き合い、勇気をもって困難を直視し、自発的にその使命を心に刻んで責任を担い、“四つの全面”をバランスよく推進するという戦略においてさらに大きく新しい成果を獲得できるよう努力しなければならない)
⑤习近平强调,我们纪念胡耀邦同志,就是要学习他公道正派、廉洁自律的崇高风范。公道正派才能出清风正气,廉洁自律才能塑良好形象。党风和社会风气的根本好转,良好政治生态的营造,要靠全党上下不懈努力(我々が胡耀邦同志を記念するのは、彼が公正かつ品行方正、清廉潔白で自らを律していた崇高な品格に学ぶべきだからだと習近平は強調した。公正かつ品行方正であればこそ、清らかで正しい気風になり、清廉潔白で自らを律すればこそ良好なイメージを創り出すことができる。党の気風と社会の気風を本質的に好転させ、良好な政治環境を作り出すのは、党全体のたゆまない努力にかかっている)
 抜粋引用した①で強調されているのは「理想」だ。②では「中国特色社会主义道路自信、理论自信、制度自信(中国の特色ある社会主義の道への自信、理論への自信、制度への自信)」、いわゆる「三个自信(三つの自信)」について述べている。これは、2012年11月に開催された第18回党大会で、当時の胡錦濤総書記の報告で述べたものだ注25。④では「四个全面(四つの全面)」というキーワードがある。これは、第18回党大会で提起された「全面建成小康社会(ややゆとりのある生活を全面的に建設する)」、2013年の第18期三中全会で強調された「全面深化改革(改革を全面的に深化させる)」、2014年の第18期四中全会で打ち出された「全面推进依法治国(法による国家統治を全面的に推進する)」、2014年10月に開催された党の大衆路線教育実践活動総括大会における習近平の演説で強調された「全面从严治党(党の厳格な統治を全面的に行う)」という一連の重要講話から、「四つの全面」として党の重要課題を総括したスローガンだ。
 ③では「要靠实事求是吃饭,不要靠别的什么吃饭(産党員は実事求是によって飯を食い、ほかの何かによって飯を食ってはならない)」と述べ、⑤では「公道正派、廉洁自律的崇高风范(公正かつ品行方正、清廉潔白で自らを律する崇高な品格)」とある。こうした文言からは、清廉潔白な人柄が慕われていた胡耀邦のイメージを取り込み、習近平が強力に推し進める反腐敗キャンペーンの意義を強調するという政治的思惑が読み取れる。
 つまり、習近平は胡耀邦の生誕100周年記念に乗じて、党員は「理想」と「自信」をもって「四つの全面」を実現し、「廉潔」でなければならないと号令をかけたのだ。習近平の記念講話は、胡耀邦を積極的に再評価するというよりは、むしろ胡耀邦の清廉なイメージを自らの政治に利用する内容が際立っていたのである。
人民日報1982年9月13日一面、左から胡耀邦、李先念、鄧小平。
鄧小平の右隣の趙紫陽はカット
 11月20日に党中央主催の記念座談会が終了すると、その当日夜からCCTVの総合チャンネルでドキュメンタリー番組「胡耀邦」の放送がスタートした。この番組は、中共中央党史研究室と中央新影団が共同で制作した全5回シリーズで、「胡耀邦同志の輝かしい一生」を全面的に紹介する内容だ。CCTVのウェブサイトでも番組を視聴することができる注26。胡耀邦を正面から取り上げたドキュメンタリー番組の放送は、まさに生誕100周年記念にふさわしい画期的な取り組みだといえよう。しかし、シリーズ第4回が放送されると、中国のインターネットでは数多くの批判が飛び交った。番組で取り上げた1982年9月13日付『人民日報』の紙面が改竄されていたのだ。それは第12期一中全会を報じた記事で、本来の紙面では、一面トップに「胡耀邦が総書記に就任、鄧小平が軍事委員会主席に就任」という大きな見だしの下に、サブタイトルとして「胡耀邦、葉剣英、鄧小平、趙紫陽、李先念、陳雲が政治局常務委員に」と記され、胡耀邦、葉剣英、鄧小平、趙紫陽の写真があった注27。しかし、番組で紹介された紙面では、趙紫陽の名が削除され、写真は李先念に置き換えられていた。つまり、趙紫陽の存在が完全に封殺されたのだ。ネットでは二種類の紙面を並べて比較した画像も掲載され、この問題に関心を抱く人々の注目を集めた。中国国営放送のCCTVが党機関紙『人民日報』を歴史の資料として扱う際に、これほどまでに明らかな改竄がなされたのだ。趙紫陽は依然として、官製メディアではタブー視される存在なのである。胡耀邦の場合は、党中央が主導して限定的に再評価することが可能になったが、趙紫陽は名前や写真さえも消去されてしまう。全面的な再評価とは言えないまでも公式に記念行事が開催される胡耀邦と、完全に封殺されてしまう趙紫陽では、対応の違いが極めて対照的だ。習近平政権が趙紫陽や天安門事件の再評価、さらに言えば政治体制改革に積極的に取り組む姿勢ではないことがこの改竄事件で決定的になったといえよう。
4.胡耀邦生誕100周年記念の意義
 胡耀邦の再評価に対する期待と現実について検討したが、それでは党中央が主導した生誕100周年記念の意義はどのように総括すべきだろうか。以下、3点を指摘したい。
 第一に、生誕100周年記念は「党の輝かしい歴史」と矛盾することが許されない限定的な再評価であったということだ。文革が終了して改革開放政策が始まり、経済発展と対外開放が進められた激動の1980年代は、言わば「党の輝かしい歴史」である。だが、改革開放政策の矛盾が次第に明らかになり、民主化運動のうねりが高まって、やがて天安門事件に到るという1980年代の負の歴史は「党の輝かしい歴史」ではない。胡耀邦の清廉な人柄を讃えて、青年時代から党総書記に就任するまでの経歴については紹介するが、総書記時代について具体的に検討し、まして総書記辞任の経緯や胡耀邦の死がもたらした政治的な影響についての評価などに言及することはできない。前述したように、趙紫陽や天安門事件についての言及は厳重に規制され、それらと胡耀邦を切り離すことが不可欠なのだ。もちろん、記念の出版事業やテレビ番組の制作など、これまでに比べれば胡耀邦再評価に進歩が見られたのは事実だが、全面的な再評価は依然として遠い道程である。そして、今回の限定的な再評価が、政治体制改革につながるわけではないこともすでに述べたとおりだ。
 第二に、生誕100周年記念では習近平がその手腕を発揮したことが象徴的であった。APECをはじめ外交日程が緊迫していた11月下旬に、外遊から帰国したばかりの李克強首相も含めて政治局常務委員全員が一同に記念座談会に出席した。そして、習近平が自ら重要講話を発表したことには、やはり一定の評価をすべきだろう。そうした政治的な決定と行動の背景に、例えば習仲勲と胡耀邦の関係が実際のところどれほど影響しているのか、それを検証する術はない。だが、生誕90周年記念の際に胡錦濤が不在だったことや、当時、講話を発表したのが温家宝ではなく曽慶紅だったことから考えれば、今回、習近平の手腕は圧倒的だった。それは、習近平がすでに党中央で絶対的な権力を掌握したからこそ、おそらく党内の保守派からあったと思われる反発や抵抗を押さえ込み、生誕90周年当時の胡錦濤とはまったく異なるパフォーマンスを見せたのだ。今回の記念座談会は劉雲山が主宰したが、これもまた絶妙なバランス感覚である。保守派の劉雲山に花を持たせることで、最高指導部が一致団結して胡耀邦を記念したというメッセージを発信することに成功したといえるだろう。しかし、習近平がこのように手腕を発揮した目的は、胡耀邦を積極的に再評価するというような単純なものではない。前述したように、胡耀邦の清廉なイメージを取り込み、自らが強力に推進する反腐敗キャンペーンの求心力に利用しようというねらいが浮き彫りになった。生誕100周年の記念座談会が胡耀邦のために開催されたのは間違いないが、それは、習近平がその権力を誇示するための舞台装置でもあった。
 第三に、これは生誕100周年記念を総合的に検討した上での筆者の結論である。今回、党中央が主導した胡耀邦再評価の目的とは、党の基準に基づく「語ってもよい胡耀邦」と「語ってはならない胡耀邦」を分離することだった。限定的な再評価はなされるようになったが、それはあくまでも党中央が主導するもので、胡耀邦の親族や民間レベルで自由な言論活動が行われることは依然として規制を受けるところが多い。一連の記念事業は、党中央が胡耀邦を「党の人」として自分たちのものにすべく策を弄したものといえよう。
5.むすびにかえて――胡耀邦と日中関係
 胡耀邦を再評価する上で重要な問題のひとつが、日本との関わりである。胡耀邦が党総書記を務めていた時期は、日中関係が飛躍的な発展を見せた。両国それぞれの国内事情や国際環境が背景にあったことは言うまでもないが、良好な日中関係を構築した中国側の政治指導者として、胡耀邦が極めて重要な役割を果たしたことは事実だ。とりわけ、日本青年3000人を中国に招待して大規模な交流事業を実施したことがよく知られている。胡耀邦は1983年に初めて日本を公式訪問し、NHKホールで講演した際に、3000人の訪中団を招待するという壮大な交流計画を発表した。計画は翌1984年に実施され、「日中友好」を具現化した青年交流は、現在でも語り継がれている日中交流史の一幕である。
 しかし、胡耀邦の大胆な対日政策は、日中関係の発展に大きく寄与した一方で、その政治生命を脅かす重大なリスクにもなった。胡耀邦は1987年1月に総書記を辞職したが、実際のところは失脚だった。辞任後、党中央の「民主生活会」で数日間にわたり集中的に批判された中で、胡耀邦が常務委員会を招請せずに独断で重要な決定を行い、「集団指導の原則を破壊した」ことが問題視された。具体的な問題として、3000人訪中団の決定についても厳しく批判されたのである注28。この問題に対し、後に胡耀邦が李鋭に語ったところによれば、3000人訪中団の計画は外交部が申請したもので、当初は1万人規模を予定し、党中央の常務委員も全員同意していたと事実関係を明らかにしている注29。対日政策をめぐる批判の背景には、中曽根康弘総理が訪中した際に、胡耀邦が私邸に招待したことや、中曽根の靖国参拝に対して比較的寛容な態度だったことなども影響していたのだろう。日中関係という大局から見て英断であっても、党内の権力闘争においては、日本との深い関わりが政治的リスクにもなるのだ。
 胡耀邦は、日中関係の発展について確固たる信念を抱いていた。小論の最後に、日本と深く関わる重要な胡耀邦の思想について、次の2点を指摘したい。
 ひとつは、胡耀邦の平和主義である。1983年11月、胡耀邦は日本を公式訪問し、中曽根総理と首脳会談を行った。当時は1972年の日中国交正常化から十年余、日中双方が友好関係を重視し、幅広い分野での交流が期待されていた時期だった。首脳会談では、日中両国が体制の違いを超えて友好関係を発展させることがアジアや世界の平和と繁栄にとって重要だという認識で一致し、共同記者会見で「不戦の誓い」を宣言するとともに、日中友好21世紀委員会の設立を発表した注30。胡耀邦は8日間の滞在期間中、中国首脳として初めて国会で演説したほか、首都圏以外にも北海道、大阪、長崎などの各地を視察した。
乙女の像
 ここで筆者が強調したいのは、胡耀邦と長崎との関わりである。11月30日、胡耀邦は最後の訪問地として長崎を訪れた際に、平和祈念公園で「中国共産党中央委員会総書記胡耀邦」と記した白菊の花輪を平和祈念像に捧げて黙祷した。平和祈念像を前にして、胡耀邦は「人類の平和と友情によって必ず戦争に打ち勝てる。全世界の人民が団結すれば、人類の前途は今日の太陽のように明るい」と述べた注31。中国の首脳が被爆地を訪問したのは初めてのことだった。当時の報道ぶりを見ると、胡耀邦の長崎訪問は、新聞紙面で驚くほど小さな扱いだ。もし現在ならば、中国の首脳が被爆地を訪問したとなれば、間違いなく一面トップを飾る大ニュースになるだろう。逆に言えば、当時は大きなニュースにならないほど、両国の政治関係が良好だったということか。
 胡耀邦の長崎訪問から2年後の1985年、平和祈念公園には中日友好協会を通じて「乙女の像」が寄贈された。これは胡耀邦が平和祈念像を参観した際に感銘を受け、中国からも平和の像を寄贈して日中共同の平和への願いを託したいと考えたことに基づいている注32。平和祈念公園には世界各国から寄贈された祈念碑などが並ぶ世界平和シンボルゾーンが設けられているが、3.2メートルの「乙女の像」はその中でもひときわ存在感がある。乙女像の背面には、「和平 1985年7月 胡耀邦」の揮毫が刻まれている。日本と中国には戦争という不幸な歴史があったが、公式訪問で被爆地を訪問した胡耀邦の行動は、平和主義という強い信念に裏付けられていたのだ。だが、極めて残念なことに、胡耀邦の長崎訪問はその後日中双方で忘れ去られてしまったようだ。日中の政治関係は依然として様々な問題を抱え、日中関係をとりまく東アジアや世界の情勢は激変しているが、いまこそ日中両国は胡耀邦の平和主義に学ぶべきだろう。
 もう一点は、胡耀邦の国際主義である。1986年11月8日、中国を訪問した中曽根総理と胡耀邦は、北京市内で中日青年交流センターの定礎式に出席した。センターは対中ODAの一環として建設され、現在でも日中交流の重要な拠点として活用されている。定礎式で、胡耀邦は次のように演説した(以下、一部抜粋)。
我说,我主张世界上一切国家的青年都要热爱自己的祖国。每个青年都应该把自己的一切和祖国的命运联结起来。青年要为祖国的繁荣富强贡献一切。当生育抚养自己的祖国遭受侵犯时,就应该奋不顾身地捍卫她(私は、世界のすべての国の青年は、自分の祖国を愛するべきだと主張しました。一人一人の青年が自分のすべてを祖国の運命と結びつけて考えなければなりません。青年は祖国の繁栄と富強のためにすべてを捧げるべきです。自分を生み育てた祖国が侵犯された時には、身の危険をも顧みずに勇気を奮って祖国を守らなければなりません)
但是,这是否就是爱国主义最完整的标准呢?我说,这还不够。还要同与别国人民和睦相处、友好合作这样一种富有远见的国际主义精神结合起来(しかし、これが愛国主義のもっとも完全な基準でしょうか。私は、それだけでは十分ではないと考えます。ほかの国の人民と仲睦まじく付き合い、友好的に協力するという長期的視野に立った国際主義の精神と結びつけなければなりません)
我说,如果中国青年只想到自己的国家好起来,而对我们现行的开放政策不积极,对同日本、同世界一切国家的青年讲团结、讲友好、讲互助互利不热心,那就够不上是很清醒的爱国青年(もし、中国の青年が自分の国を良くしようと考えるだけで、私たちが現在進めている開放政策に積極的でなく、日本や世界のすべての国々の青年たちとの団結、友好、相互の協力や利益に熱心でなければ、はっきりと目覚めた愛国青年として資格が足りません)
历史上有不少的人,因为只有狭隘的爱国主义,结果变成了误国主义。我希望中日两国青年从历史经验教训中汲取智慧,把自己锻炼成为充满爱国主义激情同时又富有国际主义精神的高尚的现代人(歴史を見れば、狭隘な愛国主義しかなかったために、結果的に誤国主義に陥った人たちが多くいました。中国両国の青年には、歴史の経験という教訓から智慧を汲み取り、愛国主義の激情に満ち、また国際主義の精神にもあふれた崇高な現代人として、自らを鍛錬するよう希望します)
 胡耀邦の演説は、愛国主義はそれだけでなく国際主義と結びつけなければならないと繰り返し述べている。これは1986年の発言だが、30年を経た現在の日中関係を考える上でも示唆に富む内容だといえよう。狭隘な愛国主義を批判し、国際主義の精神を強調した胡耀邦の思想は、いまこそ日中両国に必要ではないか。
 この演説は、「胡耀邦总书记在中日青年交流中心奠基典礼上的讲话(中日青年交流センター定礎式における胡耀邦総書記の講話)」として日中関係史の資料集などに収められている注33。胡耀邦の数ある重要講話の中でも、短いながら極めて重要な演説だと筆者は考えるが、これも非常に残念なことに、前述した生誕100周年記念の『胡耀邦文選』には収録されていない。日中双方で、例えば中日青年交流センターを利用する人たちの中でも、この逸話を知る人は多くないだろう。1980年代の胡・中曽根時代は日中の蜜月時代として知られているが、その具体的な事実について再検討することで、今後の日中関係の改善と発展に活かせるものがあるはずだ。日本と中国は、戦争の歴史を学ぶと同時に、友好の歴史についても若い世代に語り継いでいかなければならない。
 胡耀邦生誕100周年の節目に際し、いまこそ、胡耀邦の平和主義と国際主義に日中双方が学ぶべきである。それこそが、胡耀邦再評価の今日的意義ではないだろうか。
(了) 
資料
胡耀邦関連参考資料一覧 (PDF149KB)
資料:胡耀邦生誕100周年の今日的意義その1 (PDF1,659KB)
資料:胡耀邦生誕100周年の今日的意義その2 (PDF1,480KB) 
 資料:胡耀邦生誕100周年の今日的意義その3 (PDF1,455KB)
資料:胡耀邦生誕100周年の今日的意義その4 (PDF561KB)
資料:胡耀邦生誕100周年の今日的意義その5 (PDF2,175KB)
資料:胡耀邦生誕100周年の今日的意義その6 (PDF1,139KB)
1 胡耀邦記念講演会が実現したのは、「日中の未来を考える会」の学生たちと「NPO日中独創メディア」の加藤隆則氏をはじめとする関係者の尽力による。また、講演会の記録を21世紀中国総研のウェブサイトに特集記事として掲載するチャンスを提供して下さったディレクターの矢吹晋先生、中村公省・蒼蒼社社長のご配慮に心より感謝したい。
 なお、講演会当日の模様については、以下の資料を参照されたい。
(1)本ウェブサイト 特集記事1.加藤隆則「胡耀邦生誕100周年に際して」。
http://www.21ccs.jp/tokushu_koyouhou/koyouhou_01.html
(2)「胡耀邦氏生誕100年 日中友好に尽力 千代田で記念公演」『毎日新聞』2015年11月30日。
http://mainichi.jp/articles/20151130/ddl/k13/040/045000c
2 「中国共产党中央委员会沉痛宣告 胡耀邦同志逝世」≪人民日报≫1989年4月16日。
3 赵紫阳「胡耀邦追悼大会上的悼词」≪人民日报≫1989年4月23日。
4 「胡耀邦同志生平」新华社
http://news.xinhuanet.com/ziliao/2008-05/06/content_8115655_1.htm>。
5 《炎黄春秋》1994年第4期。
6 『炎黄春秋』については、以下を参照されたい。拙稿「雑誌『炎黄春秋』に見る言論空間の政治力学」『中国リベラリズムの政治空間 アジア遊学193』勉誠出版、2015年、PP.154-170。
7 李锐「胡耀邦去世前的谈话」≪当代中国研究≫2001年第4期、≪人民心中的胡耀邦≫明镜出版社、2006年(増補版)。
8 「曾庆红在纪念胡耀邦诞辰90周年座谈会上的讲话」新华社、2005年11月18日、
http://news.xinhuanet.com/politics/2005-11/18/content_3800816.htm>。
9 温家宝「再回兴义忆耀邦」≪人民日报≫2010年4月15日。
10 邓伟志「“你骑马来我牵牛”——怀念胡耀邦同志」、周瑞金「正直无私·坦荡胸怀·光明磊落——怀念胡耀邦」《解放日报》2013年4月15日。
11 例えば以下など。《习仲勋文集 上下》中央党史出版社,2013年。《习仲勋传 上下卷》中央文献出版社、2013年。
12 「魅力纪录 习仲勋 第五集勤政岁月」CCTV,2013年10月15日。
http://tv.cntv.cn/video/VSET100175610990/da41189e22ca4a2fa98db4c5579ce927>。
13 「请莫用胡耀邦英名反对他忠诚的事业」≪环球时报≫、2014年4月16日。
14 「历史转折中的邓小平」
http://tv.cntv.cn/video/VSET100200622943/a67ca68ee4f249d796bacf4c94d7736c>。
15 「盘点:2015年,不可不知的四个重要纪念日」人民网-中国共产党新闻网、2014年12月29日。
http://dangshi.people.com.cn/n/2014/1229/c85037-26291074.html>。
16 「中共中央办公厅、国务院办公厅关于举办已故党和国家领导同志诞辰纪念活动的通知」中国共产党新闻,1996年7月27日。
http://cpc.people.com.cn/GB/64162/71380/71382/71384/4857852.html
参考「胡耀邦百年诞辰 中央党校将出书纪念」观察网、2015年4月16日、
http://www.guancha.cn/politics/2015_04_16_316170.shtml>。
17 「时间越久 对耀邦同志的评价越客观」≪环球时报≫2015年4月17日,
http://star.news.sohu.com/20150417/n411411019.shtml>。
18 「胡德平出席中央党校胡耀邦诞辰100周年座谈会」胡耀邦史料信息网、
http://www.hybsl.cn/zonghe/yaobangxinjian1/2015-11-17/55380.html>。
19 胡耀邦《胡耀邦文选》人民出版社、2015年。
20 中共中央党史研究室≪胡耀邦画册≫中共党史出版社、2015年。
21 「中共中央举行纪念胡耀邦同志诞辰100周年座谈会、习近平发表重要讲话」新华社、2015年11月20日、
http://news.xinhuanet.com/politics/2015-11/20/c_1117214048.htm>。
22 「习近平:在纪念胡耀邦同志诞辰100周年座谈会上的讲话」新华社、2015年11月20日、
http://news.xinhuanet.com/politics/2015-11/20/c_1117214229.htm
23 鄭仲兵 主編《胡耀邦年譜資料長編》(上下)時代國際出版有限公司、2005年、P.1220。
24 前掲、「习近平:在纪念胡耀邦同志诞辰100周年座谈会上的讲话」。
25 「新华社北京11月17日电(授权发布)坚定不移沿着中国特色社会主义道路前进 为全面建成小康社会而奋斗——在中国共产党第十八次全国代表大会上的报告」新华社、2012年11月8日、
http://news.xinhuanet.com/18cpcnc/2012-11/17/c_113711665.htm
26 「胡耀邦」CCTV、
http://tv.cntv.cn/videoset/VSET100252865825
27 「胡耀邦任总书记 邓小平任军委主席」《人民日报》1982年9月13日。
28 盛平主編《胡耀邦思想年譜 1975--1989》(下)香港‧泰德時代出版有限公司、2007年、P.1303。
29 李锐「胡耀邦去世前的谈话」蘇紹智 主編《人民心中的胡耀邦》明鏡出版社、2006年、P.15。
30 「不戦の誓いを宣言」『朝日新聞』1983年11月24日。
31 「胡総書記、長崎に祈る」『朝日新聞』1983年11月30日(西部夕刊)。
32 「中国から長崎市は 平和の像近く完成へ」『朝日新聞』1985年1月16日。
33 例えば以下などを参照。田桓主编、 纪朝钦・ 蒋立峰副主编≪战后中日关系文献集1971-1995≫(战后中日关系史丛书)中國社会科學出版社、1997年。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19861108.S2C.html

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